44話、蒼槍のツェツィーリア
まだ真冬ではなかったことも幸いしたのだろう。そういう意味では彼女は運がよかったとも言える。そもそもアレクシスが、ツェツィーリアに対して苛烈で危険が過ぎる任務を命じる事が出来るのか、疑問は残るところだが……。
時期的にはギリギリのところだった。
山越えの道は険しかったものの、幸いにも一人として死者を出すことなく、ツェツィーリア率いる第二騎兵隊の一行は、ヴァールハイト男爵領とワンベルク伯爵領の間に広がる峻険な山々を越えることに成功した。これは、行軍中に氷点下を下回る事が無かったのが実に大きい。
無事に山を下りた一行は、裾野を駆け抜けると、一気にワンベルク伯爵領内に広がる深い森へと足を踏み入れて行く。
「森を抜けたら、敵陣はすぐそこのはずです」
ツェツィーリアは、緊張感を漂わせた声で皆に呼びかける。
彼女を含め、部隊の皆にとって未踏の地であるこの森は、山頂から裾野にかけての目測と、大まかな地図でしか把握できていなかった。一旦森に入ってしまえば、いつ、どのあたりで森が途切れるのか、誰にもわからなかったのだ。
森の中は、鳥のさえずりが心地よく響き、木々の間を縫うようにそよぐ風が優しく頬を撫でる。ここは、まるで戦争とは無縁なような、平和で優し気な世界が広がっているようでさえあった。
そんな穏やかな風景とは合わぬ、何とも不釣り合いな、鈍色に輝く軍装を纏った彼女たちは、静かに森を進んでいく。
「ツェツィーリア様、見えました。あそこです!」
信頼する副官のラウラが、木々の隙間から見える敵陣の後背を指さし示した。
「ついに、ここまで来たのですね……」
安堵と緊張が入り混じる複雑な表情を垣間見せたあと、彼女は愛馬の鬣を『ここまでよく付き従ってくれましたね。ありがとう』と感謝の言葉を囁くように、優しく撫でた。
そして、この任務が始まる前に、慕うアレクシスから手渡された銀細工の美しい方位磁針を胸に抱き、ツェツィーリアは一旦閉じた瞳をゆっくりと、ゆっくりと開いて行く。
再び開かれた、その美しき瞳は。深奥に吸い込まれるような蒼さを湛えながら、淡い光を静かに溢れさせていた。気づけば、その均整のとれた肢体すらも淡く蒼い光が包み、煌めきを放ち始めている。
「姫様……」
ここに至り、ツェツィーリアの肉体と精神は異常な高まりを見せる。内に秘めた神力が、神気が煌めきを放つと、まるで聖女のような神々しいまでの美しさに、ラウラもヴァールハイトも思わず息を呑んでしまった。
客人がいるからと、抑えていた気持ちをつい忘れて、以前からの呼称で呼んでしまう程にラウラは見入っていた。
「ラウラ、お願いがあります」
見入る彼女には、敬愛する主人の声がいつもより気高く感じてしまう。
「はい、お願いですか?」
ある意味、異様とも言えるこの状況でのお願いとは、一体何だろう。
ラウラも、それを横で見守るヴァールハイトも、戸惑いを隠せなかった。
「ラウラ、貴女は閣下より預かった騎兵隊500のうち400を率いて、敵右翼後背から左翼側へと抜けてください。これで敵の前線は大混乱に陥るはずです」
灯る蒼い瞳をヴァールハイトへ向け、彼女は言葉を続けた。
「ヴァールハイト殿、申し訳ございませんが、貴方の手勢200も共にラウラを援護してやってくれませんか?」
「……っ、姫様は?」
ラウラは思わず声を上げた。
ヴァールハイト男爵もまた、怪訝そうな表情を浮かべている。
「私は手勢100を率いて、敵の本陣を急襲します」
「そんな……、100は少なすぎます!」
ラウラの言葉に、ヴァールハイト男爵も同意するように頷く。
「いいえ、相手は後ろから攻められると思っていません。今なら、奇襲は成功するはずです」
ツェツィーリアは、神気を纏って蒼く灯る瞳で副官を見つめる。
彼女の神々しさに気圧されたラウラは、反論する事が出来ないでいた。
「わかりました……」
「蒼き旗のために、苦しむ者たちの為に、我々は敵を討つのです」
第2騎兵隊の眼前には、ワンベルク伯爵軍の無防備な後背が広がっていた。
我欲にて他領を侵略する、業深き軍の油断した背中が広がっていた。
「全軍、すすめーッ!」
ツェツィーリアの美しき声が響き渡ると、ローゼリア第二騎兵隊は一斉に森から飛び出し、敵陣へと突撃を開始した。
「ツェツィーリア様、後ほど」
戦場で淡く煌めく、一筋の蒼き光に率いられた僅かばかりの兵達へ別れを告げ、ラウラは託されたローゼリア第二騎兵隊本体と共に駆ける。蒼槍たるツェツィーリアと別たれた本体の働きは、彼女が直卒する部隊ほど派手ではなかったが、その分、堅実で実直だった。
蒼く光り輝く大輪に寄り添うような、ただ1枚の名も無き紫の花びら。
私はそれでいい。そんなラウラの想いを映すかのように。
敵右翼の後背を、地鳴りのような轟音が襲う。
ローゼリア第二騎兵隊本体と、それを補佐するよう命じられたヴァールハイト騎兵隊は、一糸乱れぬ隊列を保ちながら、まるで鈍色の奔流となって敵左翼後方へと襲い掛かる。
後背からの攻撃などあるはずが無い。と油断していた敵は、大地を揺るがし、空気を震わせるほどの勢いに怖気、狼狽える。攻めかかる騎兵たちの雄叫びは、敵兵の心を恐怖で満たしていった。
先頭を駆ける騎兵たちは、槍を低く構え、敵陣を突き崩さんとばかりに突撃を敢行し、続く後続の騎兵たちは、槍を薙ぎ払いては、すれ違いざまに敵兵を次々と斬り捨てていく。ツェツィーリアやラウラ、彼女たちに鍛え抜かれた彼らの槍技は、一撃ごとに敵兵を確実に葬り去っていく。
◆◆
「敵、後背に味方旗出現」
その報せを受け取った瞬間、アレクシスの心臓が高鳴る。
それはツェツィーリアの部隊に違いないからだ。彼女は無事なのか? 部隊は? 男爵との交渉はどうなった? 全てが予定通りであれば、今より決定的な勝機が訪れるかもしれない。
赤き淡い光を放つ、戦場で無双が如き強さを誇る我が腹心へ、我が弟に、『降伏せぬものは殲滅せよ。但し、もう間もなく次々と降伏し始めるかもしれぬぞ』そう言い残し、私は本営へと馬を駆る。到着するやいなや、副官のユリシスに手綱を預け、一言「頼んだぞ」と告げると、今度は我が足で駆けた。
足元の砂利を蹴散らし、息を切らしながら物見櫓の梯子を駆け上がる。
「はぁはぁ、待たせたな、リンハルト」
息を整える間もなく、櫓の上で戦況を見つめていたリンハルトに声をかけた。
「閣下!」
こんなに早く表れるとは思っていなかったのだろう。リンハルトは驚きの声を上げながら、慌てて敬礼をした。
「状況はどうなった?」
私は一刻も早く戦況を知りたかった。問いながらも我が視線は、遠くの敵陣奥深きへと向けられていく。
「ツェツィーリア様と思しき味方部隊と、ヴァールハイト男爵家の旗を掲げた部隊が、敵右翼後方より敵後背を急襲した模様です。ただ…」
「ただ? ただ、なんだ?」
私はリンハルトへ次の言葉を促した。
ただとは何だ。何か心配事でもあるのか? と。
「……私の目には、あの部隊を率いているのは、ラウラ様のように見えるのです」
「何だと?」
リンハルトの言葉に、私の表情は一瞬にして凍りついた。ツェツィーリアがいないだと!? そんなバカなことがあるか。私は居ても立ってもいられず、神眼を、異能の力を発動させる。敵右翼後方だ……早く。ツェツィーリアの姿を見つけなければ!
[ラウラ隊:騎兵391、士気89]
[ヴァールハイト隊:騎兵193,士気82]
……ラウラ隊だと? 嘘だろ?
騎兵本隊にツェツィーリアがいない?
この事実に私の心臓が凍りついた。血の気が一気に引き、全身の力が抜けていく。一瞬世界が色を失い、音が消え、全てが止まったように感じた。
この世に絶望しかけた私の視界の端に、騎兵本体から離れていく、小さな、本当に小さな小勢が映った。
たのむ……、神に祈るような気持ちで、その小勢を見つめる。
[ツェツィーリア隊:騎兵99、士気104]
彼女の生を確認した途端、私の世界は急速に色彩を取り戻し、鮮やかに色を映し出す。心臓は再び力強く鼓動し、全身に血が巡り始めた。
「ツェツィーリア!」
え? どこに? そんな表情を浮かべたリンハルトは、目をきょろきょろと動かし彼女を探している。私は敵陣の最奥、敵本陣めがけて走る小さな小勢を指差し示した。
「あ、あんなところですか……ですが、小勢すぎます!」
ツェツィーリアは預けた騎兵本体と離れ、僅かな兵を引き連れて、敵の本陣を急襲する動きを見せていた。我がローゼリアのために。
↓ 現在の戦況図はこちらです ↓
◆◆
ツェツィーリア!
戦場を一筋の閃光のように駆ける。そんな只中にあっても、一瞬呼ばれた気がした彼女はその方角へ向けて、僅かに視線を移す。移したその先にはローゼリア軍の本営旗、所謂大将旗が悠然とはためいていた。
──帝国北東部ではノルデンブルク辺境伯家が、強大なノーザンガルム連邦との国境を守護し、その武勇を誇っていた。帝国北西に位置するマインハルト王国との国境は、オルフェン侯爵家が睨みを利かせており、東のアルデスハイム王国との最前線では、キリング侯爵家とフンベルト侯爵家の二家が日夜警戒を怠らなかった。
これら四家は、帝国の国防を担う事から『帝国守護家』と呼ばれ、帝国内でも有数の影響力を誇っていた。ここへさらに、帝国中央部で圧倒的な権勢を誇る現摂政ゲーベンドルフ公爵家に、南のシュマリナ聖教国との国境を守護するゲルドリッツ大公家を加えた六家を、人々は『帝国六雄家』と呼び畏敬の念を抱いていた。
ワンベルク伯爵家は、この六雄家には及ばないまでも、中東部においては確固たる地位を築いていた。そんな帝国でも有数の大貴族家であるワンベルク伯爵を守る、最後の砦である本陣。そこへ僅か百騎という小勢で迫ろうとするツェツィーリアがいた。
次々に敵の本陣防衛線を突破する彼女の前に、本陣を守護するように敷かれていた最後の木柵が現れた。敵の本営である大きな大天幕の近くにまで迫ったツェツィーリアは迷うことなく手綱を引き、愛馬を飛び降りる。そして近くにいた供回りの兵士に手綱を託し、自身は大天幕を目指し進むのだ。
彼女が持つ愛槍も淡い蒼い光を放ち、立ちはだかる敵全てを貫き通す。
その瞳は、蒼灯のように光を放ち、その姿は、まるで伝説の戦姫が現世へ降臨したかのようだった。その足で悠然と地を進むツェツィーリアに、伯爵の護衛兵は勇気を振り絞り襲いかかる。だが、彼らの刃は届かない。彼らの刃が振り下ろされるよりも早く、刹那の如き速さで、彼女の槍の穂先がその身を貫いていくのだ。
気づけばツェツィーリアの周りには、敵兵の屍が山のように積み上がっていた。
彼女は武は嗜むが、殺戮を好む性格ではない。
むしろ無駄に命を刈り取る行為を忌み嫌うほどであり、基本的には優しく穏やかな女性である。そんな彼女が無数の屍を晒している。ヴァイスと同じ、彼の障壁となる者はすべて穿ち貫く。1本の蒼槍と化していた。
敵の本営である大天幕は、異様な雰囲気に包まれている。
全身を青白く仄かに灯す女性が、一人、悠然と歩いて向かってくるのだ。
本営警護を命じられた、伯爵付の護衛兵士たちを以てしても、唯の一人の女性を排除する事が出来ない。
「うおおおお」
己を奮い立たせるような叫び声を上げて、ツェツィーリアに向かって突進する護衛騎士。彼の雄たけび空しく、ツェツィーリアの槍が閃光のように護衛騎士を貫き、彼の命を刈り取る。一瞬にして騎士は言葉を失い、その体は地へ崩れ落ちた。
ワンベルク伯爵は、たった一人の女性に恐怖し、戦慄してしまう。
思わず、向かってくる一人の戦姫のような女性に問うた。
「お、お前はいったい何者だ?」と。
真っ直ぐに見つめる二つの蒼灯。再び世に舞い降りた戦姫の様な女は口を開く。
「私の名はツェツィーリア。敬愛する伯の2本の槍の一つです」と。
神崎水花です。
作品を読んでくださった皆様ありがとうございました。
少しでも面白い、頑張ってるなと感じていただけましたら、★やブックマークなど、足跡を残してくださると嬉しいです。私にとって、皆様が思うよりも大きな『励み』になっています。
どうか応援よろしくお願いいたします。




