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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.8 てのひらにほしを
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てのひらにほしを(2)

 セイは、ユイの隣に腰かけた。ほんのりと煙草の臭いがする。まだ止めてないんだ。そう思うと、ユイの中にはまた新たな懐かしさが込み上げてきた。

「この場所を、誰かに教えたのか?」

「まさか、教えると思いますか?」

 ユイの返事を聞いて、カウンターの内側にいるクウコがイキキ、と笑い声を漏らした。

「アモちゃんは相変わらず女子の扱いがダメだなぁ」

 不機嫌そうに眉根を寄せると、セイはふん、と鼻を鳴らした。

「ここはそもそも魔法使いに教えて良い場所じゃない。俺はそのことを言っているんだ」

「はいはい、そういうことにしておくよん」

 ひらひらと手を振ると、クウコは「お邪魔しましたん」とその場から離れた。厨房の中に入って、姿が見えなくなる。静まり返った店内には、セイとユイだけが残された。

「じゃあ、フユっていう女の子は今は――」

「ああそうだ」

 観念したように、セイは打ち明けた。


「あの子は今、バルバロイに保護してもらっている」



 魔法使いたちが、全て善意に基づく者たちであれば、世の中に困ったことなど何もない。それは戦争や差別のない世界を望むのと同じことだ。理屈の上では、それが正しいと判っている。実現不可能な絵空事などとは、誰にも言い切ることはできない。

 しかし、現実問題としてそんな世界は存在しないし、あり得ない。紛争の種はそこかしこに無数に転がっていて、今現在も火を噴いている真っ最中である。

 そして悪意を持った魔法使いもまた、確実にそこに『存在している』のだ。


 かつて、魔法使いたちは生命の禁忌を犯す実験に明け暮れていた時期があった。物事の流行はやすたりのようなものだ。そんな酔狂な時代の潮流の中で、数多くの合成獣キメラ亜人間デミたちが生み出された。

 見世物として、魔法使いの道具として。およそ命あるものとして扱われない彼らを救済するために、『バルバロイ』と呼ばれる組織が結成された。

「バルバロイは、人ならざるモノが魔法使いの手から逃れるための隠れ里だ」

 理由わけあって、人の社会の中で生きるのが困難な者。それらを非人道的な魔法使いたちの魔の手からかくまうために、バルバロイは存在していた。

 いかに宮屋敷家辺りが、『善なる魔法使い』を標榜してみせたとしても。人間のその本質までが変わることはない。被害者と成り得る者たちが存在し続ける限り、それを庇護ひごするバルバロイもまた、存在する意義を持っていた。

「本来なら、魔法使いがバルバロイにアクセスすることは固く禁じられている」

 魔法使いであれば、バルバロイを訪れることは原則として禁止されていた。そこはもう、人間の世界ですらない。バルバロイを求める者には、安らかな眠りが保証されていなければならない。バルバロイは、人として生きることのできない者が、ひっそりとその命を終える場所だった。

 この喫茶店『潮騒』は、そのバルバロイへの窓口を担っている場所の一つだった。裏社会である魔法使いのコミュニティの中でも、更に裏に属している。秘密中の秘密。むしろ忘れ去られてしまった方が、かえって問題は減るだろう。

 何故ならバルバロイの住民は――人々や魔法使いたちの記憶から、完全に消え去ってしまうことをすら望んでいるのだから。


「天羽先輩は、あの子をどうするつもりなんですか?」

 ユイはじぃっとセイの横顔を見つめた。ユイの良く知っている魔法研究会の部長であった頃から、セイは何も変わっていないように思える。それが正しいのか、間違っているのか。ユイは、見極めなければならない。

 魔法研究会の一員として。

 『大いなる世界の善意』として。

「俺は――」

 しばらく言葉を詰まらせてから、セイはうつむいた。

 世界の在り方自体を変えるほどの力を秘めた魔性の道具、『銀の鍵』。それを操る少女フユを手に入れた、天羽セイ。セイが望むこととは、何なのか。ユイは固唾を飲んでセイを見守った。


「正直に言えば、どうするべきなのかは判らない。ただ、相手が誰であれ、俺はフユを魔法使いには渡したくないんだ」


 セイは目の前のコーヒーカップを見据えていた。

 その気になれば、何でもできる力をそのてのひらの中に収めて。


 セイの心は、ずっと揺れていた。


「橘は、フユのことをどのくらい知っている?」

 ユイはフユについて聞かされたことを思い返し、そのまま目を伏せた。願望器である『銀の鍵』を暴走させて、契約を故意におかしなものにするために。魔法使いたちは、その少女からあらゆる希望を奪い去った。


 両親も、家族も。

 喜びも、温かさも。

 名前さえも与えず。


 痛みと、苦しみと。

 死を許さないことだけを与えた。


「あの子は寒い季節に産まれた。冬生まれ――だから『フユ』だ。あの子には何もない。あの子にとって、世界は虚無だった」


 どんな願いをもきき届けるもの。『銀の鍵』を前にして、フユは願った。自己の消滅を。いなくなりたい。死なせてほしい。強烈な自己否定の意志を受けて、鍵の契約は暴走した。

 実験は成功した。心を持たない少女に、『銀の鍵』は不完全な契約を伴って定着した。究極の力を自由に使役する操り人形を、魔法使いたちは手に入れたのだ。


「何もないあの子は『銀の鍵』を手にしてしまった。それが、悲劇の始まりだった」


 魔法使いたちも、『そのこと』はまるで考慮していなかった。フユという存在は空っぽで、そこには何もないと思い込んでいた。だが、実際にはそうではなかったのだ。


 フユは、人間だった。


 『銀の鍵』の力が、フユに周囲の人間の心を読ませてしまった。そして瞬時にして理解させてしまった。

 それまでフユは、ただそこにいて、苦しくて、死んで消えてしまいたいと、そう望むだけの存在だった。

 違う。そうではない。

 フユは人間だ。本当なら誰かに愛されて。両親がいて。家族がいて。抱き締められて。笑って。友達がいて。まぶしいほどの光に包まれて。


 人間として当たり前のものを手に入れて。当たり前に生きるはずの存在だった。


 それがこんなところで、手に入るはずだった全ての可能性を奪われて。

 ぐちゃぐちゃにされて。ゴミのように扱われて。


 とてもあわれで。

 とてもみじめな。


 取り返しのつかない、どうしようもない・・・ボロボロに傷付いた、人間の女の子だった。


「フユはその時まで、自分がどういう境遇の存在なのかを知らなかった。周囲の人間の心を読み、それを理解することで、初めて自分が何者なのかを知った。そこにいる魔法使いたちが、どんな目で自分のことを見ているのかを認識した」


 フユの中に押し込められていた感情がほとばしり。


「その場にいた魔法使いは、全員死亡した。報い、と呼ぶには生易しいだろう。フユが欲しがった死を、あいつらはいとも簡単に手に入れることができたんだからな」


 より深い絶望の海に沈んだフユの下に。

 最初に辿り着いたのが、セイだった。


「『銀の鍵計画』に関わったのは俺の意志だ。それを否定するつもりはない。俺は、善意に基づいた魔法使いなんかではない」


 血の海の中で、膝をかかえてうずくまるフユの姿を見て。

 セイは、うらやましいと感じた。

 セイが欲しくてたまらなかった強い力を、彼女は手に入れることができたのだ。

 ほこるべきだ。

 喜ぶべきだ。

 そしてそれは。


「誰にも渡すべきものではない。『銀の鍵』はフユのものだ。俺はフユを、魔法使いの手には渡したくない。あの子が自分の意志で、本当の願いを見つけて使うべきものだと・・・そう思っている」


 セイは独白を終えると、カウンターの上で強く拳を握り締めた。その姿がとても懐かしくて。

 ユイは、確信した。


「天羽先輩」


 セイの手に、そっと自分のてのひらを重ねた。そうだ、間違いない。この人だ。


「良かった。天羽先輩が変わっていなくて安心しました。本当に・・・良かった・・・」


 意図せずに涙がこぼれ落ちて。それでも、嬉しくて仕方がない。

 今ここにいるのは、天羽セイ。


 かつて。いや、今でもなお。

 ユイが好きになった、どうしようもなく乾いた――力を求める魂を持つ人だった。




 サービスエリアに車を停めて、魔法研究会の面々はぞろぞろと外に降りてきた。秋晴れ、というには少々、いやだいぶ強すぎる。元気な午後の太陽に照らされながら、一同はレストハウスの中に入っていった。

「じゃあここで一時間休憩な。トイレとメシ、各自で適当に」

 キョウスケはそう宣言したが、みんなそこまでバラバラに行動するわけではない。冷房の効いた屋内にあるフードコートで、ひとかたまりになって昼食を摂ることになった。


「で、榊田。お前はこれで構わないわけ?」

 四人がけのテーブルに、シンとアユム、ヒロエ、ユイが座っている。少し離れた別なテーブルには、コトハとキョウスケが着席していた。

「いや、ここで俺があっちのテーブルにいくのもどうかと思うじゃないですか」

 コトハはキョウスケと何やら談笑している。キョウスケが胸ポケットから煙草の箱を取り出して、コトハがそれを取り上げようと手を振り回した。声は聞こえてこなくても、何をしているのかは一目瞭然だった。

「シンちゃんがそれで良いなら構わないけどさぁ」

 ヒロエはストローでクリームソーダに息を吹き込んだ。ぶくぶく、じゅわぁ。炭酸の白い泡が、こぼれそうなくらいに膨れ上がる。それを面白くなさそうに眺めてから、ヒロエはストローを抜いてシンの方に向けた。

「見てるこっちが痛々しい」

「富岡先輩、行儀悪いです」

 ユイに注意されて、ヒロエは「うへぇーい」と両手を上げた。

「・・・でも榊田君、本当に無理してない?」

 結局、ユイにまで心配そうに声をかけられて。

「まあ、正直気分が良いってことはないです」

 シンは観念して、心のうちをさらけだした。



 天羽セイに出会ってから、コトハは目に見えて元気がなかった。『銀の鍵』がらみで実家と頻繁に電話をするようになり、部室でも話をする機会は少なくなった。

「俺が宮屋敷先輩の力になってあげられればいいんですが」

 シンの申し出を、コトハはやんわりと断ってきた。


「すまない、榊田君。これは『宮屋敷』が片付けなければいけない問題だ」


 口調こそ柔らかくて、穏やかなものではあったが。その意志は強固で、譲るつもりなど微塵もないものだった。

 忙しそうにしながらも、それでもコトハはシンと一緒にいようとしてくれた。部室に顔を見にきてくれる、校内で声をかけてくれる。なんとか時間を作ろうとしてくれる。

「それが逆に、なんだか申し訳なくて」

 シンは魔法使いとしては、まだまだ駆け出しにすぎなかった。稲荷神社でセイと直接対峙はしても、そこから得られる情報などはたかが知れている。シンはただ捕らわれて、振り回されて。悲しい未来の可能性を見せられて、うずくまっていただけだ。

 シンがどんなにコトハの役に立ちたい、支えになりたいと願っていても。コトハの助けになれるような材料は、何一つ持ち合わせてはいなかった。

「だから、この合宿の間は、佐次本先生に沢山甘えてもらった方が良いかな、って」

 キョウスケはコトハのゼミ担当だが、コトハの専任というわけではない。他のゼミ生もいるだろうし、大学にいる限りは准教授の仕事だってあるだろう。この夏合宿は、コトハがキョウスケのことを独占できる絶好の機会だった。

 コトハを元気付けるのなら。シンよりも大人で、一人前の魔法使いでもあるキョウスケの方が、ずっと上手にやってくれる。コトハの方も、キョウスケに対しては相変わらず好意を抱いているはずだ。


「悔しいですけど、今は佐次本先生にお任せする方が、宮屋敷先輩のためになると思うんです」


 シンは無力だ。魔法使いとしても、一人の男としても。それを自覚しているからこそ。

 自分のふがいなさが嫌にもなるし。

 誰か他の人間――キョウスケにゆだねるしかない、とも思ってしまう。


 今のシンには、コトハのためにできることなんて、何もない。



 ピピー、ピピー。

 呼び出しブザーがけたたましく音を立てた。シンの注文が先に揃ったようだ。「すいません、取りにいってきます」シンはそそくさと席を立った。


「榊田は心底アホだな」

 シンが十分に離れてから、アユムは吐き捨てるように言い放った。

「今の魔女先輩に必要なのは、力でも頼り甲斐でもないだろうに」

「それは、なかなか判らないものですよ」

 頬杖をついて、ユイはコトハの方に視線を向けた。

 椅子から半分身を乗り出して、コトハはシンの姿を見送っていた。追いかけるべきかどうか、迷っているのだろう。キョウスケがうながしたようだったが、コトハはそのまま座り直してしまった。シンが気を使っていることを、コトハも察しているのだ。お互いに不器用なことこの上ない。

「あれで恋愛経験はほとんどないんだからなー。魔女先輩初心(うぶ)すぎるわ―」

「ヒロエには言われたくないだろうよ」

 好き勝手なことを口にしている失礼な先輩たちの方に顔を戻そうとして。

 ユイは、シンが座っていた椅子に、シキが腰かけているのに気が付いた。


 五、六歳くらいの、長い髪の似合う女の子だ。白いワンピースに、淡く透き通るような美しい四肢。シキはシンとコトハの間に、将来産まれてくることになっている魂だった。

 二人を結びつけ、自身を産まれさせるために。魂に二つ名を刻み付けてまで、想像もつかないほどの覚悟を持って。シキは因果律を越えて、この時間にやってきた。

 セイと――正確にはフユと衝突してからは、シキも今一つ浮かない様子だった。


「シキちゃんも、心配しているのね」


 言葉を扱えないシキは、ただ黙ってシンの方を見つめていた。セイはシンに、シキのいない未来の可能性を見せてしまった。シキにとってそれは、許されざる行為だった。

 シキが望む未来は、シキが存在する未来でしかありえない。そもそもシキの目的は、シンとコトハに自分を産んでもらうことだ。真っ向からそれを否定されたのなら、敵対もしようというものだろう。

 確かにそれは、シキにとっては残酷な仕打ちだったのかもしれないが。


 可能性から目を背けたままでいることもまた、良くないことではあるのかもしれない。


 天羽セイなら、きっとそう判断する。それが判るからこそ、切なげにシンを求めるシキの姿が、ユイには心苦しかった。


「アモさんかぁ」

 ヒロエは大きく仰け反ると、レストハウスの天井を見上げた。高い位置にある木のはりから、いくつもの電灯がぶら下げられている。まぶしそうに眼を細めてそれを凝視すると。


「相変わらず、魔女先輩のことが嫌いなのかねぇ」


 ぼんやりとそう独りごちた。


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