第3章ー10
ともかく、島津貴久が各地の勢力に書状を送った効果は、あっという間に広まることになった。
何しろ、皇軍と称する異形の軍勢というだけで、実際の戦力を各地の勢力は把握していない。
従って。
「天皇のご謀反をそそのかし、足利幕府を打倒しようとする皇軍を討て」
という態度を多くの勢力が暗黙裡に執った。
その一人が、肥後の一角、人吉盆地を中心に勢力を持つ相良氏の当主、長唯であり、相良長唯が音頭を取ることで、名和氏、阿蘇氏、(更にほぼ没落していて、大友氏からの養子が承継していたが)菊池氏等が、いわゆる一揆を組んで、皇軍が肥後に向かってくるのなら、抗戦するという態度を取った。
この動きは、当然のことながら、皇軍に伝わり、激越な反応を招いた。
「何、名和氏や菊池氏が、足利幕府に味方し、天皇に叛く態度を取っているだと」
牟田口廉也中将以下、第18師団の司令部の面々のみならず、第18師団の将兵の多くが激怒した。
「吉野朝に忠誠を尽くした先祖の名和長年殿や菊池武時殿らに、あの世で合わせる顔があるのか」
「菊兵団(第18師団の兵団文字符に基づく名前)の名を知らしめてくれる」
牟田口中将が直卒する第18師団の主力は、激怒に任せて、肥後への北上を開始することになった。
そして。
八代近辺において、第18師団の主力は、相良長唯を盟主とする一揆軍と激突することになった。
だが、余りの武器の格差(何しろ400年)が、諸に出た最初の戦いとなった。
幾ら怒りに任せているとはいえ、牟田口廉也中将は、当然、陸軍士官学校を出た身である。
従って、戦史教育も当然受けている。
だから、当時の武器や戦術についても、ある程度は予見出来ていた。
更に、その部下の士官達も同様だった。
「適度に散開し、武将や旗持ち等を長距離から狙撃しろ。それこそ、足軽連中まで殺傷することはない。悪いのは武将連中だからな。それにその方が早くケリがつく」
牟田口中将は、そう部下に命じ、部下達も、それに従った行動をした。
この時代の軍隊は、当然のことながら、武将の指揮に従ってしか、基本的に動けない。
散兵戦術等、夢のまた夢の時代なのだ。
だから、いわゆる備を組んで、戦場での進退を行うのだが。
そうなると、必然的にその指揮を執る武将等は目立たないと、指揮自体が執れないということになる。
従って。
「射的の的を狙っているようだな」
「あれだけ目立ってくれれば楽だ」
狙撃役を任された第18師団の将兵の中には、そんな軽口を叩く者まで出だした。
一応、この時代にわざと合わせて、それなりの兵の集団を第18師団の将兵は組んだ。
こうなると、相良長唯を盟主とする肥後の一揆軍も、必然的に備を組んで対処しようとする。
しかし、備を組もうとするということは。
「何だ。あんなに敵の軍勢は離れているのに。こちらの大将は、いきなり倒れるのだ」
「更に鎧を身に付けている方が、怪我が酷いのではないか」
肥後の一揆軍は、徐々にいわゆるパニックに襲われだした。
タネを明かせば簡単な話で、第18師団の将兵の前に、擬装した狙撃兵を配置して置き、肥後の一揆軍がこの時代の常識に合わせた距離に進軍する前に、武将等を狙撃させたのだ。
従って、この時代では弓矢さえ届かない距離なのに、いきなり銃声が聞こえる度に、武将が負傷する。
そして、ライフル銃に狙撃された時、鎧を付けていては、却って鎧の破片で自分の怪我が酷くなる。
そのために、肥後の一揆軍の武将の多くが最前線に赴いては死傷する事態が生じた。
そして、代わりの武将が、最前線に赴くのを躊躇うようになった。
こうなっては。
「裏崩れが起こりだした」
「もうだめだ」
肥後の一揆軍は、本格的な戦闘前に敗走した。
最初は皇軍が火力で圧倒する野戦を描いていたのですが、弾薬不足のリスク等を考慮して、こんな形にしました。
次話等で少しフォローします。
尚、ここまで陸軍士官学校で戦国時代の軍勢について判明していて教示していたのか、私自身も多大な疑問があるのですが、かといって、知らないのも不自然な気がして、このような描写にしました。
ご感想等をお待ちしています。




