こころとかすよる(4)
日が暮れて、祭り提灯に火が燈った。陽気な祭囃子が流れて、広くもない神社の境内には多くの人が集まってきた。
町内会以外にも、いくらかの屋台が軒を連ねている。規模としては確かに小さなものかもしれないが、活気は十分すぎるくらいだ。賽銭箱の近くの濡れ縁に腰かけて、シンはコトハと共にその光景を眺めていた。
「すごいですね」
「ああ、さながら百鬼夜行だな」
魔法使いである二人には、人の賑わい以外にも目に見えない多くのモノの姿が視えていた。妖怪とか、魑魅魍魎とか。そう呼ばれるモノたちだろうか。人に似て、人ではない姿形をしたモノ。ヘビの頭をした坊主や、半裸の巨体を持つ牛鬼、狐の面を付けた小柄な猫背の集団。それらが、人の間に紛れて我が物顔で練り歩いていた。
「わははは、いいぞいいぞ、良くきたな」
その中でも一際騒々しいのが、賽銭箱の上で胡坐をかいているトヨだった。境内に入ってきたモノたちは、最初に必ずトヨの前にやってきて挨拶詣でをする。トヨはそれら全てに余さず返礼をして、盃を交わしていた。気さくで、人付き合いの良い神様だ。なるほど、これが隠れたままでは面白くなかっただろう。
すっかりできあがって、それでもトヨは更に升酒を空け続けている。周りで囃し立てるモノたちもいて、完全に宴会状態だ。人間のお祭りの盛り上がりに比例して、モノたちも浮かれはしゃいでいる様子だった。
「よう、お疲れだったな」
ひらり、とシンの前にどこからともなく雉虎の大猫が姿を現した。ユイの使い魔であり、元々はトヨに仕えていた猫のサキチだ。その横には、同じくらいの大きさの茶虎の猫が座っていた。サキチに負けないくらいの巨体で、こちらは「でっぷり」という表現の方が的確だ。
「こいつはトラジ。俺に代わってこの辺りのまとめ役をやってもらってる」
「どうも、榊田シンです」
シンの自己紹介を聞くと、トラジはつまらなそうにシンの顔を一瞥して。そのまま、ふいっと歩いていってしまった。
「すまんな、あいつは愛想がない」
猫なんてそんなものだろう。猫からしてみれば、人間など面倒臭い物質文明を持ったのろまな生き物でしかない。猫たちはより高次な独自の精神文明を築いており、人間の社会などには何の興味も持っていなかった。それでも、神様に仕えたり、魔法使いたちと協力して、物質文明の手の届かないところにある問題を解決してくれている。同じ世界、同じ理に生きる広義の仲間、といったところだった。
「トヨ様の相手は面倒だっただろう。たまにああいう癇癪をおこされるんだ」
「まあ、可愛いものじゃないか。あんな神様がいるなんて、毎日が楽しい限りだ」
コトハの言う通り、シンもトヨのことを可愛い神様だと思った。キクリのように、真摯で真っ直ぐな神様も悪くはない。一方、トヨのように親しみやすくて、一緒に笑ってくれるような神様もまた、その在り方としては正しいのだろう。次にキクリの社を訪れた時には、そんな話をしてみても良いかもしれない。キクリのことだから、一笑に付されて終わってしまうかもしれないが。
ふと境内の方に目をやると、ユイとナオが忙しそうに動き回っていた。小さなお祭りであっても、やることはいくらでもある。ここでサボっているのは、あまり良いことではなさそうだった。
「何か手伝うことがないか、聞いてきますね」
「ああ、じゃあ私の焼きそばを買ってきてくれ。あとラムネ」
コトハの方は、働くつもりなどまるっきりないらしい。そうだとは思っていた。「はいはい」とシンは適当に返事をした。
人が多いところでは、シキはあまりでてこようとはしない。しかし、これだけ目に見えないモノに溢れている場所だと、シキがいたとしても何の違和感もないだろう。
「シキ」
試しに呼びかけてみると、シンの隣にシキが現れた。見慣れないモノが大量にいるせいか、不安げに左右を見回している。シキには少々刺激が強すぎるかもしれない。しかしそれでも。
シンは、シキと並んでお祭りを歩いてみたかった。
後ろに目をやると、コトハが手を振っているのが見えた。コトハがいて、シキがいて。シンがいる。星明りの下に、祭り提灯があって。ざわついた人いきれの中に、溶け込んでしまいそうになる。
昔、シンは母親と二人で縁日に出かけたことを思い出した。両親が離婚して、父親がいなくなって。繋いでいる母親の手を、シンは強く握りしめていた。離したら、母親までが消えていってしまいそうで。シンはただひたすらに、母親の傍から離れないようにしていた。
町内会の屋台で、ナオがトウモロコシを焼いていた。三島リクは幼い頃に父親を亡くして、ナオが一人で育てたのだという。女手一つで、それはとても大変なことだったとは思うのだが。
――シンは、正直そのことをひどく羨ましいと感じた。
ナオは最後まで、息子のリクと向き合う道を選んだのだ。誰かとその苦しみを分けることはせず、たった独りで、精一杯の愛情を注いできた。母親に愛されて、その想いを独り占めできて。まだ名前しか知らない三島リクのことが、シンは本気で羨ましかった。
シンの母親は、別な男と再婚した。その男との間に、シンの妹まで作った。家族の中に居場所を失って。
シンは、一人で飛び出してきた。
家族という名前の、何もかもを切り捨てて。
シンはシキの姿を見下ろした。こんな自分に、ちゃんとした家族なんて作れるのだろうか。父親になることなんて、できるのだろうか。そうやって暗い気持ちになる度に、シキはその存在を持って慰めてくれた。
シキがここにいるということは、シンは将来において、コトハとの間に幸せな未来を掴めるということだ。とても綺麗で、真っ直ぐな心を持った魔女先輩。コトハと結ばれる未来なら、シンはきっと寂しくない。
娘のシキにも、悲しい思いをさせることはない。シンは、温かい家庭を築くことができる。
――本当に?
どくん。
シンの胸の奥が、強く疼いた。
頭の中に、誰かの声が響いた気がした。視界が、ぐらぐらと揺れている。シキの目が見開かれている。何かが、いるのか。
母親の愛に飢えて。家族の愛に飢えて。その全てを捨てて。
何もない空っぽのシンに、何ができるというのか。シキという娘の幻影を見ることで、できないことができるつもりになっているだけではないのか。
どくん。
なんだこれは。
シンは歯を食いしばった。自分の中で、誰かが勝手なことをしゃべっている。焦点が合わない。光が流れていくばかりで、どこに誰がいるかも判らない。確か、コトハがこちらを見ていたはずだ。
コトハが、シンの魔法使いとしての二つ名を読み取った。人を想い流れる涙。通称『ひとおもい』。優しい二つ名だね、とコトハはそう評した。
それは本当なのか。シンは果たして、そんな心優しい人間だろうか。
ただ人の顔色を窺って。
気に入ってもらえるようにと取り繕って、誤魔化して。
それでも手に入らないのなら、諦めて捨てていってしまうような。
そんな、冷徹な人間ではなかったのか。
どくん。
「違う!」
シンは大声を出して叫んだつもりだった。
感覚がぼやけている。実際に声が出たのかどうかすら怪しい。立っているのか、座り込んでいるのかも判らない。大丈夫だ。コトハが助けてくれるはずだ。
コトハが、シンを助けるだろうか。
宮屋敷家の魔法使い、コトハの目的は、物珍しい魂であるシキだけだ。シンと共にいるのも、強い魔法使いの力を持って生まれてくることが確定している、シキを手に入れるためだ。
『シン』が必要なわけではない。
欲しいのは、魔法使いの血。
用が済めば、シンは切り捨てられる。
かつてシンが、自分の家族を切り捨てたように。
どくん。
シキの手を取ったコトハが、シンの前から去っていく。シンはそれを、たった一人で見送っていた。
宮屋敷家の魔法使い。シンはその力を強めるための、媒介に過ぎない。コトハはシキという強力な魔法使いさえ手に入れてしまえば。
シンなど、必要ない。
いらない。
何も残らない。
シキも。
コトハも。
誰もいない。
シンはまた、一人ぼっちで。
取り残されて。
誰にも、愛されない。
どくん。
シンはゆっくりと目を覚ました。まだ意識が朦朧としている気がする。視界に入り込んできたのは、アスファルトの路面だった。どこか、舗装された道路の上なのだろうか。
うつ伏せに倒れているのが判った。そろそろと身体を起こしてみる。特に痛みは感じない。怪我をしているということはなさそうだ。シンは思い切って立ち上がると、周囲の様子を確認してみた。
真っ暗な、夜の道だった。見覚えがある。トヨの神社に行く途中、コトハと並んで歩いた川原の土手の上の道。遠くから、ごうごうと川の流れる音が聞こえてきた。辺りに、人影は全くない。水音の他には、何も耳に入ってはこなかった。
シンは自分の身体を見下ろしてみた。異変らしいものは何もない。神社の境内で、シキと並んで歩いていて。その後、唐突に思考が混乱したところまでは覚えていた。
シンの持つ『感応』の能力のせいだろうか。何者かが、それを利用して攻撃を仕掛けてきたのかもしれない。そうだとすれば、ここは心象世界なのか。
「シキ」
心象世界だとすれば、シキはここには入り込んでこないはずだ。シンが呼びかけても、周囲には何の変化も発生しなかった。心象世界である公算が高い。ならば、少し待てばコトハが救援に駆けつけてくれるだろう。
コトハは優れた魔法使いだ。宮屋敷家の一人娘であり、『現理』という強力な二つ名も持っている。シンは魔法使いとして、コトハには絶対の信頼を置いていた。大丈夫だ。コトハなら、絶対に助けてくれる。
「そいつはどうかなぁ」
突然、背後から声がかけられた。途端に気配が発生し、あっという間に濃密になっていく。シンのすぐ後ろに、そいつがいる。シンは覚悟を決めると、素早く声がした方向に振り返った。
スポットのように、円形の光が路面を照らし出していた。古い街灯だ。不安定で、たまにチカチカと瞬いている。その中には、二つの人影があった。
一つは、白いトレンチコートを着た男だった。背が高くて、痩せぎすで。矢鱈と鋭い目線をシンの方に投げてきている。この季節にコートなど羽織っているのに、暑さなど微塵も感じさせない。むしろ、全身に冷気をまとっているかのようだ。つい先日に出会った死霊術師よりも、ずっと冷たくて、ずっと尖っている。
もう一つは、男の足元にうずくまっている誰かだった。手足が病的に細くて、長い髪に隠れて顔が見えない。性別はよく判らなかったが、体格的に子供ではないかと思われた。ぴくりとも動かないので、シンは最初それが人であるとは認識できないほどだった。
「ああ、コイツのことは気にするな」
再び、男の口から声が発せられた。感情のない、低い音。男の眼が細められた。笑ったのだろう。青白い顔は、鋭利な直線のみで構成されているようだ。触れてくるもの全てを傷付ける、拒絶と、否定の意志。男を包む何ものにも染まらない白は、染まることへの反抗を示しているのだろうか。
「お前が、榊田シンか?」
シンは唾を飲み込んだ。
こいつは、恐ろしく危険な相手だ。
魔法使いとしての本能が、シンの中で強い警告を発していた。
「ビビんなよ。何もお前を殺しにきたわけじゃない」
確かに、今のところは明瞭な殺意は感じられない。だが、そんなことは問題ではない。
この男は、シンをコトハから分断した。
シンの心の中に土足で踏み込み、何もかもを滅茶苦茶にしていった。ひっそりと仕舞い込んで、目にしないようにしてきた多くのことを。
暴かなくても良い心の闇を、これ見よがしにぶちまけていった。シンの意志など、まるで気に留めることすらなく。
迷う必要などない。こいつは、この男は。
――敵だ。
「いいね、そういう顔の方が、お前には似合っていると思うぜ」
バカにしたようにそう言い放つと、男はくつくつと笑い声をあげた。耳障りだ。シンは男に対する嫌悪感の正体の一つに思い当たった。
この男は、似ている。
自信に満ちた目と、尊大な態度。
シンにはそれが許せなかった。認められなかった。
それは、魔女先輩の、コトハのものだ。
「自己紹介くらいさせてくれ。俺の名前は、天羽セイ――」
見たことのない姿。聞いたことのない名前。
それでも、シンはその存在をどこかで知っていた。その気配が、微かに残されていた。同じ魔法使いとして、何かを感じ取っていたのかもしれない。
かつて、そこにいた人物として。
「尖央大学魔法研究会の先代部長、OBだ。よろしくな、後輩君」




