第3章ー1 皇軍、日本本土に上陸す
第3章の始まりになります。
1542年1月1日、沖縄に駆けつけている皇軍、大日本帝国陸海軍の将兵は、心から正月を祝っている訳ではなかった。
いや、自分達が過去ではなく、異世界にたどりついたような想いをしている者が大半だった。
「分隊長。妙に雑煮の味が寂しいのですが」
「文句を言うな。餅があるだけでも有難いと思え」
「ここは日本ですよね」
「400年前、しかも沖縄に、鰹節や昆布はないんだ。だから、ぜい沢を言うな」
ある歩兵分隊では、兵の1人が、分隊長とそんなやり取りをしており、他の分隊でも似たようなやり取り等が多発していた。
もっとも彼ら、皇軍の将兵に正月気分が無いのも無理はなかった。
何しろ、沖縄(琉球)の民にしてみれば、彼らは何でお正月を祝っているのだ、という感じで、沖縄の民は日常生活を送っていたからだ。
(この当時の沖縄(琉球)では、当然のことながら旧暦(太陰太陽暦)で暮らしており、この日は12月5日ということになっていたからである。
なお、日本でも同様で、この日は、天文10年12月5日ということになるが)
そして、それを見た皇軍上層部だが。
「分かっていたこととは言え、暦が違うと言うのは、本当に違和感があるな」
「一応、自分達も生活の中で、旧暦を全く使っていなかった訳では無いのですが、こう違うと言うのを見せつけられてしまっては、私も何とも言えない思いをしますな」
そんな会話を、例えば、山下奉文中将と鈴木宗作中将はする羽目になった。
ちなみに、二人共に、一応は心尽くしの雑煮を食べられはした。
だが、それこそ上記のような代物なので、二人共揃って、(内心で)苦笑いの表情を浮かべながら食べるしかなかったのだが。
「ところで、あの男はどうなさるおつもりで」
「近藤中将と話し合い、賞罰併せた処分を下す」
「分かりました」
山下中将は、鈴木中将とそんな会話をした。
なお、山下中将らが沖縄(琉球)にいる理由だが。
それは年明け早々に、日本本土に速やかに皇軍を進軍させ、天皇陛下を蔑ろにしている逆賊共を討伐するために他ならない。
日本史上最大の逆賊、足利尊氏に従い、正当な天皇陛下が治めた吉野朝を骨の髄まで苦しめ続けただけでは飽き足らず、100年以上も今なお、天皇陛下を苦しめ続ける武士、逆賊どもを改心させ、正しい日本を速やかに取り戻さねばならない。
「それにしても、本当に速やかに君側の奸を除き奉り、万民平等の御代にせねばな」
「全くです。綸旨に従わない逆賊は滅ぼされねばなりません。特に徳川とその譜代は」
「禁中並びに公家諸法度を下す等、臣下の身に過ぎないのに、200年以上も天皇陛下を徳川家やその家来は苦しめ続けた。そのような事態を引き起こすことは、断じて避けねばならん。そのために予防措置を講ずるのも当然のことだな」
そんな物騒な会話までも、山下中将と鈴木中将は新年早々に交わしていた。
さて、あの男と呼ばれた人物は?
というと。
「皇軍と名乗る人達は、お正月だ、と言っているけど、何でお正月なの」
「皇軍というか、未来では暦が変っているからね」
「何で暦が違うの」
「もの凄く簡単にいうと、太陽の動きだけで暦を決めているからだ。今の暦は太陽と月の動きで1年の暦を決めているけど、未来では太陽の動きで1年の暦を決めている」
そんな会話を、妻では無かった婚約者の張娃と、上里松一少尉は交わしていた。
そして。
上里少尉は、張娃を誰に託すべきか、について最終決断を迫られていた。
勝手働きのケジメをつけるために、海軍から退役して民間人に上里少尉はなるつもりだったが、山下中将らの意向も受けた近藤中将により退役を拒絶されて、望んでいなかった仕事を命ぜられる羽目に陥っていたのだ。
細かいことを言うと、この当時の沖縄(琉球)に鰹節は既にあったかもしれないのですが、昭和16年(?)からこの時代に赴いた皇軍の将兵にしてみれば、こんなの鰹節じゃない、という代物だったのは間違いないようです。
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