45話、古の伝説、戦姫ーヴァルキュリアー
カシャリと金属鎧の擦れる音が、カツン、カツンと一歩、また一歩と迫るあの女の足音が、ワンベルク伯爵の心を侵食していく。恐怖に囚われた彼にとって、それはまるで死の宣告を告げる音のようだった。
帝国中東部で広大な領地を支配し、多くの臣下を有し、これまで数多の権力闘争を勝ち抜いてきた伯爵。今、彼の心は恐怖に凍りついていた。
「なぜ……なぜだ……!?」
伯爵は震える声で呟く。己の護衛兵たちが、いとも簡単に薙ぎ倒される様を目の当たりにし、伯爵の傲慢な心は粉々に砕け散った。
全身を貫く戦慄。冷や汗が背中を伝い、膝はガクガクと震える。真の強者と相対すれば、命など一瞬にして刈り取られてしまう事を知った伯爵は、たった一人の女に怯え、恐怖していた。
光を遮られた天幕内は、日中にあっても少し薄暗い。
その中を蒼く灯る二つの眼が見つめていた。一点の曇りもないその瞳は、神々しい光を放ち、伯爵の心を貫くように見据えている。完璧なまでに整った肢体は、月の光を浴びた雪のように白く輝き、時折、神秘的な蒼い光を放つではないか。
↓ 二つの蒼灯、イメージです ↓
もしやこの女は、人ではないのでは? そう思えた伯爵は必死に言葉を紡ぐ。震える声で懸命に問いかける。
「お、お前はいったい何者だ? 人ではないのか?」と。
伯爵の眼前に迫ろうとする、まるでおとぎ話や、神話に登場するかのような女が、静かに口を開いて答えた。
「私の名はツェツィーリア。愛する伯の2本の槍の一つです」と。
伯爵の戦慄は止まらない。恐れ慄きながらも、必死に言葉を紡ぐ。
恐怖で強張った顔から声を絞り出す。
「は、伯? ま、まさかローゼリア伯爵の配下の者と!?」
「えぇ」
女は槍を携え彼の前で立ち止まると、槍の穂先をゆっくりと彼の喉元へと当てた。
彼は、最後の望みを賭けて交渉を試みる。
賭ける物は自分の命、交渉する相手は古の伝説、戦姫のような女だった。
「わ、儂の元へ来ぬか? 其方なら望むものは全て与えよう」
ツェツィーリアは冷たく笑うだけだった。
「ふっ」
その嘲笑は、氷の刃のように伯爵の心を貫く。
伯爵は再び恐怖に凍り付き、全身から血の気が引いていくのを感じた。
「頼む、助けてくれ……何でもする」
必死に頭を下げ、両の手で祈る様に懇願する伯爵に、ツェツィーリアの蒼い瞳が一瞬揺らいだ。その僅かな変化を見逃さなかった伯爵は、藁にもすがる思いで言葉を続ける。
「何でもする。本当だ」
ツェツィーリアは静かに頷き、告げた。
「では、私に付いて来なさい」
「は、はい」
伯爵は安堵の息を漏らしたが、ツェツィーリアの次の言葉で再び恐怖に染まる。
「前を行きなさい。いいですか? 変な動きを見せれば、即、貴方の体を貫きます。逃げる事は出来ませんよ」
「わ、わかりました」
伯爵は震える声で答える。
ツェツィーリアは、この男を生かす価値があると判断したのだろう。
◆◆
ツェツィ率いる小勢が、敵の本営を脱した事を知った私は安堵する。
そしてラウラ率いる第2騎兵隊が、敵前線のうちやや後ろ側を右翼から左翼に抜けていくのを確認すると、ヴァイス率いる第一騎兵隊へは、敵前線のやや前方を左翼から右翼へ貫くよう伝令をだした。
「ふぅ、どうやら勝ったな」
私が安堵の息を吐きながら呟くと、ユリシスは満面の笑みを浮かべて答えた。
「えぇ、主様、圧勝です!」
ユリシスの声は明るく弾んでいた。
彼女が、勝利を心から喜んでいるのが伝わってくる。
「ツェツィーリア様もご無事のようで何よりです。流石に少数すぎましたから」
共に物見櫓で戦況を見つめていたリンハルトも、私も、それには完全同意だった。戦功を立てた彼女には申し訳ないが、そこだけは注意しておかないとな……。危険が過ぎるし、見てる方の心臓が持たん。
ローゼリア軍の陣内は、ツェツィーリアの帰還と、その傍らに連行されたワンベルク伯爵の姿を見て、水を打ったように静まり返った。兵士たちは、まるで時間が止まったかのように、息を呑んでその光景を見つめていた。
次の瞬間、堰を切ったように地鳴りのような歓声が沸き起こる。
兵士たちは武器を空高く掲げて、ツェツィーリアの名を称え、端々にローゼリアの名を叫ぶ。勝利の雄叫びが咆哮となって戦場へ轟いた。彼女が捕らえたワンベルク伯爵は、敵軍の総大将なのだ。その捕縛はこの戦いの趨勢を決定づけ、完璧な勝利を意味していた。
「ツェツィーリア様!」「お嬢様!」
「アレクシス様!」
「ローゼリア万歳!」「ばんざーい!」
「うおおおおおお」
兵士たちの叫びは、熱狂の波となって陣中に広がっていく。老練な騎士たちは涙を流し、若き兵士たちは興奮のあまり我を忘れ、抱き合って喜びを分かち合う。
「閣下、ご心配をおかけしまし、た」
「ツェツィ」
私の名を呼ぶツェツィーリアの瞳には、戦場で見せた鋭い光はなかった。そこにあったのは、いつもの穏やかで優しい瞳だけだった。
彼女の周囲を包んでいた蒼き輝きは、まるで蝋燭の炎が消えるように、静かに、そしてゆっくりと消えていく。それは、ツェツィーリアの内に秘められていた強大な力が、戦いの終わりと、訪れた心の平穏によって解放されたかのように。
輝きが消えるにつれツェツィーリアの髪は、戦場でふわり漂う姿から、スッと正しく、重力に従うように落ちていく。
その姿はもう古の伝説、戦姫のような姿では無くて、花を愛で、民を愛し愛される。ローゼンヌからやってきた当初の、穏やかで優しいままのツェツィーリアだった。
蒼き煌めきが完全に消え去ると、ツェツィーリアは、まるで糸が切れた人形のように、ストンとお尻を地に着けて、緩やかに倒れていく。ツェツィーリアの異変に気づいた私は、すぐに駆け寄り彼女を抱き上げた。
「ごめんなさい……、なんだか体に力がは、いらなくて」
姫抱きされたツェツィーリアは、力ない瞳で私を見つめている。
「いいんだ。ツェツィ」
「なんだか疲れました……」
「あぁ、あぁ、本営でゆっくり休むといい」
肉体と精神の著しい高まりと、解放された神力が合わさって、尋常ならざる力を発揮したツェツィーリア。その輝きが失われた途端、酷使された体は悲鳴を上げたのだろう。それに、その細い身体で山を超え森を抜けたのだ。疲労も相当なものだったはず。ゆっくり休むといいツェツィーリア。
「はい」
アレクシスの腕の中で、ツェツィーリアはゆっくりと瞼を閉じる。蒼き槍となりて戦場を駆けた面影はもうどこにも無く、そこにはただ、深い眠りについた穏やかな女性の姿があるだけだった。
◇◇
ローゼリア軍の本陣大天幕には、重苦しい空気が漂っていた。捕虜として捕らえられたワンベルク伯爵は、疲れ切った表情で私の前に座っている。彼の瞳には、敗北の屈辱と、これから待ち受ける運命への不安が入り混じっているように見えた。
「ワンベルク伯爵、貴殿も理解しているだろう。この戦いは我が軍の勝利に終わった」
私は落ち着いた口調で語り始める。勝利者としての誇りや、敗者への憐憫などは一切含まない。これからの交渉へ向けて淡々と語るのだ。
「貴殿の命は保証する。しかし、それには条件がある」
「おお!? 条件とは?」
助かるとは思っていなかったのだろう、伯爵は身を乗り出して条件を聞いてくる。
私は、ワンベルク伯爵に4つの条件を提示した。
一つ目は、3年間の不可侵条約の締結。
これを機に両家は3年間、互いに攻撃しないことを誓う。
東を早急に安定させて、持てる力の全てを西へ向けたい我々としては、この条件は譲れない。
二つ目、子息または令嬢をローゼリアに引き渡すこと。これは、いわゆる人質だな。突然の裏切り、不可侵条約の破棄を防ぐためにやむを得ない措置だ。代わりと言っては何だが、我々の誇りに賭けて冷遇はしない事を誓う。
三つ目、ドレイク男爵領から東の先にあるワンズール砦の譲渡。
そして四つ目は、砦までの領地の割譲とした。
ワンズール砦までの領地をローゼリアへと割譲させねばならない。当然と言えば当然であろう? 敵のただ中にある砦だけを貰っても意味が無い。補給を断たれて終いである。ローゼリアへ至るまでの領地を合わせて割譲させなければ意味が無い。
ただ、これにはドレイク男爵家の協力が必須であった。ドレイク男爵領の通行許可を得られなければ、砦への援兵や物資搬入は至難を極めるであろうから。
ワンベルク伯爵は、私の出した条件に驚きを隠せない。その内容は、彼の領土と権威を損なうものであるから。だが、彼は敗者である。断ればここで命を絶たれても仕方がないのである。伯爵に選択の余地はなかった。
「……条件を承諾する」
ワンベルク伯爵は、苦渋の表情で頷いた。
「さて、今すぐ解放してあげたいところだが、そうすると約束を全て反故にされる恐れもある。砦の引き渡しまではご同行頂こうか……。それと今すぐ使いを出してほしい」
「使い? 一体何の」
「ご子息か、ご令嬢の件だ。そちらはワンベルク殿と入れ替わりとさせて頂く。早く解放されたければ急いだほうがよいと思われるが……」
「くっ、貴様は鬼か」
これには、思わず呆けてしまう。
私が鬼?
ぷっ、ははは。
どいつもこいつも、自分の勝手で軍を出しておきなら、思い通りに行かなければコレだ。こいつらの相手をしていると疲れてしょうがない。
ワンベルク伯爵を捕えた事で、こたびの戦争を大勝で終えたローゼリア軍。
伯爵との戦後交渉を終えた私は、外の空気を吸いに大天幕の外へ出た。
傍らにはヴァイスがいて、いつも居るユリシスが側に居なかった。
治療隊を率いるユリシスは、戦中、戦後が最も忙しい。
体、体と言えばそうだ。ヴァイスはどうなのだろうか。
「そういえばヴァイス、体は大丈夫なのか?」
「体ですか?」
「ツェツィは酷く消耗していたぞ? 起ちあがれないほどに……」
「あ、姉上は寡兵で敵本陣を付いておりますから……、相当無理をされたのでしょう」
「姉上か……、あははは」
久方の姉上呼びに、思わず笑ってしまう。
そんな私に釣られて、ヴァイスも笑っていた。
いつぞやの、天幕で話した時のツェツィーリアの台詞を思い出して、笑う2人。
『では、私は姉さんとでも呼んでもらおうかしら』が脳内にリフレインされ、笑みが止まらない。
「意外と、無茶を言うよな」
「ええ……、本当に。でも兄上の前だけだと思いますよ?」
「そうなのか?」
「ええ、他の方の前では凛とされています」
そうか……。
夜空を見上げると、満月が煌々と辺りを照らしている。
吐く息の白さが、もう間もなく冬が訪れることを告げているようだった。
神崎水花です。
作品を読んでくださった皆様ありがとうございました。
少しでも面白い、頑張ってるなと感じていただけましたら、★やブックマークなど、足跡を残してくださると嬉しいです。私にとって、皆様が思うよりも大きな『励み』になっています。
どうか応援よろしくお願いいたします。




