8-17『自愛』
人波を強引に割り、一人の男が「通してくれ!」と叫び声を上げた。
密集した群衆は、逆流してくる男に苛立ちを露にし、肩をぶつけ合うようにして押し戻そうとする。が、男は腕から治癒師の紋章布を剥ぎ取って、「けが人を殺す気か! 道を開けろ!」と高く掲げたので、引け目を覚えた住民たちは道を開けた。その頼もしい背が作るわずかな隙間を逃さず、シェリングとエミールもまた、フッセルルの足跡を辿って広場へと足を踏み入れた。
広場の警護にあたる衛兵が槍を構え、三人の足を止めようと立ちふさがった。だが、その動きを背後からの鋭い一喝が制する。
文官長が、開いた掌を自分の方へと何度も激しく振り、強引に空気を掻き寄せるようにして手招いていた。
「いい、通しな!」
命じられた兵士たちが慌てて槍を引き、左右に割れる。フッセルルはそこに生じた空白へ、弾かれたように飛び込んだ。
フッセルルは気が気ではなかった。ノクスとアルバの容態は。そして、二人を追って飛び出したルカはどうなったのか。
三人とも無事であれと強く願い、夜勤の治癒師たちに状況を伝えて自らも捜索に出ようとした。そこへ血相を変えたエミールが駆け込んできた。預かっていた双子が居なくなってしまったから、保護者であるシェリングに会わせて欲しいと言うのだ。
エミールは区画門を守る衛兵だが、兵士健診のたびに緊張しすぎる悪癖があった。かつては置物のうさぎに何らかの意味を見出して、泡拭いて倒れたこともある。それ以来、彼の健診にだけは三人の治癒師をつけることが通例となっている。そんな男が子供を預かったのは、憧れのシェリングに良いところを見せたかったからに違いないと、即座に察しがついた。
シェリングの病室に向かうと、足に怪我を負ったその優男は、虚空を見つめて立ち尽くしていた。エミールが彼に泣きつくまで、二人の入室にさえ気づかぬほどの没入ぶりだった。その時、無数の症例を刻んできたフッセルルの記憶と直感が、火花を散らした。
ノクスとアルバ、そして消えた双子。最初は、連れ去り事件が立て続けに起きていると考えたが、どうやら違う。彼らは、なにか得体の知れない糸で結ばれている。偶然という言葉では到底説明のつかない、冷徹な必然によって。
エミールの話を聞いた途端、シェリングは彼の肩を強く掴み、力任せに押さえつけた。何かを問うわけでもなく、目線は虚空へ泳ぐ。その表情は、「双子が連れ去った」と、雄弁に語っていた。
自らも探しに行くと言ってきかないシェリングを留めておくには時間がかかると判断し、フッセルルはエミールに補助を命じると、三人で捜索に出た。
そして喧騒激しい人波を抜けて、フッセルルはノクスとアルバの傍らに膝をついた。
「先生…っ」
ルカの悲痛な呼びかけに、フッセルルは一言も発さず頷きだけで応える。即座に道具箱を開き、弟妹の容態を精査し始めた。
ルカは震える手で自らの上着を脱ぎ、丸めてノクスの頭下に敷いた。フッセルルも迷うことなく白衣を脱ぎ捨て、横たわるアルバの頭部を優しく保護した。
言いたいことはたくさんあった。ルカは家族を取り戻すという大仕事をやり終えたのだ。涙の理由を聞いてやりたい衝動に駆られ、何度もその様子を盗み見た。
(また新しい傷を作ってやがる――)
喉元まで出かかった怒りを飲み込む。同時に、今にも崩れ落ちそうな体で踏ん張っているその姿を、褒めてやりたかった。やがて治癒師見習いの顔を取り戻して補助に入るルカを見て、フッセルルもまた治癒師の顔と取り戻す。まずは今を乗り切らねばと、ひたひたと溢れそうなものを胸中におさめた。
もしも、この子たちの心を通読することができたら、自分は何を感じるのだろう。シェリングは双子へと歩を進めながら、そんな事を思い浮かべていた。
(ちがう……これは俺のせいだ……)
心のどこかで恐れていたことが、ついに形を成して目の前に転がっている。
階段から突き落とされたあの日、痛む体を横たえながら、それでも彼らを庇う事を選んだ。フッセルルやルカに言った「不注意だった」という嘘で、自分の姉夫婦の忘れ形見を守りたかった。その独りよがりな気持ちのせいで、こんな事になってしまった。
内側からあふれ出す自責が、骨折した足の痛み以上に激しく、シェリングを苛んでいく。
エミールがシェリングを支えようと手を差し出した。だが、シェリングはその手を撥ねることもせず、しかし頼ることもなく無視した。不自由な片足と杖を交互に、一歩ずつ、自らの意志で石畳を刻んでいく。
だが、彼は双子の目前までは寄らなかった。あらかじめ引かれた境界線があるかのように、一定の距離を保ったまま足を止め、杖を突く。
エミールの忙しない視線。そして、シェリングの底知れない眼差しが、硬直した双子を静かに、そして重く射抜いた。
どうして、何も言わない?———両者を見比べたエミールは静寂に耐えかねて、双子へ歩み寄った。
「なにかあったんだよね。起きたら、居なくなってたから……驚いたんだよ。ねぇ……」




