こころとかすよる(3)
ユイは祭りの準備が忙しいということで、拝殿の中にはシンとコトハだけが通された。
神社の拝殿に入るのは、シンには初めてのことだった。思ったよりも綺麗で、広い。採光も良くて明るいし、そこまで暑くはなくて快適だ。祭壇に置かれた神具や、所々にある透かし彫りなど、興味をそそるものが沢山ある。用意された座布団に腰を下ろして、シンはきょろきょろと目線を巡らせた。
「何か面白そうなものでもあるかね?」
ぐい、とトヨが身を乗り出して訊いてきた。
「わあ、いえ、なんでもありません」
距離感が近くて、シンはびっくりした。トヨの見た目は、大体高校生くらいの年頃の女の子だろうか。神々しさは持っているし、黙って静かにしている限りにおいては、なるほどキクリと同じような神性であろうなという気はする。
しかし、トヨはその挙動が完全に人間だった。
「神様だからってそんなに気を使うことはないよ。ユイの友達なんだろう?」
そう言って、トヨは朗らかに笑った。まるで花が咲いたような、明るい笑顔だった。
トヨの楽しそうな声につられたのか何なのか、シキがひょこっとシンの後ろから顔を覗かせた。
「おおう、その子が話にきくシキちゃんか」
素早くその脇に走り寄ると、トヨはシキの身体をぎゅうっと抱き締めた。
「可愛いなぁ。宮屋敷コトハに似ている。父母に自分を産んでくれとせがみに来るなど、なかなかない健気さではないか」
すりすりと頬ずりされて、シキは戸惑っているみたいだった。キクリもそうだったが、トヨは実体を持たないシキに対して、普通に触れているように見えた。幽体同士には、肉体を持つ者には判らない接触手段があるのかもしれない。
ひとしきりシキを撫で繰り回すと、トヨは「堪能したー」と言って自分の座布団に戻っていった。シキはシンの背中に隠れて、目をぱちくりさせていた。キクリと違って、トヨは少々愛情表現がアグレッシブすぎたようだ。
「神様って、女の子ばっかりな気がしますね?」
キクリは小学校低学年くらい、トヨは高校生程度の、どちらも女の子の姿をしている。シンの疑問に、隣に座っているコトハが呆れたように肩をすくめてみせた。
「そりゃあそうだろう。榊田君はむさ苦しいオッサンの方が嬉しいのかね?」
「『神様』っていうとお堅いイメージがあるけど、昔の人間からすればご当地萌えキャラみたいなものだからね」
あっけらかんとトヨがそんな言葉を口にして、シンは面食らってしまった。
「萌えキャラ、ですか・・・」
「そう、ご当地萌えキャラ。ウチの地元にはこんな美人の神様がいるぞーって。有名どころのナントカノヒメがいるぞーって。でまあ、皆そこを詣でにくるわけさ。朱印帳とか持ってね。で、俺ドコソコ神社のナントカノヒメ詣でてきちゃったー、みたいな。マジかよ俺もいくいく、むしろそこに住んじゃう、とか言っちゃうわけよ。村興しの一環だね」
ぺらぺらとまくしたてるトヨを見て、シンは開いた口がふさがらなくなった
今までシンにとって神様といえばキクリであったし、その印象が強かった。キクリは真面目で、外見とは裏腹にしっかりとした受け答えを返してくる。森羅万象に通じていて、常に泰然自若とした態度を取っていた。
それに比べて、トヨは完全に見た目通りの、ごく普通の女の子という風情だった。しかし、これでも神格はキクリよりもトヨの方が上なのだという。神様の世界に関しては、シンは全く理解が及ぶ気がしなかった。
「私のような神様は、人が願いから作り上げたものだからさ。人の望む姿をしているものなのだよ。五穀豊穣の神様なんだから、地母神的に女性形をしているのは、むしろありがちなんじゃないかな?」
なるほど。言われてみれば、そうなのだろう。豊宇気毘売神は古事記に伝えられている、食物をつかさどる女神の名前だ。トヨはオリジナルではないということだが、元からそこには『女神』というイメージ自体はあったのだ。
「ああ、でも私の場合はあれだ、これは生前の頃の姿なのだよ。その辺の話は、ユイから聞いているよね?」
シンはうなずいた。かつて、水害に悩まされた民衆が水神の怒りを抑えるために人柱として捧げた少女。トヨはそこから転じて神様になったのだと聞かされていた。キクリの事例もそうだが、神様の縁起には悲しい出来事にまつわる物語が多い。人々の願いを叶えるため、そこには悲劇が必要だったのだろう。
「巫女服なのもその関係でね。要は巫女だったんだけどさ。これも最近色んなデザインがあって迷っちゃうんだよな。なるべく新しくて可愛いのが良いんだけど、今着てるこれとか、どうだろう?」
トヨは立ち上がると、その場でくるりと回ってみせた。白と朱の裾が、ひらひらと揺れる。どう、と訊かれても困ってしまう。シンはそこまで巫女服に詳しいわけではない。そもそも今のトヨの巫女服が、一般的な巫女服と何が違うのかすらよく判っていなかった。
「今風、なんでしょうか?」
「そうそう、全然違うんだよー。緋袴の紐がリボンみたいになってたり、朱衿がおしゃれだったり、あ、あとこの千早なんかは神社によって色々バリエーションがあるんだよ?」
・・・なるほど、判らん。
袴の紐ぐらいなら理解できるが、そもそも朱衿とか千早が何を示しているのかが意味不明だ。トヨに圧倒されて呆然としているシンの様子に、コトハはくつくつと笑った。
「榊田君は巫女マニアではないからねぇ。トヨ様もおしゃれのし甲斐がないでしょう」
「ふむ、せっかくまた『視える』人間だというから、ちょっと頑張ってコーデしてみたんだけどなぁ」
ぺたん、とトヨはまた座布団の上に正座した。さっきから立ったり座ったりして、ちっとも落ち着かない。キクリとは正反対だ。神様よりも、明らかに人間の側に寄っている。
神前にいることを意識して気を張っているのが、シンは馬鹿馬鹿しくなってきた。トヨは神様というよりも、単にユイの古い友人だという方がしっくりとくる。というか、そうとでも思わなければ、このノリにはとてもではないがついていけそうになかった。
「ごめんよー、失礼するよー」
シンが足を崩そうともぞもぞしていると、拝殿の扉が開けられて一人の女性が入ってきた。手伝いで席を外しているユイかと思ったが、そうではなかった。さっぱりとしたショートカットの、若い大人の女性だ。すらりとして、どことなくコトハの家のお手伝い、ブリジットにイメージが近かった。二十代後半くらいだろうか。全体的に若々しくて、エネルギッシュな印象を受ける女性だった。
「お昼まだだって聞いたからさ、こんなのしかないんだけど」
女性はシンとコトハの前に、握り飯の乗った大皿を置いてくれた。うっかりしていたが、ここまで昼抜きのままだった。調子のいいシンの腹が、ぐぅと音を鳴らして催促する。それを聞いて、女性は愉快そうに笑った。
「すいません、いただきます」
塩だけのシンプルなおにぎりだったが、すきっ腹には有難かった。シンは遠慮なく、むしゃむしゃと頬張った。
「トヨちゃんのお客さんなんだって?」
女性は拝殿の中を、きょきょろと見回した。どうやら、女性にはトヨの姿は見えていないみたいだった。トヨは黙って目を閉じている。それでも、女性にはトヨの存在が確かに感じられているようだった。
「榊田君は初めて会うから判らないよね」
コトハの言葉を受けて、シンは慌てて米粒の付いた手を拭いてお辞儀した。
「榊田シンです。ええっと、橘ユイさんに、お手伝いとして連れてこられました」
シンの自己紹介を受けて、女性はシンに向かって丁寧に頭を下げた。
「どうも初めまして。トヨちゃんの義理の母親、になるのかな? 三島ナオと申します」
神様の義理の母親。そういえば、トヨは人間の男性と結婚したという話だった。確か、相手はシンと同い年であるとか。
――すると、このナオという女性には、シンと同じ年の息子がいるということになるのか。
ぎょっとして、シンはナオの顔を凝視した。あり得ない。どう見ても二十代、三十歳には届いていない年頃だとしか思えなかった。シンの母親など、どこからどう切り取っても絵に描いたようなオバサンだというのに。身綺麗で、きちんとしていて。「子供がいる」と言われても、「何を御冗談を」と笑い飛ばしてしまいそうにはなるくらいだ。本当に、あり得ない。
「お、お若いですね」
それ以外に、シンには何の言葉も絞りだすことができなかった。
「あはは、良く言われる」
ナオの返しも、実に手慣れたものだった。
「今日はごめんねー、うちの息子が急にこられなくなっちゃったからさぁ」
ぴくん、とトヨの身体が反応した。シンはコトハの方をちらりと見やったが、コトハは素知らぬ顔で握り飯を食べていた。
「天岩戸は開いたけど、トヨちゃんがご機嫌ナナメのまんまだと皆気分が良くないからさ。申し訳ないけど、もうちょっと相手をしてあげてね」
「それじゃ」、とナオはそそくさと拝殿から出ていった。ナオがいる間は静かに座っていたトヨだったが。
「うううー」
拝殿の扉が閉められた途端に、めらめらと黒い情念を燃やし始めた。思い出し怒りだ。眉根が寄って、顔全体に深く皺が刻まれていく。
おろおろとするシンなどどこ吹く風で、コトハは最後の握り飯を手に取ってぺろりと平らげた。「お茶が欲しいねぇ、榊田君」トヨの方など、見向きもしていない。
「リクの、ぶわかぁー!」
神様の怒号が拝殿中に響き渡り。
シンはその場で引っくり返った。
ことの発端は、こういうことだ。
トヨの旦那であるところの人間、三島リクは、神職の資格を取るために神学科のある少し離れたところの大学に通っている。大学の近くで一人暮らしをしており、月に一度くらいの頻度で実家に戻ってきていた。この次は、トヨの神社でおこなわれる夏祭りの日取りに合わせて帰省する算段になっていた。
それが、直前になってリクに急用ができてしまったため、里帰りの予定が御破算となってしまったのだ。
トヨはすっかり臍を曲げて、祭りなど全てほっぽらかして拝殿の中に閉じこもってしまった。トヨがいないところで、夏祭りの実行自体に支障があるわけではないのだが。
見えないモノたちにとっては、祭りの主役はあくまで土地神であるトヨだった。トヨの尊顔を拝むためだけに、毎年遠方からわざわざ訪ねてくるモノまでいる。くだらない理由ではあるのだが、だからこそそんなことで祭りを台無しにはしたくなかった。
ということで。
トヨのご機嫌を取り、夏祭りの開始までに外に引きずりだす役目として。シンに白羽の矢が立った、というわけだった。
考えてみれば、結構な無茶振りだった。シンはアメノタヂカラオでもアメノウズメでもない。審神者であるユイの手に負えない神様を、素人であるシンに一体どうしろというのだろうか。
話をするくらいなら、ということでシンはトヨの神社までやってきた。トヨとは面識があるというコトハも、忙しい中同行してくれることになった。コトハがいてくれるのならば、多少は楽観視もできようというものだ。もっとも、神様を相手に交渉をするなど――具体的に何をどうすればいいのかまでは、シンにはまるで見当がついていなかった。
それがまさか、普通に駄々っ子の相手をする羽目になるとは。想像もしていない事態だった。
「別に無理して神職の資格なんて取る必要はないんだよ」
ひとしきり怒りを爆発させた後は、トヨの愚痴大会だった。
「ミカゲに了承はもらったんだしさ、リクが望むならいつだって眷属として神様の世界に入ってもらうことはできるんだ。それなのに、色々と筋を通したいって言うからさ、まあ、それなら仕方がないかなぁ、って」
ミカゲというのは、出雲御蔭大神のことで、トヨのような地方神を取りまとめる上役であるらしい。そんな神様に認められて、眷属となることを許されるのだから、リクという男は大したものなのだろう。魔法使いではないとのことだが、シンは是非一度見てみたいものだと思った。
「私だって、リクに人間としてまだ楽しいことがあるうちはさ、無理に神様の世界に入ってこい、なんて言うつもりはないさ。大学生だもんね。青春はこれからって感じだろうさ」
シンと同い年なのだから、リクは大学一年生だ。新しい環境に慣れるために、あれこれと苦労していることもあるだろう。中には帰省したくてもできない、という事情も出てくるかもしれない。
「でもさ! でもだよ? 奥さんを一人置いてさ、夏休みに入ってから一度も帰ってこないんだよ? あり得なくない?」
「はぁ」
それは、頻度としては高いのだろうか低いのだろうか。
基本的に実家に帰ることをしないシンには、いまいちピンとこなかった。
「大学生だよ? 遊び盛りだよ? 無理にお酒なんか飲まされてさ、どっかの見知らぬアバズレの部屋なんかに連れ込まれちゃったりしてたらさ、どうするんだよ」
シンの顔がみるみると真っ青になって。コトハは横を向いて、ぶはっ、と噴き出した。まったくもって他人事ではない。いや、川原木ミズカは断じてアバズレなんかではないし。それに、結果的に過ちは犯していないのだから、セーフだろう。
ぶるぶると肩を震わせているコトハに向かって、シンは改めて自身の無実を訴えようとしたが。
・・・何を言っても泥沼にはまるだけな気がしたので、黙ってトヨの愚痴を聞き続けることにした。
「リクは人間だし、まだ若い男だからさ。人間としての幸せもまだあると思うんだよ。神様の世界に入れば、ものの見方も、時間の流れ方も変わる。いざそうなってしまってからさ、人間の頃にやっておけばよかったー、なんて後悔もいっぱい出てくると思うんだ」
トヨは頭を抱えると、ぐらぐらと身体全体をゆすった。
「だからさ。大学生の間くらいはさ、そういうなんだ、ちょっとした出来心――なんていうのも、奥さんとして? 神様として? 甲斐性だと思って暖かく見守ってあげるべきなのかなぁ、とか考えちゃうんだけどさ」
コトハはずっと、にやにやと楽しそうに薄ら笑いを浮かべていた。新妻神様のお悩み相談など、なかなか聞けるものではない。レアな体験と言えるだろう。審神者というのは神様を相手に、こういう赤裸々ぶっちゃけトークなんかをしちゃったりするものなのだろうか。
・・・何かが違う。絶対に違う。
「でさ! そこんところどうなの、榊田シン? 大学一年生男子って、やっぱりウェーイしちゃうもんなの? 弾けちゃうの?」
ずずずい、とトヨはシンににじり寄ってきた。大きな黒い瞳が真ん丸に見開かれて。ふしゅー、と激しく鼻息が漏れる。トヨのあまりの剣幕に、シンはまたしても後ろにひっくり返りそうになったが。
今度は手をついて踏みとどまった。
「えええっと、その人って、トヨ様の旦那さん、なんですよね?」
トヨは「うん」と、はっきりとうなずいた。シンは顔を真っ赤にして色々と耐えているコトハの方に、一瞬だけ視線を向けて。
それから、大きく息を吸い込んだ。
「俺なら、大切な人を裏切るようなことはしません。その、リクさんもきっとそうなんじゃないかなって思います」
会ったことのない相手のことだから、はっきりとしたことは何も言えない。
しかし、こんなに可愛い神様を奥さんにしておいて、そのために専門の大学にまで通って。
そこまでしておいて、今更不義理を働くなんてことはないだろう。ユイも言っていた。あの二人の絆は深くて、ちょっとやそっとでは傷付けることですら適わないのだ、と。
シンなら、コトハのことは裏切らない。そしてリクのトヨに対する想いは、シンのそれよりもずっと上回っているはずだ。
「きっと大丈夫ですよ。リクさんのこと、信用してあげてください」
シンの応えを聞いて、トヨはしばらくうつむいて何事かを考え込んでいた。
それから、唐突にがばっと顔を上げると。
「・・・だよねー!」
トヨの声は、底抜けに明るかった。
「リクに限ってそんなことするわけないよねー。お互いに、色々なものを超えて結ばれた関係なわけだしさ。私だって、リクがいない時に他の誰かと、なんて考えもしないし。それと同じことだよね。そうだよね」
自分の中で、何やら色々と完結できたらしい。「よっしゃー、お祭りだぁ」陽気な歓声と共に、トヨは拝殿の外にすっ飛んでいった。
「・・・台風みたいな神様ですね」
「ユイの苦労がしのばれるな」
あのテンションに常に付き合わされるのだとすれば大変だ。ともあれ、これで一仕事終えたことにはなるのだろうか。シンは立ち上がると、うーんと背伸びをした。金輪際、審神者の代理はお断りだ。
「榊田君」
コトハに呼ばれて、シンは振り返った。手を後ろに組んだコトハが、上目づかいにシンの顔を見つめて。
「お疲れ様」
優しく、労いの言葉をかけてくれた。




