22 Celebration
大きく見開かれたフランの瞳から注がれる視線は、ルイの顔、傷だらけの腕、そして再びルイの顔へと巡回して戻ってきた。もう一周しそうな視線から逃れるため、ルイは宝飾時計専門店のガラス扉からデュバル・ストリートを眺めやる。
「小切手にカレー代を足すの忘れてたからな、ランチをおごればいいんだろ? マグノリアカフェのサワードウ・サンドイッチだったか」
「……もう一枚、小切手を切れば済むのに?」
「現金主義なら、ここで決済しましょうか?」
戸惑いに怯えていた唇が吹き出した。こらえきれない笑いに肩を震わせながら、フランは呆れたように天を仰ぐ。
「君って本当にひねくれてる。和解を申し込みに来た態度と思えない」
「当たり前だろ。振った女に未練が湧くなんて間抜けもいいところだ。手土産にやっと見つけた六本指の猫は凶暴だし」
ルイは真新しい引っかき傷満載の腕をさすった。
「そうなの?」
「あんまり暴れるから逃がしちまった」
「猫じゃなくて、振った女に、の続きを議題にしたいんだけど。照れ隠しで論点ずらすの、素直じゃないけど可愛い癖ね。……それで、『フラグラーの愚行』並みの非現実的オファーにハリケーンを起こしてみたご感想は?」
俺たちにはオブジェさえ残らない。そう言い捨てた皮肉屋は、からかわれて心外だとばかりに眉を上げてみせる。
「おかげで、ろくでもないビーチで我慢してたコンクはバヒア・ホンダを手に入れたんだろ」
「六本指の猫に口を引っかかれちゃえば良かったのに」
「まあ、せっかく口が無事なんで言っとくと……気付いたんだよ。鉄橋が落ちても、俺は既に本土じゃなくてキーウェスト側にいる。あんたのいる方にね。会った時点でもう戻れない地点に連れてかれてた」
両親という名の橋桁が落ちた鉄橋で、ルイはずっと立ち止まっていた。その先へ進むにはUS-1の景色よりトラックより、助手席の住人がなければ始まりようがなかったことをようやく認める。
「フランのいるバヒア・ホンダの景色に、俺も混じってみたくなった」
待ちわびた祝福の瞳がゆっくり微笑む。
たった数ドルで寡占出来るブルーグリーンのビーチのように、この瞳を独占するために心の隔壁を少し下げるのは、怯えていたほどの大作業ではなかった。ルイはメキシコ湾の温かな水が静かに流れ込んでくるのを感じる。
「なら、条件があるの。……水着を買うこと」
「The deal is done.」
「それから、カレー代を決済して。あたし現物主義なの」
白い手が傷だらけの手を引いて、フランが支店長を務める宝飾時計専門店の中央を突っ切らせる。
「サンドイッチは?」
「言ってあるでしょ。支払いはキャッシュじゃなくて労働力で、って」
支店長室のドアが閉まると、支払いは唇で唇から回収されていく。労働力の意味を悟って、ルイは大仰な嘆息をしてみせた。
「俺のセックスはサンドイッチ並みの安さなのか?」
愚痴りながらも素直に迅速に支払いは進められ、衣服は紙幣が撒かれるように次々と床へ落とされた。
「君はあのサワードウが絶品だって知らないから、そんなこと言えるの。……あとで消毒しなくちゃね、アンティーク部門の責任者が傷だらけじゃ、店の信用に関わるわ」
「のんびり暮らせばいいとか譲歩しといて、やっぱりあんたの下で働かす気なんだな」
「だって君、下にいるクセに冷静に見下すの大好きでしょ。……ね、こんな、ふうに」
契約書など不要だった。ルイは自分のインクでフランの一番奥にサインをする。冷静と程遠い熱気の中にいるのに不思議と凪いだ境地が居心地良くて、つい呟く。
「俺にはあんたがいいらしいんだ、フラン」
「あたしもそう思う」
I can't agree with you anymore.これ以上賛成できないくらい賛成――その通りだと真面目に頷かれるのが皮肉屋には一番つまらない反応だ、とみずから宣言したはずだった。
なのにフランの返事にいたく満足している自分に気付いて、ルイは苦笑した。
「あたし、夢が一つ増えたの」
「アンガスビーフを見捨ててマクドナルドを誘致するなら、いい経営判断だ」
「違うったら、もう。……君に、あんたを愛してるって言わせること」
なんて楽天家なんだ、とルイは呆れてため息を吹き上げる。
「そいつは結構、手間のかかる夢だと思うぜ」
「可能性は否定しないのね」
「まあ、車で海を渡って密入国するよりは。ところで五万ドルの小切手、返してもらわないとな。労働力で払うことになったんだから」
出した手をぴしゃっと叩かれた。
「ビーチやベッドで君にビジネスの話をさせない、って夢も追加しないといけないみたいね」
「あいにく職場でソファだけど、ここ」
「密入国の話を信じるまで返さないから」
「じゃあ、コーラでシャワー浴びるよりは……なんて言ったら、今からグローサリーのコーラを買い占めに行きそうだな」
君のピックアップトラックを貸してね、たくさん積めるから――そう笑うフランにルイは、タイヤの空気圧を上げておくと請け合った。
...It's The Second Beginning