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KARINA  作者: 和砂
本編
10/51

尊き方

 ぴくりと、瀕死の男の傍で寝そべっていた縞模様の竜が頭を起こす。息も絶え絶えの男から「如何なされました」と普段通り、それどころではないだろうに返答が来るのにも構わず、彼女はぐいっと長い首をもたげた。首を捩じり周囲を見渡すが、通常通り、街道に人の影はない。だが、何故か、嫌な予感とでもいうように耳鳴りがする。単なる体の反応だろうかと、唾を飲み込む動作を繰り返すが止まず、不快に耳に手を伸ばそうも、手が短くて届かず、何とか長い首で近づけようと間抜けに体を動かした。「ふっ」と微笑ましげに吐息が漏れ聞こえ、彼女は厄介な彼を軽く睨む。

 瀕死であるのに、なんと幸せそうに微笑むのだろうかと、彼女は彼を見た事を即座に後悔した。恐らく彼は、名前が同じだというだけで他人を殴るほど、上帝を敬愛しているのだ。だから、上帝と間違えた彼女を大切にする。決して、哀れな異世界からの落ち人へ、情を向けてくれたわけではないのだ。そう思えば、彼もまた、哀れだなと彼女は思った。意図したわけではないが、彼がこうして苦しむ分、死後に裁かれるだろう自身は、嘘をついた罪で地獄へ落とされるやもしれない。人と関わるというのは安易に出来ず、何かしら責を負うものだなと、彼女は目を細めた。彼が死ぬとしても、この勘違いを自身は死ぬまで持っていこう。

 何故か穏やかな心地で、彼女は遠くを眺める。猛禽が上空を支配し、けれど、渡る風は草を揺らして、まるで故郷の水田を渡る風の様。何処とも知れぬ迷子の自分を嘆くばかりであった彼女であるが、故郷と同じものもあるかも知れぬと、初めて思った。日の温かさ、風の爽やかさ。喉の渇きと水の潤い。人ではない、竜とは成った。けれど、生きていけるかも知れぬ。

 ―――――――――貴方の、お陰だ。

 確かに暴力も受けた。怒りも湧いた。だが、どうしようもなく沈んでいた自身に、命を賭けて救いをくれたのも、彼だった。平安な故郷でこんな重い関係など結ばれる機会もないだろうが、人との縁は不思議なものだとの言葉はある。ある意味彼には不幸であったが、彼女は数日過ごした彼の生存を願う程に、彼に情が傾いてしまったのだろう。聖人とは、この人の様なものかもしれない。随分とまぁ、執念深い聖人であるが。

 「くるるぅ…」と穏やかに鳴いた竜に、薄目を開けつつも眩しく見れない彼は、顔に力を入れて何とか笑みの形を作った。普段から気が立って何かに脅えていたこの方が、日の下で微笑まれているのだろうと、嬉しく思ったのだ。極限の体力であるためか、故郷の父母への孝行など思考から吹っ飛び、このために、自身は生まれてきたのだろうかとさえ思う。日を背後にこちらを窺う竜の姿は凶悪であるが、穏やかな声音は尊き存在を思わせた。

 しぶとく生きているが、満足して逝けると彼は思う。今ここで息絶えれば、父母には申し訳ないが、この方の柵は解かれ、自由に天へと戻られるのではないかとさえ思ってしまうのだ。その際は、この方に追従しても許されるだろうか。そう幸福に力を抜こうとした彼だが、刹那、爆発音と「ぐぎゃっ」と悲鳴を上げる竜にカッと目を見開いた。




 危険を知らせる上帝の魔が届かずとも、街道脇で待機していた第五師団長は森の異様な様子に警戒していた。上帝らが姿を消してからしばらく、何度か上帝の声らしき咆哮を遠く聞いていたが、ある時、一定間隔で振動と森の木々が揺れる音がしてきたのだ。森から街道へ、小動物らが移動してきたのを皮切りに、中型の狐まで飛び出してきて驚愕する。強大な何かが森から移動してきているのは予想つくものだが、最後に近くでドスンと地震がすれば上帝の上着その他を置いて、自身の槍を構えるのも自然だ。

 木々の幹に沿い、隠れるようにして窺えば、視界にある街道の中央に黄色と黒の縞模様がある巨体が降り立つ。人の空想の産物である神話の中の存在を確認して、流石の第五師団長も震えた。竜などと、そんなものは物語の中だけで十分である。異形でさえ、これほど大きなモノは見たことがない。魔の法の乱れはないが、凶悪な色といい姿といい、人と相容れる存在には見えなかった。

 師団長の地位を得ているとはいえ、単独、いや、上帝を含めた三名でこれに当たるなどという愚行も考えない。森へと入った上帝らと合流し、これを処理しなければ。師団長が身を屈めて荷物を取り、ゆっくりと背後に下がろうとすれば、視界の竜が動く。気付かれたかと緊張すれば、竜は首を街道へと下げ、ゆっくりと何かを吐き出した。野生動物、とりわけ猛禽がするように、獲物でも喰らう気かと眺めれば、それは人の姿をしている。竜は様々な角度から獲物を窺い、すぐに齧り付く気配はないが、もしや上帝の身に何かと師団長は魔の法を使った。

「ぐぎゃっ」

 一度周囲を見渡し、いよいよ人に顔を寄せ始めた竜の横っ面を、炎を纏った岩の塊が殴り飛ばす。長い首が、ふらりとよろけて街道へ倒れた。それだけで強い振動が襲ってくる。魔の法を練り上げる杖代わりともなる槍を手に、師団長は倒れた竜へ、玉砕覚悟で距離を詰めた。

「上帝…っ!!」

 しかしながら、倒れた竜に咥えられてきたのは彼でなく、冒険者の風体の男である。一見して死んでいるのかと思う程顔色は悪く痩せており、さらに片腕の傷を放置していたのだろう、膿んで変色しかけている。

「ちっ」

 男をざっと検分し、師団長はらしくもなく舌打ちした。上帝であればとの心配から、こんな竜の懐に飛び込んだのである。最悪の心配が外れたのは良いが、遭難した冒険者を助けるためだけに師団長である自らが死ぬのは、一の大陸にとっても損害だ。運がなかったと、師団長は苦く歯ぎしりする。手にした槍に、魔の法にて雷を纏わせた師団長は、倒れて首が近い今こそが好機と倒れた竜の首を刺した。

 ―――――――ぐぐあっ。

 鋭く磨かれた槍の刃だが、竜の鱗は浅く刺さるのみ。竜から短く悲鳴があがったのも、突かれた傷より纏った雷に体を貫かれた痺れの為だろう。第二師団長のように馬鹿力があればとさえ、彼は思った。何度も傷をつけて致命傷を負わせるのは、この首部分は難しい。では腹かと考えるが、竜が飛び上がれば、魔の法で狙い撃つのも難しかろう。虎となれる上帝でさえ、大きさの違いから攻撃をすることは難しい。弩兵を、いや、槍兵をと目まぐるしく考え、師団長は瀕死の男の傍に着地した。

 ぐいっと足を取られたのは、予想外である。見れば、瀕死の男とは思えぬほどに眼をギラギラとさせた冒険者が、師団長の片足を強引に引いていた。堪らず片足をつけば、正面は深く息を吐いて怒り猛る竜の姿。馬鹿なと、彼は思った。まさか助かりたいために、師団長を身代わりにしようと、この男が動くとは思わなかったのである。それほど、この男の死の匂いは強い。

「離せっ。貴様、死にたいのかっ」

 師団長の中でも穏やかな相貌の第五師団長でさえ、師団長らしき威厳を持っている。若兵を一喝する怒声を上げれば、足を掴んだ冒険者もまた血を吐くような叫びを上げた。

「貴様こそっ、この尊き方に何をしたっ!!!」

 尊き方だと、と師団長は困惑を浮かべたが一瞬、戦人らしき切り替えを行い、苛立つように眼を細めて唸った竜へと、魔の法、雷を召喚した。魔の法を感じられるのか、我に返ったように身じろぎした竜だが、遅い。身を起こすついでに広げられた被膜、その根元付近に細い針のような雷が天から降って貫いた。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 竜であるが、痛みに上げる声は人と変わらぬのだろう。吠えた竜の口から火が噴き出され、さらに警戒に身を引き締める師団長とは違い、彼の足にしがみついた冒険者は、「上帝っ」と悲鳴を上げた。

「は? 何を言っているのだ、貴様」

 一の上帝の化身は虎。これは竜だ。体の文様だけで認識するほど、気が狂っているのではないだろうなと師団長は嫌悪に冒険者を足蹴にする。体力もない死にかけの冒険者だ。簡単に手を離してしまい、師団長はさらに竜へと詰め寄った。反撃もできない竜に、雷は有効と見て、さらに魔の法を操る。追撃をと竜を見据えた師団長は、魔の法を操る一瞬の隙に、痛みに顔を向けた竜と眼があった。不思議な事に竜に殺意はない。ただ、その眼が茶味の外縁と黒の瞳であり、何か、傷ついた表情をした、そんな気がしたのだ。死んだ振りをする獣も居る。同情は自身の死と、彼は雷を召喚した。

 ―――――――――弾いて、”カフカ”。

 魔の法、だろう。耳には、竜の咆哮に聞こえた。実際の音と重ねて聞こえた竜らしき声に、師団長ははっとして竜の眼、今は上体を起こして見下ろしているそれを凝視した。師団長が召喚した雷は、一度だけ竜の角の部分に落ちたかと思うと、鱗部分を反発するようにして大地へと吸い込まれる。完全な隙であったのに、竜は何もしなかった。びくりと師団長が震える。竜の眼は悲しげに、そして寂しげに揺れて、師団長を責めていた。

「貴方は―――?」

 ようやっと姿は恐ろしいも、その内面はと考える余裕が出来た師団長であったが、声をかけた直後、後頭部に鈍い痛みを感じて街道に倒れる。冒険者らしき、瀕死の男が手に持った鞘に入った剣で殴ってきたのだと、それだけがわかった。呻く師団長に、それ以上の行動が出来ないのか、冒険者らしき男も倒れ伏せる。

「ぐるる…」

 比較的穏やかな、けれど、今の状況に困惑するかのような竜の声が、二人の上に降ってきた。それに冒険者らしき男が、竜に手を伸ばすように横顔を向ける。

「お行きください、名も知れぬ、尊き方」

 そう告げられ、竜はびくりと眼を見開いた。上帝でないと気が付いていたのかと驚愕し、悟らせてしまったとの悲劇の顔である。それを見て、冒険者はやはり人の心をお持ちだと、おかしみを込めて小さく笑った。恐らく、自身は追従できないだろうと思う。寂しげに、そうして迷子のような不安定さを持つこの方にどうか幸福をと、祈りを込めて寄せられた顔に手を当てれば、鱗の肌は思いの外、温かい。びしゃっと手が濡れたと思えば、罪悪に苛まれた竜の瞳から涙。真に男に向けられた、この方からの感情に、男は満面の笑みを浮かべた。

「お行きなさい…」

 ぐっと力を振り絞って鼻先を押すと、まだぼたぼたと涙を零しながら竜が一歩、二歩と下がる。よろよろと、歩き始めた仔のように、不安気に何度もこちらを振り返りながら。最後には翼を大きく広げた姿を見て、男は疲労から眼を閉じる。

「この世に坐す神よ。もし、我が願いを聞き届けてくださるならば…」

 ”上帝”だと勘違いしてしまったが、かの方もまた尊き方だと、彼は確信してしまった。あちらはこちらの言葉を分かっていた様子だが、こちらはあちらの言葉がわからなかったのも、惜しい事だと思っている。だから、結局最後まで、呼べず仕舞いだった。


 ―――――――――次には教えていただけるだろうか、かの御方の御名前を。


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