第3章ー7
使僧の復命を受けた島津貴久は、実父の島津忠良を含めた一門、重臣衆を集めて、鳩首協議を開いた。
本音を言えば、異形の軍勢(皇軍)の下に、自分、貴久としては行きたくない、だが、行かねば行かなかったで、それこそ、それを理由として、島津家が滅ぼされそうな気配がある。
とはいえ、どのような対応ができるかというと。
そもそも、今の島津家に2万もの軍勢を集める力はない。
何しろ、薩摩1国を何とか治めていると言ってよい程の勢力しか無いのだ。
先日、深刻な宗家争いの末に、養子の自分が島津宗家を継ぐという形で事実上落着したとはいえ、その過程で、自分の養父の島津勝久は薩摩から事実上は追放されてしまい、自分と抗争した島津一門の実力者、島津実久は、息子の義虎を自分の下に出仕させるという形をとって屈服はしたが、自分自身は貴久に頭を下げることを断固として拒んだままだ。
下手な対応をすると、島津家内の抗争が再燃する恐れがある。
また、その過程で薩摩国内は荒れてしまい、今は国内を癒そうとしている有様なのだ。
そして、何とか兵を集めたとしても、島津軍と皇軍との装備には圧倒的な格差があるとみられるのだ。
明等からの情報もあり、大砲やてつはう(鉄砲)といった武器があるという程度のことは、島津家の人間の間でも知られてはいる。
だが、それを全員が装備していると言ってもよい軍勢等、見たことも聞いたことも無いのだ。
更にその威力だが、途方もないという噂が流れている。
琉球王国が、僅か200名の軍勢が示したその武器の威力の前に無条件降伏を決断したとか、大きな尾ひれがついているのだろうが、そんな噂までも流れているのだ。
(これは上陸してきた第18師団の将兵が流している噂だった。
幾ら方言が強いとはいえ、第18師団の将兵と住民の間で、全く話が通じないという訳ではない。
更に言えば、第18師団の将兵の多くが、九州出身だった。
更に吹上浜周辺が無人地帯ということもない。
そうしたことから、身振り手振りをも交えて、第18師団の将兵は、住民にそういった噂を流し、更に驚いた住民が、周囲にその噂を慌てて話し、という形で、僅か1日で清水城下にまで、その噂が届いてしまったという次第だったのだ)
一刻余りの鳩首協議の末、
「やむを得ん。わし自ら行こう。父上、万が一の時は、よろしく頼みます」
「うむ。お前が行かねば、どうにもならんだろうな。影武者を行かせるという方法も考えたが、万が一、バレた場合の危険を考えると、それもままなるまい」
貴久は、そう決断し、忠良もそれを支持した。
こうなると、異議を唱える者は誰一人おらず、貴久は翌朝、第18師団司令部を訪問することになった。
1月12日朝、島津貴久は供の者を連れて、第18師団司令部を訪問していた。
島津家当主である島津貴久の訪問ということで、牟田口廉也中将の機嫌は直ったが、そうは言っても、皇軍の目的が目的である。
島津家にとって、不本意な交渉が強いられることになった。
「400年未来からの軍勢ですと」
まず、貴久は驚倒せざるを得なかった。
「理屈は分からんがな。そういうことらしい」
牟田口中将は平然と言った。
(なお、実際には、ほぼ使僧を介しての話ということになるのだが、描写を省略している)
「それで、島津家は近衛家に所縁がある家であり、源頼朝公の末裔らしいな」
「はい、その通りですが」
「天皇陛下を中心とする日本を作るために、我々は来たらしい。島津家も当然、協力するだろうな」
「そのことですが」
「何だと」
貴久にしてみれば、目もくらむような話である。
何しろ足利幕府を潰そう、と暗に言われたのだ。
足元がひっくり返る思いがしてならなかった。
ご感想等をお待ちしています。




