6. 美味しいお茶のいれかた
あたし達はいったん宿に戻り、エリックの旅支度とあたしのちょっとした身の回りのものを買いそろえると、一泊した翌朝宿を出た。
マーヤの家のノッカーを叩くと、マーヤがドアを開けた。マーヤは朝から綺麗に身支度を整えていた。
「よっ」
「よう」
マーヤとエリックの挨拶は昨日よりずいぶん簡単だ。
「おはよう、ナナちゃん」
そう言うとマーヤはあたしの荷物を持ってくれた。
「じゃ、よろしく」
エリックがあたしを置いて帰ろうとすると、マーヤが慌てて止めた。
「エリック、朝ごはんは?」
「宿で食ってきた」
「じゃあせめて、お茶ぐらい飲んでってよ」
「いや、俺は急ぐから」
そう言いながらエリックが宙に浮いたほうきに座ろうとすると、マーヤの後ろから別の声がした。
「うわー、本当にエリックだ」
「エリック! ちょっと待て」
ショートカットで背の高い女性と、ポニーテールの背の低い女性であった。
「お、久しぶり」
言いながら、エリックはほうきに乗ってあっというまに上空に浮き上がった。
「また今度な」
「え~」
ショートカットが間の抜けた声を出すのを尻目に、ポニーテールはどこからか取り出したほうきに跨りエリックの後を追った。二人は瞬く間にはるか遠くに飛び去り見えなくなった。
あたしが元居た世界では、あんな激しい加速をする乗り物はない。さっきまで、つくづく恐ろしいものに乗ってたな、と思った。
「ね、なんか懐かしくない?」
ショートカットがマーヤに話しかけていた。
「あの二人、いっつもああやって競ってたよね」
「うん。でも今日のヘレ、なんか変じゃない?」
マーヤが答えた。
遥か遠くの空に黒い点が表れ、その点はあっというまに近づいたかと思うと、あたしたちの前にすっと立ち、悔しそうにほうきの柄を地面に叩きつけた。
「くそ。逃げられた」
ほうきの柄を地面に叩きつけながらポニーテールが言葉を吐き捨てた。マーヤがクスッと笑った。
***
ショートカットの方がカミラ、ポニーテールがヘレ。二人とも魔法使い養成所時代からの仲間とのことだった。
「えっ……」
「……」
マーヤに勧められてあたしがテーブルの四つ目の椅子に座ると、カミラは単純に驚いていたが、ヘレは露骨に嫌そうな顔をした。まあ、たぶんこちらが普通の反応。なにしろ家畜だし。
エリックが来るまで3人でお茶をしていたらしく、居間のテーブルの上には3っつのカップと焼き菓子が並んでいた。マーヤがそこに四つ目のカップを置いてくれた。
マーヤがテーブルの上の空のティーポットを取り、
「ちょっと待ってね」
と言ってキッチンの方へ歩こうとしたので、あたしは椅子から飛び降りてマーヤの前に回り、ティーポットを手渡すようゼスチャーした。
「ナナちゃん、もしかしてお茶を淹れてくれるの?」
マーヤの問いにあたしは首を縦に振った。
「大丈夫? 食器の場所とか判る?」
あたしは再びうなずいた。昨日マーヤがお茶を淹れてくれるを見ていたのでたぶん大丈夫。それよりあの二人と残されてしまう方が気まずい。それに……マーヤが昨日淹れてくれたお茶は、申し訳けないがあたしには渋すぎた。
「マーヤ、豚にポット持たせるのは危ないよ。止めなよ」
ヘレの言葉は、普通なら正論であったが、あたしはそれを無視してポットを受け取り、キッチンに向かった。
「大丈夫。エリックの豚さんだもん」
マーヤがフォローしてくれた。
ティーポットを持って居間の横のキッチンまで歩き、改めてティーポットを開けてみると、どう考えても多すぎる量の茶葉が入っていた。まずはこれを捨て、壺の水でいちどポットを濯いだ。
さて、茶葉は……と、キッチンを見渡すと、部屋の隅のミニ暖炉のようなものの上でお湯がふつふつと沸いており、その横のどんぶりのような容器の中に茶葉が入っているのを見つけた。
蓋の無い非密閉容器か……香りは飛んじゃってるな。
がっかりしながら近づいてみると、意外と良い香りがした。もしかしたらエリック用に新しい茶葉を買っていたのかもしれない。
あと、茶こしは……と、キッチンを見渡したが、案の定茶こしは見当たらず、その代わりアク取り用っぽい目の粗めの網があったので、これで茶こしの代用とすることにした。又、ティーポットをもう一つ見つけたので、これも使わせてもらうことにした。
茶葉は発酵の全然進んでいない、烏龍茶よりもむしろ緑茶に近いものだった。この茶葉でどうやってあのどす黒いお茶がはいるのか、むしろ不思議であった(マーヤ、ごめん)。
そういえば宿で飲んだお茶も似たようなものだったし、あれがこちらの世界の普通のお茶なのかもしれないが、あたしは自分の好みでお茶を淹れさせてもらうことにした。
まずは最初のティーポットにお湯を注ぎ、ティーポットを温めてからお湯を捨て、茶葉を適量入れた。次にもう一つのティーポットにお湯を注ぎ、お湯の温度が80度を切るのをカンで見計らってから最初のティーポットにお湯を移した。
茶葉の開き方をみながら、旨味が出て渋みが出ないタイミングを見計らって、アク取りもどきで茶葉を全てすくい取った。
お茶を淹れたティーポットを持って居間に戻ると、何やら会話の内容が深刻な感じになっていた。
「エリックってランスイエルフの王室を辞めてきたんだよね」
ヘレが言った。ヘレはこの国、イナリの王室務めのため、いろいろと情報が入るのだそうだ。
「うん。新たに自分を雇ってくれる王室を見つけて、住む場所を決めたら豚さん……ナナちゃんを引き取るから、それまで数日預かってくれって。王室はもう止めようよって言ったんだけどね」
マーヤが渋い顔をして答えた。
「きっとすぐ次の王室決まっちゃうね。なにしろ元ランスイエルフの魔法使いだもん」
カミラが言った。
「ねえカミラ、今更聞きにくいんだけど、ランスイエルフの魔法使いってそんなに凄いの?」
そうマーヤが言うと、カミラは驚いた。
「えーっ!? えーっ!? マーヤは知らないでエリックにランスイエルフを勧めたの?」
「ランスイエルフはエリックが言い出したので推しただけで……ただエリックがランスイエルフの審査を受けてみるって言った時に、ランスイエルフの特別さは当然知ってるよねって感じだったんで、なんか聞きそびれちゃって」
「そりゃそうでしょ。有名だもん。知っての通り、元々王室が雇う魔法使いはヘレみたいなエリートばっかりなんだけど……」
カミラが話す横で、ヘレは冷静にお茶を飲んでいた。
「……ランスイエルフはそこが徹底していて、ランスイエルフの魔法使いは世界中からトップの魔法使いを金と軍事力で引き抜き、かき集めた集団な訳よ。ランスイエルフはその魔法使いの力を使って、近年、領土をどんどん広げてる。そこの審査に受かったってことは、エリックの力は世界のトップクラスと対等ってこと」
ここでカミラはお茶を一口飲んだ。
「ただランスイエルフを辞めてきたっていうのはウソで、本当は首になったんじゃないかな? 十分な力があったらそう簡単に辞めさせてもらえるとは思えないから、やっぱり力不足ってことだったんじゃ……」
「そうかなぁ? エリックがそんな見栄を張るとは思えないけど」
マーヤは首を傾げた。
「あれ?」
カミラはマーヤから急に視線を外し、手元を見つめた。
「このお茶、おいしい……」
カミラがつぶやいた。
「あの……実はこれ、今のところ極秘情報なんだけど」
ヘレがおずおすと話を切り出した。
「つい最近、そのランスイエルフの無敵の魔法使い軍団を一人で撃退したとんでもない奴がいるんだって。しかもそいつは、ラーシュ王に献上する筈だった豚肉を屠る直前に盗んで逃走中……」
「え?」
「ごほっ、ごほっ」
マーヤはひきつり、タイミング悪くお茶を飲んでいたカミラはむせかえった。
「え~っ!」
カミラの間の抜けたえ~を合図に、3人の視線があたしに集まった。マーヤは不安げに、カミラはただ単に驚いた表情で、ヘレはあたしを怖い目で睨みつけていた。
あたしは慌ててメモ帳を取り出し、
<ご想像の通りです。マーヤには嘘つきました。ごめんなさい>
と、書きつけた。
「「え~っ!」」
今度はヘレとカミラがあたしの行動に驚いた。
「なにこの子、人間並みの知能じゃない。ラーシュ王は知っててこんな子を捌いて食べようとしてたの? だとすればさすがとしか言いようがない」
ヘレの表情が砕け、今は目を見開いてあたしを見ていた。そんな表情をしたヘレは……結構可愛かったりして。
「と、とにかく」
ヘレが続けた。
「今のエリックはヤバいよ。いろいろな意味で。この豚……名前なんだっけ?」
「ナナちゃん」
マーヤが言った。
「ナナを預かるのは辞めときな。命が惜しければ」
ヘレの言葉にカミラがうなずいた。
マーヤのごくりと息を飲む音が聞こえた
「………」
マーヤは何かを言おうとしたが言葉が出ず、代わりに彼女はお茶を口にした。
「なにこれ? 甘くていい香り」
マーヤの顔色に急に明かりが射した。
「実はあたしもそう思ってた。苦味が上手く抑えられてて、でもちゃんと味は出てて。こんな上品なお茶、王宮でも飲んだことない」
ヘレが言った。。
「ナナ……だっけ? あんたも魔法使うの?」
ヘレの言葉にあたしは首を横に振った。
<お湯の温度と抽出時間でお茶の味って結構変わるんです>
あたしはメモ帳にそう書いた。
「ナナちゃんって養豚場育ちで、お茶は昨日、生まれて初めて飲んだ筈だよね? 何でそんなこと知ってるの?」
いつの間にか、マーヤの口調がいつもののんびり口調から詰問調に変化していた。
「人間と暮らしたことない筈なのに、妙に空気も読めるし……あなた、何者?」
マーヤの口調が更に厳しくなった。マーヤもこんな怖い顔できるんだ、と、あたしは驚いた。