4-5『毒』
「私の求めるものは手に入ったので、じゃあどのように牢屋を出ようかなと考えていたら看守がとにかく話を聞いてほしいという顔をしていたものですから。それで。どうして死んでいないのか、ですか? それはもちろん」
「……口を閉じろ」
この男の口から出るものはこの男にとって都合の良い話だけだ。深追いをするなと直感が告げて、ルカは主導権を取り返すために剣に手をかけた。
だが態度を硬化させてみせても男はにっこりと微笑むだけだった。恍惚とした表情の裏で、他人に対して物足りないと思っている、そんな調子がにじんでいた。高く結った髪は男が軽薄に笑うたびに揺れ、肩から背中に青い束をこぼした。体中に絡みつく時計から針の音が響く。その音だけ精確であることが皮肉に感じられる。
男は一度諸手をあげると、手中の懐中時計に目を落とした。傾聴する姿勢に入ったらしく、俯いた顔は口紅まで鮮やかだ。
「お前の遺体が運ばれていくのをみた」
「……」
「あの場にいた者は……死人以外、闘技場に連れていかれた」
「……」
「……私と看守の話を聞いて弟と妹がいることを知ったんだろう。あの男は死んだと言ったが信じなかった」
男は黙って時計を見ている。
「……狙いは、城までの地下通路か」
闘技場での戦いの後、階段を下りて細い通路を通った。地下通路は入り組んでいて、一度通った程度では仔細を思い出せない。同じ素材の壁や扉が続き、一つの扉が開くと、壁の中で鎖が引きずられる音が鳴り響き、別の扉が開く仕掛けになっていた。
そこまで複雑な構造をしているということは、悪用されたら「終わり」ということだ。あの道の終点は城の地下牢であり、果ては玉座の間に通じる。ルカは前傾の姿勢を引いて、男の全体を改めて見据えた。
「狙いは王様か」
男はようやく顔をあげると、にんまりと笑んだ。
「思考が安直で大変可愛らしい。駆け引きなんてしたことがないのですね」
「どう問えば答えてくれる」
「あの歌は苦心して作った最初の曲なんです」
「歌はよかった」
「うれしい」
と、囁いた男は突然高笑いを始めた。笑いすぎて止まらなくなって、あぁと肩を揉んだ流れで煙管を取り出したので、ぎょっとする。また人が変わった。表情から笑みが消えた。
「王様を害しても私には何の得もありませんし、何より疲れます。あの老人ひとり殺しても、王国側が突然改心して残虐非道な行為をやめる訳がありません。それは何故か、人間は自分が正義に属しているという盲信を省みることがないからです。人を黒焦げにしておいて、自分は間違っていないなんて平気でのたまえるのですから」
「……貴方も人間が嫌いか?」
「それはもう。彼らが我々にしたことのほんの少しでも知っていれば、そんな事を口にする気になれないでしょう。貴方は他人に何かを問えば無条件に答えてくれると思っていますね。どうして貴方は人の気持ちがわからないのでしょう。魔族も人間もおなじ形をしているのに、人間だけが心をもたないのはなぜですか?」
「……私が人間であることは変えられない」
「私が魔族であることもです。それで勇者様、こんな場所で何の道楽をしていらっしゃるのですか?」
「貴方の言うとおり、問いかければ答えが返ると思っている。誰しも善人で、私もそうありたいと思っている」
「勇者は善人から最も遠いものですよ。ですが私も貴方を憎んでいるわけではありません。私もひとつ尋ねても構いませんか?」
頷くと、男の目元が痙攣したのがみえた。
「あの方を害そうとした愚かな人間よ。この城の誰一人貴方を歓迎する者はいないというのに、どのような都合で居座っている?」
「……何をすればいい」
「その銀色の十字で胸を貫け」
「できない。帰らねばならない場所がある」
「誰にでも」
恐ろしく硬質なものがぶつかりあった時、どちらかは必ず傷つけられる。痛みは遠ざかり消えることはない。
ルカは自分のしでかしたことではないと言い返すことはしたくなかった。それは目の前の男の痛みを遠ざけることだと思ったからだ。
「貴方はまともだ。私は自分の望みを叶えてもらうために此処まで来た。私の願い、王様の願い、魔王の命、それらは環のようにつながっているということを曖昧にして考えてこなかった。でも、剣を向けたとき気づいた。心に浮かんだものは王国に対する裏切りに他ならないが、自分で決めたことだ……それにまだ自分の身分は決めかねている。だがそのことは私と魔王の問題であり、あの男のいうことに逆らえず、怖くて面罵することしかできない貴方には関係がないことだと思う」
「思う……ふ、は!」
男は鼻先で笑うと、煙管の灰を手近な白皿に捨てた。
身構えているルカをよそに丸椅子を手繰り寄せて腰を据える。何やら楽しそうに。




