22 記憶
「花奏!? 目が覚めたの!?」
病室の扉を開けた友人が、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま飛び付いてきた。
後ろに両親と兄もいる。
「もう、どうしようかと思ったよおっ! ごめんねー、一緒に沼に行こうなんて言ってええ!」
友人が抱きついたまま離れない。両親と兄も安堵した顔をして、碧に挨拶をした。
友人は泣きべそをかいていたが、医者からはすぐに意識が戻ると言われていたそうだ。
泣き続ける友人をなだめながら、碧がゆるやかに微笑むのを見つめた。
退院して、自宅に戻り、普通の高校生活を送る。ちょうど土曜だったこともあって、学校を休むこともなかった。
あの長い時間が、一日にもならないほど短い時間に起きたと思うと、不思議な気持ちだ。
「花奏、碧君に、よくお礼言っておくのよ」
「はあい」
母親が、何か買って、神社に持って行きなさいよ。とリビングから大声を出す。
返事をしてから玄関を出て、花奏は歩き出した。空は晴天で、まぶしさに目をすがめる。もう冬とは思えない陽気だ。
花奏が中学一年生のときに事故に遭って、目を覚ましたのは中学二年の夏。そこから記憶のないままリハビリをして、まともに学校に行けるようになったのが、中学三年生の手前。受験勉強に明け暮れたため、記憶を失っていることを考えている暇がなかった。
電車を二回乗り換えて、花奏はマップを見ながら歩き出す。中学の時に住んでいた家や、いじめに遭った中学校を覗き見て、神社に向かう。
思い出しても、案外何も思わないものだ。自分の中で折り合いがついたというより、もうどうでもいい人たちに成り下がっているからだろう。高校では友人もいるし、今は、
「花奏。迷子にならなかったか?」
碧がいる。
神社の鳥居の前で碧が待っていて、手を振った。花奏は買ってきたどら焼きを、碧に渡す。
「ならなかった。これお土産。どら焼き。おじいさんに」
「……ありがとう」
友人と来た時、神社は寂れているようだった。売店も閉まっていて、庭の手入れも行き届いていないようだった。スチルの沼も濁っていた。
なのに、今日の神社は違って見える。雑草がなくなり、ゴミも拾われていて、沼の周りの柵が新しいペンキで塗られていた。花奏が滑り落ちた場所には、新しく柵が作られている。
「なんか、きれいになってる」
「落ち着いたから掃除をした。じいさんも神社神社、うるさいから」
「うるさいの?」
「リハビリしながら、絶対に家に帰るって豪語してるな」
碧は祖父と二人暮らしで、神社の社務所に住んでいた。その祖父が倒れて、神社の売店などを全て閉めていたのだ。
花奏が友人とスチルの沼を撮りにきたとき、碧が神社にいたのは、当然のことだった。
いじめのこともあって、花奏が退院前に引っ越しをしていた。そのせいで、碧とは疎遠になっていた。
碧の祖父のことも、知る由もない。
花奏が事故に遭って、多くが変わってしまった。
碧にも花奏が知らない時間がある。それを知らないことへの後悔が強かった。
握っている手を、強く握り返す。
碧は一度笑って見せて、花奏をじっと見つめた。
「ずっと後悔していた。何であのとき、花奏を追いかけなかったのかって」
碧が静かに話し始める。追いかけていれば、事故に遭わなかったのに。
「違うよ。碧君。追いかけたって、手を振り払ってたよ。あれは完全に、私が悪かっただけなんだから」
花奏が八つ当たりをして、碧を罵って、碧を傷付けた。
花奏が勝手に事故に遭い、そしてみんなを巻き込んだ。
「みんな、神社を知ってたんでしょ?」
「勝負所の神社だからな。グルナディーヌは剣道の優勝祈願。ブランドロワと一緒に来たことがあるそうだ。ノワールは幼い頃から母親と来たことがあって、良く絵を描きに来てたらしい。ヴェールは、歴史的建造物が好きだとか」
ローザが言っていた通り、彼らにも悩みがあり、苦しんでいた。そのため、この神社に来ていたのだ。
「みんな、お守りを持ってた」
「これ?」
花奏はカバンにつけていた、神社のお守りを見せた。ここ神社のお守りで、毎年兄が買ってくれていたのだ。ここ神社のお守りだとは知らなかったのだが。
その繋がりなのか、皆は花奏の夢に巻き込まれた。乙女ゲーの世界だったのは、母親のゲームを見ていたから影響されたのだろうか。友人の同人誌に描かれたグルナディーヌもまた、ゲームとは似ても似つかなかった。
不思議な世界。不思議な経験。花奏が失った記憶の花奏はローザとなったが、あの花奏は幼い頃の花奏とも違う。別の性格。あの世界で生きていた、ローザだ。
「みんな、願い事とかあって、うちに来てたんだな」
彼らはローザから解放されて目を覚ましたが、各々目覚めた時間が違った。退院したあと、神社にやってきて、碧と会って、話をして帰っていったのに、その日にちは花奏がスチルの沼に落ちたときよりも前だった。
「なんか、頭こんがらがる」
「俺も。そのとき、どんな話になったんだか、あまり覚えてない。花奏にまだ会ってなかったのに、みんなはとっくにローザから解放されてたんだ」
けれど、花奏と碧が沼に落ちたのは、つい先日。時系列がよくわからない。
「バグりすぎ」
「ふ、ふふ。ほんとだよね。バグりすぎ」
彼らと話して、花奏の話が出たかも覚えていない碧は、彼らと連絡先は交換したそうだ。だから、会おうと思えば会える。
「一人だけ」
「ん?」
「黒、ノワール? あいつだけ、花奏のこと言ってたの覚えてるんだ」
「なんて?」
「また、会いに来るって」
碧がなぜか口をへの字にした。前に見た覚えのある顔だ。
「何、その顔」
「仲が良かったなって思って」
「そうかな?」
「そうだよ」
「ノワール君が一番、システムから離れてたからかな」
ノワールはある程度のときから、システムの異常に気付いているような雰囲気があった。ローザの世界は完璧ではなく、微かな意識は封じ込められなかったのかもしれない。
「あと、猫を抱いていた。猫も元気になったって言って」
「そっか」
きっと今も、猫をなでて、絵を描いているのだろう。グルナディーヌもブランドロワも、ヴェールも、現状を乗り越えているはずだ。
「また、会える」
碧が、連絡先があるんだから。とスマホを見せた。花奏は頷く。皆同じ年だと思っていたが、グルナディーヌとブランドロワ、ヴェールは高校三年生で、受験中で会う暇がない。ノワールは同じ年だが、碧がへの字口にするので、皆と一緒に会うまでは会えなそうだ。
「碧君はどうするの。神職に進むの?」
「そのつもりだ。ずっと迷ってたけど、決めた。今から大学変えるのきついけど。花奏は?」
「好きを極める! まずは弓道かなあ。また通いたい。学校でもやってるけど、先生が初段で。前みたいに範士のおじいさんが教えてくれれば良かったけど」
「俺が教えるよ」
「昔みたいだね」
昔みたい。
けれど、あの頃よりもずっと深く繋がって、前よりもずっと好きが増えている。
そして、私たちは、これからも一緒に思い出を作っていくのだ。
神社の境内に風が吹いた。
バラに似た椿の花が揺れている。早咲きの桜の花びらが、ひらりと舞い落ちた。
それを手のひらで受け止めていれば、碧が手を伸ばす。
もう、この手を離したりしない。
二人で見つめあって、幸せを噛み締めるように、声を出して、笑った。




