二の上帝と武官
山石様のリクエストにより書いてみました。
R15程度の砂吐き警報発令します。ご注意ください。
宮の中でも、その主である二の上帝が住まう部屋の前の庭には噴水が置かれ、噴き出した水が涼しげな風を運んでいる。清涼な場に来、武官は思わず、すんっと鼻を鳴らした。熱砂に囲まれたこの立地では、熱を遮るように、大きく開けた場所に巨大な布の仕切りがなされている。その事が勿体なくなるぐらいに、この部屋には潤いがあった。広い内部には、中央に鳥の巣の様な床があり、今は宮の主が横たわっている。一度、部屋の出入り口で足を止めた武官は、動かない主を一瞥すると、気持ちを落ち着けるよう息を吐いて歩み寄った。
「カフカ様」
上から覗きこめば、白く柔らかな布に、癖毛の黒髪が散らばっている。無防備なそれに笑うでもなく、武官の目は彼女の健康的な小麦色の肌の上を滑り、腕や頬、肩口、見えない腹部にある痣を見、くっきりと浮かんでいるそれにため息を吐いた。無礼は承知と、裾を掃き、膝をついて床の高さに目線を落とすと、もう一度呼びかける。
「カフカ様」
「―――なんだ」
機嫌の悪そうな低い女人の声に、やはりタヌキ寝入りをしていたかと武官は身を起こした。そのまま不動になる武官に合わせ、カフカもゆっくりと身を起こす。僅かにぎこちないのは、痣と痛みのせいだろう。
「随分と無謀な事をなされました。次はないとお思いください」
「貴様、まずは妾を労わらんか」
彼女は隠そうとしているのだろうが、目敏く気付いた武官はそう言う。あんまりな言に嫌そうに顔を顰めたカフカは、恨めしい視線を向けて促し、ゆったりとした姿勢になるよう武官にクッションを動かさせた。甲斐甲斐しく、従順な従者を演じる武官に、指示は出したものの、カフカは気味の悪さを感じて小さく息を吐く。
「腹を立てているのか」
「それは、職務上でしょうか。それとも一個人として?」
「両方」
てきぱきと動きながら何でもない事のように話された言葉に、カフカはため息を吐きながら言う。「そうですね…」と彼女を横たわらせながら、武官。
「どちらかというと、一個人としての腹立ちの方が、強いかと思われます」
「……」
言いはするものの、特に表情が変わらない武官を無言で睨み、カフカは力を抜くように大きく息を吐いた。砂漠を移動する大型異形の襲撃があって一週間とちょっと。始めの数日は意識もなく寝込んでいた身としては、武官の苦言も素直に受けなければと思うものの、あの場では最善であったと、自身は後悔していない。そんなカフカの気持ちを察しているのか、「申し上げてもよろしいか」と彼は言って来た。頷けば、しれっと武官は昔馴染みとしての言葉で毒を吐いてくる。
「死ぬ気か、馬鹿女。無謀なまねはしないと、20の頃に言ったのは嘘か」
思い出すのは、二の大陸の政治を司る大砂院に登院してしばらくの頃。上帝ではあるものの、まだ社会に入ったばかりの小娘は絶好の傀儡で、境遇を同じくする昔馴染みやその仲間と会い、その現状を打破しようと誓ったあの時のセリフである。その時を思い出しているのか、カフカと同じ様に遠い目をした武官であるも、次には真っ直ぐと主人である彼女を見た。
「お前を死なせない――そう、誓った。俺だけじゃない、他の武官も全てだ。この国を変える為に主となると決めたなら、俺たちの命も拾え。でなければ、俺たちの血は砂に返す」
「妾を脅す気か、お前…」
決して怒鳴ったわけでない武官の言葉だが、静かながら拒否させない力強さがあって、カフカは困惑する。武官たちとの誓いは、彼女にとってみれば、現状と戦う為の精神的な支えと同義であったが、彼らは違うのだと、相互の認識の違いを感じた。しかし、その言い方が多少勘気に触れたか、カフカは「くっ」と強気な笑みを浮かべる。
「小娘の時分で無茶はしないと言ったのは確かだが、急事の際には、妾は上帝として動かねばならん。例え、妾が死んだとしても、次の上帝が降る。悔いはないよ」
上帝の役割は、異形から人々を守る事だ。異形と対峙するという危険があるものの、上帝は異形の天敵である強大な存在であり、滅多な事では寿命以外で死ぬ事は無いし、それゆえに人々に大切にされる存在なのである。さらに、血筋で残るわけではない上帝という存在は、先代の死の間際、それ以前に天から降臨する。二の大陸では、代々上帝付きの宮司が降臨の際にお迎えにあがるわけだが、カフカが死ねば新しい上帝が国の祭壇にやって来るとわかっているだけに、宮と人を守れるならば、最終手段として我が身も省みないと彼女は言った。
「カフカ」
「小言はそれだけか」
嗜めるように武官が言い、途端に上帝としての顔に戻って彼女は言った。それに軽く首を振ると、武官は、ゆっくりとした動作で床の縁に両手をかける。話しは終わりだと、僅かに目を細めたカフカだが、武官はじっと動かない。「聞こえなかったか」と再度彼を睨もうとした彼女だが、その前に武官が口を開いた。
「立場立場と拘っていたから待っているものの、…まさか、俺の求婚を忘れているわけではないだろうな」
その言葉にぎょっとしてカフカは目を見開いた。初耳である。武官は彼女に小声で囁くように続けた。
「お前を守らせてくれ、と言っただろう。まさか、上帝への誓いだと考えたわけではないだろうな」
驚愕に目を見開いている彼女に、武官は流石に憮然とした顔をすると、武官たちの誓いの後にわざわざ個人的にカフカの元に訪れたのだと言った。確かに、それは覚えている。何故か高潔と誓約の花を持って現れた彼に、随分真面目な戦士なのだなと思った記憶があった。それが印象に残っているからこそ、良く彼を登用するようになったと言っても良い。無言で武官を見つめるカフカの痣に一度視線をやると、彼。
「お前は、花嫁になる女が死ぬような場であっても、俺に寛容であれと言うのか」
痣だけでなく、全身を見られた気分になってカフカは盛大に顔を顰めた。
「ちょっと、待て」
慌てて片手で武官の言を制止すると、混乱する頭を落ち着けるため片手で顔を覆った。目の前の武官の出身部族は宮よりさらに西の、荒野に誓い場所だった事を思い出す。上帝の知識として学習した、彼の部族の慣習について必死に思い出せば、他の部族より花々が手に入りにくい事もあって、求婚の為に花を贈るのだと思い出した。さらに一般的な結納品の一つである玉で造った髪飾りの贈り物もまた、誕生の日に受け取った記憶があった。今でも上帝の編み込んだ髪にあるそれがあっては言い逃れできない。次第に赤くなっていく彼女を眺めながら、悪い予感が当たったとでも言うように武官はため息を吐く。
「女の仕事について俺は言う事もないが、子は産んでもらわねばならん。だからこそ、あんな無茶は許せない。……聞いているか」
「………」
思い出せば思い出す程、納得できる場面が次々に出てきて、カフカは絶句した。嫌われてはいないし、それなりに女として見られているとは知っており、このままギリギリまで婚期を粘ったら、いっそこちらから襲おうかと思っていた男である。結果的に良かったではないかとあっけらかんと笑う自分もいれば、何故そんな大事な事を確認も取らなかったのかと武官と自分を責めたい気持にもなり、このまま答えが出せそうにない彼女は、少し腕を動かして武官を見上げ、一番気になっている点を尋ねた。
「だが、私は二の上帝だ。甲虫の化身よ。お前、気にならないのか」
「ならん。第一、何度その姿と対峙していると思っている」
下手をすれば、甲虫への化身の為に、平気で他の男の前でも全裸になる彼女である。それも思い出したのか、カフカは渋い顔をする。そんな彼女に、彼は「一つだけ気になっている事がある」と続けた。
「女の、子を産める期間は存外短いと、母に聞いた。そろそろ、俺は、待つのが辛い」
ぶるっとカフカの背が震える。よくよく考えれば、伴侶として申し分ないし、狙っていた男でもある。だが、いざ結婚かと考えた時どうしたらいいのか、彼女はわからなくなった。先代は勝手に美女を集めて豪遊していたし、周囲の侍女にそんな話をしたこともない。大砂院の爺どもには、「早く血を残せ」とせっつかれているものの、何をどうすると具体的に指示された事もなければ、寝所に男を送って来た事もない。そんな不安のままに、カフカは小さく、「だが、どうする?」と呟いていた。その声を耳に入れたか、途端に武官が目を見開き、どこか泣き笑いの顔で微笑んだ。初めて見る、随分な顔をしている彼に、彼女は呆然としてしまった。
「それは、求愛を受け入れると言う事か?」
これまで全く彼の求愛に気付かなかったからか、確認をとってくる彼に、カフカは意を決して頷いた。
「そうか」
これは来るかと身構えたカフカだが、一言頷くと、武官は愛おしそうに彼女の額を撫でた。思わず拍子抜けして武官を見上げる彼女だったが、彼は珍しくにっと意地悪く笑い、「体を治してからだな」と言う。確かに、まだ医者からは無理をするなと言われていたとカフカもふっと破顔をすれば、その隙を狙って、武官が額に口付けた。
「なっ…」
「…にをするっ」と、彼女の驚きの抗議は、さらに素早く動いた武官の口付に潰れてしまう。常に気を張っていて、男に甘えるということが苦手だと自覚している彼女は、これぐらい強引な方が任せられるかと頭の片隅で考えて、ふっと微笑むと、今度は自分から彼の首を抱き寄せた。




