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【毎日8:10更新/9章:クライマックス開幕!】きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第六章

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6-4『犠牲』

時計屋が懐中時計の蓋を閉めると、金属的な甲高い音が一室に響いた。


「聞いていますか?」


ルカは時計屋の険しい目にただ頷いて返したことを詫びて、記憶をありありと掴んでいた手を離すと改めて彼の指摘を丁寧に繰り返して、弟妹を連れて帰りたいとはっきりと望みを口にした。


重い外套はしきりにずり落ち、頭巾の上部に戴いた重々しい角守りは垂れ下がって額飾りと化している。頭巾の下に隠れた顔はさらに包帯で隠され、美しい刺繍の外套と対照的に彼女のすさんだ身なりは虜囚そのものだった。

時計屋は複雑な面持ちで魔族用の外套をつけたルカを一瞥し、舌打ちと共に視線を外した。女一人にかかずらう現状に嫌気がさし、室内の方に注意を向ける。


三人が身を置く木箱だらけの部屋は、本来石灰で壁塗りされ、目を瞠るような装飾が施されていた。今はどこも貧相な木板で塞がれて元の景観を望むことはできない。この城塞はかつて主郭として王国の社会儀礼を刷新し続けてきた場所であった。王の居室があり、議場があり、頑丈無比の外門の内側には統治に必要なものが揃えられていたが今やその価値はない。

かつての威光を伝える荘厳な意匠は、木板裏の二重化した壁の中に収まっている。無用にも思える表面上の刷新は、この塔が焔咳病(えんがいびょう)を始めとした重症患者と、看護にあたる数名の治癒師や薬師たちの隔離所として使用されていることと無関係ではないのだろう。


「止まって」


突き当りまで進むと、階段下から激しい咳が聞こえた。ばたばたと駆け寄る足音が続き、音が絶え、また別のところで足音がした。数段下りて階下を覗き込んだ時計屋は桶をもった女が階段のそばを通り過ぎていくのをみた。背中が向かう先には洗濯室がある。以前侵入した時に看護人の衣服をくすねて着替えた場所だ。


「上には誰もいないようです」

「…………」

「どうかしたのですか」


階上を探るため身を乗り出していたルカは、時計屋が壁に身を預け、考えるふりをして体を休めていることに気づいた。彼は気こそしっかり保っていたが、いかにも苦痛という顔で小刻みに震えている。薄暗さのあまり気づくのが遅れたが、むろん時計屋もできれば知られたくはなかっただろう。


近づいてきたルカに時計屋はするりと身を引いて階段を上がった。後ろに物申したい空気がつきまとったが、「早く」ときつく言い放つ。


だが、時計屋の歩みは明らかに異常だった。片手を胸に当てて、もう片手で壁を掴んで身を引き上げながら歩いていた。額に汗がにじんで、巻きつけてある懐中時計の細鎖が揺れに合わせて胸や腹を叩く。背後にいたルカは足払いをして強引に抱き上げてしまうか真剣に考えていた。


「貴方一人くらい担げます」と、外套をめくって左右の合わせを背中の方に追いやる。

「やめてください」

「断っている場合ですか」

「黙れ。お前の弟妹さえ連れ帰れば終わる。生きているかもどうでもいい」


予想通り女の口が閉じて、時計屋はひっそりと口角をあげた。自らの悪辣さに笑みがこぼれるも、ただ笑えばいいという体で笑った。



弟妹がいるという部屋に着いた時、時計屋の指図で扉の前に立ったルカは、くどくどと(はや)し立てる心臓のわずらわしさに冷静を装った顔を崩していた。取っ手に置いた手は震えて仕方がなかった。扉の向こうに弟妹がいるというのに、思い浮かべられる限りの悪夢が視野の裏側にあった。


最後に見たのは高熱で歯噛みし、煮立つ口腔をさらしていた唇だ。渇いてひび割れていた山型の唇に水を塗った。笑みを浮かべてとろけていた愛おしい瞳は、色を失い、まばらに漂う。


まだ元気であった頃、留守番をしていたノクスとアルバはいつもそこらあたりの洗濯屋の裏にしゃがみこんで、垂れ流されて地べたを濡らす排水に両手を浸して遊んでいた。

うつむいて楽し気で、店の男がその水はきたないんだと言っても何一つ的確に捉えることもせず反応しない。男のいう通り灰汁や石鹸かすの混じった水は、清流と真逆にあるものだ。だが濁水はとても温かく、いつもは焚き木で時間をかけて煮立たせる水が、あたかも地面から噴き出しているかのように流れているのだ。それだけで幼い子には面白くうつる。二人はその排水の川に、たわむれに桶を覆したような快さを感じていた。ただ水を叩き、手のひらですくって、形を失うような感じを楽しんでいた。


狩りを終えると既に夕焼けで、暗みゆく空を背に二人の名前を呼ぶ。弾む声が返って、微笑を浮かべて抱き着いてくる二人を受け止める。それから小まめに働いていた男が前掛けから銀貨をとり出して握らせてきた。


銀貨一枚の輝きに、二人は無邪気に喜びと感謝をあらわした。男は腰を折ると耳元で言った。


『前払いだ』


ここではルカだけが女だった。避けようもなく男の目をみる。素早く別の色が混ざる目を。ルカは流した瞳の先に二人の顔を見て、それから銀貨を地面に置いて帰った。家につくまで短剣は握ったままだった。


取っ手をもたない方の手で、銀貨の感触を愛撫する。何もない。手中に乾ききった肌と爪が擦れる音だけが聴こえた。ルカはそうして空ろを確かめ、おおきく息を吐いた。


「いきます」


擦れ声が、二人の男の耳に届いた。






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