てのひらにほしを(3)
もとより、『銀の鍵』を使って世界をどうこうしようなどという意思は持っていなかった。
ただ、力が欲しかった。天羽セイは、何でもない、ごく普通のありふれた魔法使いだ。優れた血筋を引いているわけでもなく。数奇な運命とそれを表す二つ名を与えられたわけでもない。類稀な魔術の才能を持って生まれたわけでもない。
そんなセイでも、何者にも負けない力を手にすることができると、証明したかった。
「『銀の鍵計画』に参加したのは、単純に力が得られると思ったからだ」
尖央大学魔法研究会の部長経験者。そして、あの宮屋敷コトハと折り合いの悪い男。別にいがみ合うほどの関係ということもなかったが、周りから見てどう判断されるか、の方が重要だったのだろう。魔法使いとしての能力を活かしつつ、どのような職に就くべきかと思案しているセイに。
『結社』が声をかけてきた。
「『結社』、ですか?」
「具体的な名前を持たない組織なのだそうだ。対外的には企業の共同出資による研究所として扱われている」
ユイは首をかしげた。フユのような女の子を、恐らく赤子の頃から隔離して実験に用いていたのだ。その規模はかなり大きなものだと推測される。人に知られずにそれだけのことをするのに、そんなあやふやな組織運営でなんとかできるものなのだろうか。
「俺のような末端には、全貌を知ることなんてできないってだけの話だ。実際、あの事故で死んだ魔法使いの名前を見て、肝がつぶれたよ」
セイは自嘲気味に笑った。『結社』の詳細については何も判っていない。これは今後の大きな課題だった。
最も見込みのある実験体として、フユの『銀の鍵』契約実験には数多くの『結社』幹部が立ち会っていた。自らも力ある魔法使いである者たちばかりだ。そういった驕りもあったのだろう。その場にいた全員は、フユの感情の爆発に飲み込まれて原形を留めぬ肉塊へと変わり果てた。
「恐らく『結社』はもう機能していない。秘密を知る者も、せいぜい断片的な情報を持っている程度だ。『結社』の方も、宮屋敷の方も、今は事態の収拾で手一杯なんだろう」
だからこそ、セイはあの場からフユを連れ出すことができたのだ。大した追手もかかることはなく、今もこうして『潮騒』でユイと並んでのうのうとコーヒーを飲んでいられる。せいぜい宮屋敷のお行儀の良い監視にさえ注意していれば、隠れて歩く必要ですらないというくらいだった。
「ただ、フユの存在は特別だ。『銀の鍵』の生体制御装置。どいつもこいつも、フユのことは躍起になって手に入れようとしてくるはずだ」
人の心を奪われて――
そして、人の心を取り戻した、究極の力『銀の鍵』を持つ女の子。
最初に実験体としてのフユの姿を見せられてから、セイはずっと自問自答を繰り返していた。これが、自分の求めていることなのだろうか。力を得るために、他人の魂をすりつぶして。誰かを道具にして、踏み台にして。そうして手に入れたものは、果たして偽りなく自分のものであると言い切ることができるのだろうか。
協力者として、セイは実験体の子供たちに魔術をかける手伝いをすることになった。思考を、感情を殺していく。生きているのに、死んでいるのと変わらない精神。肉体を制御して、指示に従うだけの、道具のような存在。これは『正しい』のだろうか。計画に協力して一ヶ月ほどで、セイは考えることをやめた。善悪の問題ではない。これは、力を得るための儀式なのだ。
実験の当日、セイは体調が優れないと言ってロッジを離れていた。失敗すれば、実験体の子供が一人死ぬ。成功したとして、得られるものは何なのだろう。煩悶としているところに、ロッジの異変が知らされた。セイは、いの一番に現場に駆けつけて――
『銀の鍵』を手に入れたフユを目の当たりにした。
何もない、空っぽだったフユの中に。熱い激情が渦巻いているのが感じられる。
セイは『正しい』と思った。フユは得るべくして力を得た。他の誰のものでもない。セイのものでもない。フユはあの絶望の中から、自分の手で、自分の力を掴み取ったのだ。
今更、何をしたところでセイの罪が償えるなどとは思ってはいないが。
フユには、自分の意志で生きてもらいたかった。力を手に入れた者として。『銀の鍵』を持つ者として。
一人の、女の子として。
フユにはその権利がある。そのために、地獄の日々を生き抜いてきたのだ。これだけの力を得たフユに、未来という報酬が与えられないはずがない。
それを脅かす者がまだいるというのなら。
まずはそいつらをおびきだして、根こそぎ引っこ抜いてやる必要があった。
「俺のところに『銀の鍵』があると知れば、仮に『結社』の残党がいるのなら、向こうから寄ってくる。わざわざ宮屋敷にも喧嘩を売ってやったんだ。アピールとしては十分だ」
宮屋敷コトハの『現理』を打ち破るほどの、『銀の鍵』の力。これが健在であり、尚且つ宮屋敷家の手に落ちていないことが判ったのならば。『結社』の生き残りからしてみれば、まず黙ってはいられないだろう。
「そんな理由で宮屋敷先輩にちょっかいをだしたんですか?」
あまりに呆れ果てて、ユイの声は裏返っていた。
「それだけじゃないが・・・まあ、どちらにしろ、大した理由ではないんだがな」
くつくつとセイは笑い声を漏らした。ユイは思わず頭を抱えた。この二人はどうしてこう。
本質的なところで、そっくりなのだろう。
「『結社』が問題なんですよね? じゃあ、宮屋敷先輩には協力してもらえばいいじゃないですか」
宮屋敷家は善なる魔法使いの有力な一族だ。コトハの方も、この前の夏祭りの一件については、そこまでは根に持っていない。コトハはセイに腹を立てているというよりも、自分の不甲斐なさを悔やんでいる様子だった。事情を説明すれば、力を貸してくれる見込みは十分にある。
「俺が? 宮屋敷に? 冗談だろう」
そうだろうな、とは思ってはいたのだが。セイは即答で拒絶した。
「宮屋敷の手は借りない。そもそも、魔法使いは信用できない」
フユを作りだしたのは、魔法使いだ。いかに善であることを主張していたとしても、宮屋敷家の人間も魔法使いであることに変わりはない。『銀の鍵』の持つ力に対して、その欲望を抑えることができるという保証はない。それに。
『結社』が何処まで入り込んでいるのかは、判らないのだ。今は『魔法使いである』ということが、最も信用ならないことに等しかった。
「私だって、魔法使いですよ」
むっと膨れたユイを見て、セイは明るく笑った。
「橘の場合は『おせっかい』だろう。相変わらずだな」
――懐かしい顔だ。
ユイがそう思ったのもつかの間、セイの表情はまた暗く、強張ったものに戻っていた。
「すまない。本当は、橘にも関わってほしくなかった。巻き込むつもりはなかったんだ」
セイが『結社』の残党に付け狙われるようになるならば。セイと接触したユイにも危険は及ぶことになる。事態が深刻であればあるほど、なるべくなら無関係なままでいてほしかった。
「なぁーにが、『巻き込むつもりはなかった』なんだろうねぇ」
ひょこ、っと厨房からクウコが頭だけを突き出してきた。顔満面に、意地の悪い笑みを浮かべている。チェシャ猫、というよりはドラ猫だった。
「わっざわざユイちゃんの稲荷神社に出向いていってさ、姿までさらしておいてさ、もう三日もウチのお店に居座ってさ。へぇー、巻き込みたくなかったんだぁ。じゃあさっさと追い返せば良かったなぁ。ああーん、失敗失敗。取り次いじゃって、ゴメンねぇ」
火でも噴きだしそうな勢いでセイに睨みつけられて、クウコは素早く退散した。まあ確かに、夏祭りではなくても、コトハとシンにちょっかいをだす機会なんていくらでもあった。『銀の鍵』の力さえ誇示できれば、後は何だって良かったはずだ。
ばつが悪そうにそっぽを向いているセイを見上げて。
「お待たせしてすいません。頼りにしてください、天羽先輩」
ユイは、くすり、と微笑んだ。
魔法研究会の一行は、夕方近くになってようやく目的地に到着した。緑溢れる急な斜面に、タニシみたいに家屋が貼りついているような集落。平らな場所が珍しいくらいの、坂――というより山そのものという村だった。
セミやら鳥やらがぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる中を、舗装されているだけマシというレベルの道をガタガタと進んでいく。ひとまず宿に荷物を置こうと、車は民宿の方に向かった。
「毎年毎年、車に乗ってるだけでアトラクションですね」
「舌噛むぞ、宮屋敷。みんなちゃんとシートベルトしとけよ」
こんな調子で、民宿なんてどんなボロ屋なのかとシンは不安になったが。
予想に反して、かなり立派な日本家屋だった。旅館と呼ぶには確かに小さいかもしれないが、宿泊施設だと思えば十分に合格点だ。駐車場に車を停めると、本番にだけ使う荷物を残して、私物と練習に使う最小限の小道具だけを降ろすことになった。
オフシーズンということもあり、宿は魔法研究会の貸切だった。一階は宴会場にもなる畳敷きの大広間。食事はここで食べることになる。また、打ち合わせや通し稽古にも使うので、基本的にこの部屋が合宿の中心になるとのことだった。
二階には個室、というか寝るための部屋がいくつかあった。今回の合宿では、男子部屋と女子部屋の二部屋だけを使用する。他も全て空き部屋ではあるのだが、無駄に使って汚す必要はないだろうとの判断だった。欲しければ一人部屋を使うこともできるが、そこまでする意味も暇もない。この合宿は、シンが思うよりもずっとハードなものらしかった。
後は、大きな浴場があった。残念ながら温泉ではなくて、沸かし湯だ。それでも、上げ膳据え膳で風呂まで用意されているというのは、一人暮らしをしているシンには十分に魅力的だった。
「あれ、今年は白い人はきてないんかね?」
シンが荷物を運んでいると、民宿のおばちゃんがそんなことを訊いてきた。なんのことだろう、と途方に暮れていると、ヒロエが代わりに応えてくれた。
「アモさんは去年で卒業しちゃったんですよ」
「ああー、この前は四年生だったかね。そりゃ残念だ」
そう言えば、天羽セイは、シンが出会った時には真っ白いトレンチコートを着ていた。あのカラーは魔法研究会に所属していた頃からのものだったのか。
「毎年毎年白くてなー。目立つからすぐ判ったわ」
なるほど。大学在学中は常に白で通していたらしい。大したポリシーだ。想像してみるとなんだか可笑しかった。あの恐ろしい男も、おばちゃんにかかればただの『白い人』なのだ。ある意味魔法使いらしくて良いのかもしれなかった。
チェックインして荷物を降ろし終えると、今度は公演場所である公民館に挨拶がてら下見にいくことになった。またガタピシ道路だ。十五分ほど車内でシェイクされると、ようやく普通に舗装されたアスファルトになった。同じ国道だというのに、状態に違いがありすぎる。公民館の方は、なかなか年代物のがっしりしたコンクリートの建物だった。
村長というおじいさんと、広報課というおじさんが一同を待ち構えていた。こんな手品に毛が生えたようなマジックショーであっても、村にとっては大イベントであるらしい。一通り挨拶を交わして、鍵を開けてもらって中に入る。普段はカラオケでしか使わないという、二十畳くらいの広い部屋が今回の会場だった。
「去年と同じでいけると思うけど、念のため測量しておいて」
コトハの指示を受けて、シンはアユムと共にメジャーを持って部屋の中の広さを確認し始めた。何処までをステージにするのか。機材を置く場所はどうするか。記録用のカメラはどの辺りに固定するのか。去年までの資料が残っているので、それを付き合わせながら一つ一つチェックしていく。測量が終わった位置には、付箋紙を貼ってマークしておく。ざっと見た感じ、取り立てて大きな問題はないようだった。
後は、舞台設営用に置いていけるものは車からだして、明日まで保管しておいてもらう。当日は午前中にセットの設営を終わらせて、午後に本番、ショーの開演をおこなう流れだ。
「ああ、宮屋敷さん。天羽さんはもう卒業したんだっけ?」
荷ほどきの最中に、シンはコトハが村長にそう声をかけられているのを耳にした。
「そうなんですよー。白いのがいなくてびっくりされました?」
「いやいや、目立つ人がいなくなったから、逆に目立ってますわ」
二人は、あっはっは、と談笑していた。なんとも言えない、不思議な気分だった。シンのそんな様子を察したのか、一緒に舞台用のスチールパイプを準備していたヒロエが、ぽつり、と呟いた。
「アモさんは人気があったからねぇ」
「そうなんですか?」
あっさりと食いついてきたシンに向かって、ヒロエはにやり、と口角を持ち上げてみせた。
「イメージが違う感じがする?」
「はい・・・」
シンが知っている天羽セイは、無機質で、冷酷な印象を受ける男だった。シンが心の底に仕舞い込んでいた、忘れたい気持ちを全てほじくり返して。それを、別な可能性だと言って突きつけてきた。
確かにそれは、シンの中にある大きな力を持つ未来の一つかもしれない。
ただ、シンはそれを望んでなどはいなかった。コトハが見せるべきではない、見せなくても良いと判断したものなら。
そのまま、そっとしておいてくれても構わなかったのだ。
「アモさんは、魔女先輩が嫌いだったからなぁ。魔女先輩のお気に入りのシンちゃんは、目の敵にされてるのかもね」
話を聞く限り、コトハとセイは衝突することが多かったようだ。コトハは言葉を濁して多くを語ろうとはしなかったが。どうも生真面目な性格のセイは、怠け癖のあるコトハとはそりが合わなかったらしい。
コトハのぐうたらっぷりに関しては、シンにも擁護のしようがない。何しろ部室にソファを持ち込んで、放っておけば一日中ぐうぐう昼寝をしているのだ。それに膝枕されているシンの方も、言い逃れのできない同罪だと言える。よくよく考えてみれば、OBの先輩にそのことを怒られたのだとしても、反論の余地はほとんどなさそうだった。
色々と思い当たって微妙な表情になったシンを見て、ヒロエは「ウヒヒ」と妙な笑い声を上げた。
「アモさんはね、魔女先輩――というより、宮屋敷が嫌いだったんだよ」
「宮屋敷って、宮屋敷家ってことですか?」
「そうそう。魔法使いの血統とか、名家とか、そういう、権威ってヤツだ」
宮屋敷家は、現代の魔法使いたちの間では知らない者はいないくらいの歴史ある名家だ。コトハはその本家の一人娘。権威の塊であって、その象徴であるとも言える。
「それから、二つ名」
二つ名は、魔法使いが師匠から受け取る、進むべき道の標となるものだ。アカシックレコードの上を俯瞰し、連綿と続いている時間軸の先を見越して。魔法使いの師匠は、弟子にその在り方を二つ名として伝える。
それは生き方を強要する呪いでもあるし。
未来を保証する幸せの約束手形でもある。
魔法使いたちはより良い未来、より光り輝く世界を目指して。幸福の襷である二つ名を、弟子たちに贈り続けてきた。特に宮屋敷家は、そんな魔法使いたちの二つ名を用いた人生のリレーを、大切な儀式として引き継いできていた。
「未来は自分自身の手で掴むもの。それがアモさんのモットーだったからさ」
なまじ見えてしまうからこそ、そんな未来に振り回されてしまう。
未来が全て可能性だというのなら。
最も大事なことは、自分の意志だ。
確率とか、アカシックレコードなんて何の意味もない。本当に望むものは、自らの手で掴んでみせる。
天羽セイは、運命に抗い。
魔法使いであることに染まらない白を纏う――そんな魔法使いだった。




