第3章ー6
こうして、皇軍と島津氏の初接触は行われることになったのだが。
この初接触は、皇軍側からも島津氏側からも不満、不信が醸し出される結果となった。
これは皇軍側の牟田口廉也中将に因るものが大きい。
牟田口中将にしてみれば、日本人である以上、天皇陛下に忠誠を誓うのが当然で、それこそ身命を賭するのが当然という感覚があるが。
そんなものを戦国時代当時の島津氏に求めるのが、そもそも無理な話だった。
更に言葉、方言の問題がある。
それこそ江戸時代どころか、昭和10年代になっても薩摩弁による会話は、鹿児島以外では全く通じなかったので、陸軍が在外公館との暗号通信に使用した、という半伝説があるくらいである。
もっとも、流石にこれは極端な事例で、島津氏等になると、朝廷や他の勢力との交渉の必要から、それなりにこの当時の標準語的な話法を心得た使僧(外交僧)がいるのが当たり前だった。
そのために言葉を考えて、島津氏、島津貴久としては使僧を、取りあえずは皇軍の下に送ったのだが。
牟田口中将にしてみれば、何で坊主を島津氏は送ってくるのだ、島津貴久自ら頭を下げてくるべきだろう、という想いにいきなり駆られるという事態になってしまった。
(更に言えば、使僧にしても、皇軍とのやり取りには言葉の違いで苦労することになり、そのこともますます牟田口中将らの憤懣を高めることになった)
この辺り、琉球王国は極めて幸運だったと言える。
そもそもこの当時の事情に、必ずしも皇軍上層部は通じていない。
だからこそ、琉球王国はこの当時は独立国であって、日本とは違う、という上里松一少尉の説得、勝手働きが皇軍上層部で余り問題にならなかったと言える。
だが、島津氏は日本本土で鎌倉時代以来、朝廷の恩義を被っている存在ではないか、と皇軍上層部は基本的に思っている。
更に幕末において、島津氏は朝廷を想って、討幕のために働いた存在ではないか、という想いが皇軍上層部の頭の片隅にある。
それなら、子孫同様に先祖も天皇陛下のために身命を賭すべきだ、とつい思うのだ。
だから、牟田口中将の暴走を、半ば誰も止めようとはしないという事態が引き起こされた。
「我々は400年未来から来た天皇陛下の軍隊だ。島津氏には、天皇陛下のために身命を賭して貰いたい」
「はい?」
第18師団司令部まで一苦労した末に、何とか島津氏の使僧はたどり着いたのだが。
牟田口中将のいきなりの発言に、使僧は、訳が分からない、という応答をせざるを得なかったが。
その応答は、当然、牟田口中将の癇に障った。
「貴様、日本人か」
「はい、日本人です」
半ば脅しの入った牟田口中将の問いかけに、使僧はそう答えるしかない。
違います、と言った瞬間、この時代で言えば斬殺される、昭和なら射殺される気配を感じたからだ。
「日本人なら、天皇陛下のために身命を賭するのが当然だろう。違うのか」
更に、いわゆるドスの効いた牟田口中将の問いかけに、
「はい、その通りです」
使僧は、そう答えざるを得なかった。
何しろ、使僧の周囲は完全に銃を持った皇軍の歩兵に固められているのだ。
いいえ、などと答えたら、命はない。
そう考えた使僧は、使僧失格かもしれないが、命を惜しんで、そう答えた。
「それなら、すぐに島津氏の当主に自ら、この場に来るように伝えろ。わしは親任官だ。天皇陛下自ら、師団長に親補された身なのだ。そして、天皇陛下のためにここに来たのだ。島津氏の当主自ら、ここに来るのが当然なのだ。だから、すぐに島津氏当主は、速やかにここに来い」
牟田口中将は、そう言った、いや、命じた。
島津貴久の派遣した使僧は、慌てて第18師団司令部を辞去して、清水城まで走る羽目に陥った。
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