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【毎日8:10更新/8章:クライマックス直前!】きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第七章

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7-3『花殻を撫でる』

診療所の向かいには煙突の飛び出た赤煉瓦の家屋が並んでいる。三層ある水飲み場は、一番上が飲み水として利用され、二段目などで野菜のすすぎ、三層目で洗い物をしていることが何となく窺えた。人が来れば挨拶をして、石鹸を貸し借りしたり、野菜を冷やしたまま長く立ち話に興じる人もいる。


ルカはこうでもしなくては人々をじっくり見る機会さえなかった。彼らの歳は少し上だろうか。どんな家に住み、どんな仕事をして、何を考え、どんなことを話しているのだろう。窓辺から人々の旋毛を眺めるが、想像以外に楽しみはない。


しばらくすると馬を引き連れてやってきた男が片手をあげて、洗い物をする女性たちに声をかけた。丁度そこにかごを抱えてやってきた別の人が片手を差し出しながら男に詰め寄る。男は後退って、何やら気まずそうだ。そのうちに馬のしっぽが男の顔を撫でて、男はますます取ってつけた様な笑みをした。胸元を探り、握りしめた拳を女の掌の上でぱっと開く。何も入っていないので激怒した女は逃げる男を追いかけてしきりに肩を叩いた。


にぎやかな笑い声はルカの耳まで届いた。窓を開けたら、話し声がちゃんと聴こえるだろう。でもそんな事はできない。

突然、洗い物を終えた女がぱっと上を向いた。ルカは咄嗟に身を引いて室内に引っ込んでしまった。気づかれただろうか。頭に手を乗せる。普段外に出るときに着ている外套は壁に掛けたままだ。この窓はつぶてが一つあれば簡単に割れてしまうだろう。鼓動が高まる。彼女たちには角があって、ルカにはない。


「気分でも悪いのか?」

「! 先生……」


声がうわずったが、何でもないと首を振る。

先生は窓辺までやってくると先程ルカがしていたように、硝子に顔を近づけて外を窺った。雲が低く垂れこめた空をみて「今日も陽がでないだろうな」と首を振る。下はみなかった。水飲み場にまだ人が残っているか確かめる勇気はルカにはなかった。


ルカは端に寄せていた椅子を引き寄せ、二つの寝台のあいだに置いた。先生が腰かける。

ノクスとアルバは寝息を立てており、規則正しく上下する胸がかすかに布をおしあげている。

二人の穏やかな呼吸を聴きながら、ルカは胸の上で傷だらけの手を重ねた。


先生は寝台に身を乗り出すと、脈を取り、首筋に触れて、それから治療記録をめくって黙り込んだ。目は記録を遡っていたので、その間黙って待っているルカは自分の血が抜けていくようなうつろな感覚を味わっていた。


「……熱発は完全に治まったようだな」

「はい、咳も少なくなりました」

「夜にはまだ?」

「はい、二人とも決まって四時ごろ……えっと、昏刻のあたりに」


一日を四時間ずつ六つの時間帯にわける時間表記は、魔族の間でのみ使用されているものだ。


「あんた、睡眠を取れと言っているのに治癒師の言うことを本当に聞かないね」

「きちんと眠っていますよ。でも、この子たちが呻いたり咳をひとつするだけでも、心配で目が覚めるんです」

「それじゃあ寝ているとは言わんな。どうせ背中さすってずっと起きているんだろう。あんたはまだ患者なんだ。補佐官を呼ぶべきか、それとも守護隊を呼ぶべきか。主治医の言いつけを守らないなんて腹立たしい限りだな」


フッセルルの半目がルカを睨む。彼の顔には大型獣の爪痕が刻まれていた。傷は長い年月を経過して白い痕となっているが、皮膚は陥没して、髭も部分的に生えていない。彼は溜息を吐いてから、目のそばで指を上下させた。


「ここへ座れ。包帯を外そう」


ルカの顔半分を覆っていた包帯がゆっくりと緩められる。圧迫されていた皮膚に血が流れていく感覚があって、顔全体が膨張したような気がした。こめかみの辺りが特に熱く、吐く息も少し熱っぽい。

最後の一巻きが取れてもルカはまだ目を瞑っていた。既に瞼の裏で光を感じる。眩しいのだ。一呼吸おくと部屋の灯りが消えた。


「灯りは消した。ゆっくり開けてみなさい」


にじんだ視界が、少しずつ像を結んでいく。薄灰色の天井。真っ白い布の小山、水の満ちた水差し、そしてフッセルルの顔。


「両目でしっかり見えるか」

「先生の顔がちゃんと見えます」

「良い男だろ? 傷があるからな」

「傷があると?」

「女がよってくる」


ルカは思わず破顔してしまった。酒場にいた男たちと同じことを言っていたからだ。


「早く顔が洗いたいです。かゆい」

「今日は早めに帰るんだな」


先生が箱を持ち上げたところで、ルカも立ち上がった。

フッセルルは立位して見送る姿勢を取るルカに、内心呆れていたが――何故なら足を負傷している患者なのだ――こうして話をしたり、弟たちの世話を怠らない姿から「異常なほど頑固で、背負いやすい性格」をしていると察していた。きっとやめろと言っても、毎回律儀に立ち上がって別れの挨拶をするのだろう。


一度わかってしまうと、思考が手に取るようにわかりやすくて閉口する。要するに、人間にも「まし」な奴がいるということだった。






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