第九話「金を稼いでみます」①
その夜、レインが眠っている間に何が起きたか、俺はまだ知らない。
翌朝、セラの態度が少し変わっていた。
気のせいかもしれない、と思った。
でも気のせいじゃないとも思った。
とりあえず、今日やるべきことがある。
孤児の問題を解決するには、金、土地、人が必要だ。
順番に解決する。まず金だ。
「なあ」
『はい』
「今の状況で、簡単に金を稼げる方法は何だ」
少し間があった。
『回復魔法です。需要は高く、供給はほぼありません。適切な場所で使えば、短期間で相当額になります』
「ただ、顔は割れたくない」
『想定内です』
俺は少し止まった。
「……また先に考えてたのか」
『はい』
俺はため息をついた。まあいい。結果が出ればいい。
それだけ決めて、ギルドへ歩を進めた。
冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
依頼の張り紙が貼られた掲示板の前に、冒険者たちが群がっている。
怒鳴り声、笑い声、椅子を引く音。全部が混ざって、独特の熱気になっていた。
入り口で少し止まった。
こういう場所は苦手じゃない。でも今日は用事がある。受付に向かおうとして——
「お前があのレインか」
声がした。
振り返ると、カウンターの脇に女が立っていた。
青く長い髪。小柄で、ともすれば子供に見える。
でもその目だけは、妙に静かで、何かを測るような色をしていた。
「……そうだが」
なぜ名前を知っている。
「わたしはこのギルドの長、リーゼ。話がある。こっちへ来い」
命令口調だった。
俺は少し考えてから、ついていった。
あのレインと言われ、記憶を探ったが特に覚えはないみたいだ。
奥の部屋は静かだった。
書類が積まれた机。地図が貼られた壁。一面の本棚。使い込まれたソファーとテーブルがある。
女は書類が積まれた机の椅子に座って、俺を見た。
ギリギリ頭が出るくらいだが、その目は値踏みするようだった。
「座れ」
俺は座った。
「聞いている。領内で回復魔法を使っている貴族の子供がいると」
「……誰から」
女は答えなかった。
そんなことはどうでもいい、とでも言いたげな顔だった。
「本当に使えるのか。回復魔法」
「使える」
「見せてみろ」
俺は少し迷ったが、右手の甲を持っていたナイフで軽く切った。
少し血が出たところで、そこに光を当てた。数秒ほどで、傷が消えた。
女が黙って見ていた。
「……もっと大きな怪我には使えるか」
「使える。重篤な病人を回復させたこともある」
「一人でか」
「一人で」
女はしばらく何も言わなかった。一瞬、物凄い笑みを浮かべたようだが、
きっと気のせいだろう。
「どうやって覚えた」
「独学で」
女の目が少し細くなった。
「ほー独学で、回復魔法を」
「ああ」
「……そうかそうか」
それだけだった。追及しなかった。
「目的は何だ」
「金が必要だ」
「何のために」
「言えば協力してくれるのか」
「さあ。貴族の道楽にわざわざ付き合うのもねえ」
女は少し口の端を上げた。
試すような顔だった。
「領内を変えるつもりだ」
女の目が、大きく見開いた。
「腐った宗教が幅を利かせてる。困っている人間が助けを求める場所がない。それを変えたい。そのために金が必要だ」
女はしばらく俺を見た。さっきとは違う目だった。
値踏みではなく、確かめるような目だった。
「……孤児の受け皿を作るとも聞いたが…」
「そういうことになる」
「貴族の三男が」
「継承権はない。やりたいことをやるだけだ」
また沈黙が続いた。
女は立ち上がった。
「よし、まず簡単な依頼からやってみろ」
声のトーンが少し変わっていた。
「回復魔法が使えるなら、傷の手当てだけで報酬が出る依頼がある。
ただし——顔を出すな。お前が動いていると知られると、面倒なことになる」
「方法は?」
「用意してある。ついて来い」
連れて行かれたのは、ギルドの奥まった一角だった。
案内されたのは――トイレ。
しかも、一番端の扉だ。
女が扉を開ける。
中は、ただの個室トイレではなかった。
縦長の空間の中央に、人が立って入れる大きさの箱が据え付けられている。
薄く色のついたガラス。
外からは中が見えるが、中からは外が見えない。
マジックミラー構造だった。
箱の脇から、細い管が一本伸びている。
その先には、小さな受話口のようなものが付いていた。
「……」
俺はしばらく黙って、それを見つめた。
どこかで見たことがある。
前世で。
繁華街の隅。
人通りの少ない路地に、ぽつんと残っていたやつだ。
遮音性が高く、外の音が届かない。受話器だけが声を通す。
使う人間が減って、いつの間にか姿を消していったやつだ。
——電話ボックス。
この世界に、なぜそんなものがある。
「患者はトイレ側から入る。おまえは裏口から入り、この箱の周囲で施術する」
女は説明した。
「トイレ側からはおまえの姿は見えない」
「不具合があれば、管を通じて伝えられる。
身元も、顔も割れない」
「……よく考えてあるな」
「私が考えたわけじゃない」
女はそれだけ言って、俺を見た。
「これなら大丈夫そうか」
俺は箱の前に立った。
誰が考えたんだ、とは聞かなかった。
聞いても、答えが返ってくる気がしなかった。
それに——なんとなく、分かる気がした。
この発想は、この世界の人間からは出てこない。
最初の依頼は、簡単だった。
モンスターに引っ掻かれた冒険者の腕の傷を塞ぐだけだった。三分もかからなかった。
患者は箱の向こう側に立っていた。俺の顔は見えない。
患者は不思議そうな顔をしてキョロキョロしていた。
管を通じて「腕を上げてくれ」と言うと、ガラス越しに腕が上がった。
光を当てた。傷が消えた。
「……治った。本当に治った」
管の向こうで、男が呟いた。驚いた声だった。
俺は何も言わなかった。
その日は三人だった。
全員、三分もかからなかった。
空いた時間はAIと話した。時間はたっぷりあった。
ギルドから人がいなくなったころ、リーゼに呼ばれ報酬を渡された。
「ご苦労だった。今日の分の報酬だ」
「……多くないか」
依頼の内容に対して、明らかに多かった。首を傾けたが、答えは出なかった。
まあいいか。
硬貨を懐に入れた。
屋敷に戻ると、セラが門の前に立っていた。いつものように。
「お帰りなさいませ、レイン様」
「ただいま」
セラを見た。
なんとなく、いつもと違った。凛々しくて静かなのはいつも通りだ。表情も変わらない。
でも——機嫌が、良かった。
言葉にするのが難しい。空気、とでも言うのか。いつもより、わずかに、軽かった。
「……何かいいことでもあったか」
「いいえ、特には」
セラはそう言って、一礼した。
特には、という返しが、妙に滑らかだった。用意してあったみたいに。
理由は分からなかった。
分からないまま、屋敷の中に入った。




