5. 小さな家の魔女
ランスイエルフから逃げ出した翌朝、あたし達はエリックの頼れる友人が住んでいるという街に着き、宿を取った。この街はイナリという国に属しているそうだ。
その宿であたしは豚として生まれて初めて風呂に入った。と、言っても豚の足では自分で自分の体を洗うのは結構キツく、体はエリックに洗ってもらった。家畜の洗浄なんて臭かろうに、エリックは優しく丁寧に洗ってくれた。
「七海ちゃんごめんな。女の子が男に体を触られるのはイヤだろうけど、カンベンな」
それどころか、こんなことを言うのである。あたしは恐縮するしかなかった。
風呂を出て体を拭いてもらうと、自分の体から獣の匂いがすっかり消え、石鹸の良い香りがするのが判った。あたしは椅子に飛び乗り、ホテルに備え付けのペンとメモ用紙に急いで手を(いや、前足を)伸ばした。
<ありがとう! すっごく気持ちいい。生まれ変わったみたい>
あたしがそう書くと、エリックは安堵の表情を見せた。
「よかった」
***
それからあたし達はエリックの友人を訪ねるため宿を出た。
あたしは、エリックが自分のコートを変形してあたしに合うサイズにしてくれた服を着ていた。やはり服を着ると落ち着く。
エリックの友人はやはり魔法使いで、街外れで薬を作って売ることで生計を立てているとのことだった。できればその友人に2~3日あたしを預かってもらい、その間に何か国かを飛び回って自分を雇ってくれそうな国を探したい、というのがエリックの希望だった。
草花が生き生きと競い咲くき、一見野草が勝手気ままに生い茂っているように見えながら、よく見れば
手入れの行き届いたイギリス風の庭。その庭に包まれるように小さくてかわいい家が建っていた。
その家のノッカーをエリック叩くと、出てきたのはエリックと同い年ぐらいの上品な女性だった。ツインテールを三つ編みにし、後ろでまとめた髪型は女性らしく華やかで、レースの服にとても似合っていた。
……なんだろう、この裏切られた気分は?
「いらっしゃい、エリック。あなたの方から連絡をくれるなんて、珍しいんじゃない?」
「突然悪い。実は頼み事があって……」
「ほう、それはそれは」
目を丸くしてわざとらしく驚いてみせながら、女性はどこか嬉しそうであった。
***
女性の名前はマーヤ。魔法使い養成所時代からの付き合いだそうだ。
「ええと、豚さんはお水でいいのかな?」
マーヤが隣室でお茶の準備をしながらエリックに訊いた。
あたし達は居間のテーブルの前に座り、マーヤが部屋に戻ってくるのを待っていた。エリックが座った椅子の隣の椅子をあたしが自分で引き出し、ちょこんと座ると、マーヤは目を丸くして驚いていた。
「マーヤさえ良ければ……なんだが、この子にも我々と同じものを出してくれないか?」
エリックがそう答えると、マーヤは黙ってしまった。たぶん、困惑……というか、混乱していたのだと思う。家畜にお茶を出せ、などという訳の分からない要求を、よりによって自分の恋人がしているのだから。
それでもマーヤは上品なティーカップを3っつ持って居間に戻ってきた。お茶を3人分淹れ、エリックとあたしに配ると、少年のような好奇心に満ちた目であたしを真っすぐに見つめた。豚がどうやってお茶を飲むのだろう? と、いった所か?
エリックは隣でニヤニヤしていた。
こんな状況でお茶が飲めるかいな。
あたしは服の内ポケットからペンとメモ帳を取り出すと、そこに、
<あの……恥ずかしいのであまり見つめないでください>
と書き、マーヤに示した。
「え? え!? えーっ!? えーっ!」
マーヤは元々大きな目をさらに大きく見開いた。
「すごい! すごいっ! あなた、賢いのね」
見つめないで、と書いたのに、逆効果でむしろマーヤが身を乗り出してあたしに迫ってきてしまった。たまらなくなり、あたしはメモ帳で一生懸命顔を隠したが、メモ帳はあたしの顔を隠すのには小さすぎ、非常に間抜けな姿勢になってしまった。
「かわいいっ」
ついにマーヤはテーブルを回り、あたしを椅子の横から抱きしめてしまった。
「ね、エリック。この子名前何ていうの?」
あたしを抱きしめたまま、マーヤがエリックに尋ねた。
「七海……」
エリックはそう言いかけて言葉を濁した。「ななみ」はこの世界ではおそらく違和感のある名前なのだろう。かといって、咄嗟にそれっぽい名前を思いつくほどエリックは器用ではない。
実際、マーヤは「み」の音を聞き落とした。
「ナナ? ナナちゃんなの? よろしくね、ナナちゃん」
そう言いながら、マーヤは自分の額をあたしの額にくっつけた。
「改めまして、魔法使いのマーヤです」
だから近いって。……でもまあ、こいつ、いいやつかも。
***
エリックがマーヤにした状況説明は、なんというか、ハラハラするものだった。
曰く、ラーシュ王のやり方が生理的に受け付けなかった為、ランスイエルフ王室を辞めてしまった。
曰く、辞める際、養豚場にいたあたしが助けを求めたので買い取り、連れてきてしまった。
曰く、自分を雇ってくれる新たな王室を探す為、数日あたしを預かって欲しい。
おそらくあたしが盗品であることを説明してしまうとマーヤが盗難の幇助をしたことになってしまうのでそれを避けたかったのだと思うが、エリックの嘘はどうにも綻びだらけであった。
実際、この説明を聞いたマーヤはニタリと笑った。
「ほう。目的達成の為なら人命も神も意に介さないランスイエルフ、ラーシュ王の冷徹な判断を高く評価されておられたのはどなたでしたっけ?」
「いや、今も最終的に天下を取るのはあいつだと思ってるよ」
エリックが答えた。
「でも、人命どころか豚さんの命まで救っちゃったじゃない」
「だって、俺のことジッと見つめて、助けてってアピールすんだぜ」
エリックにそう言われて、マーヤがあたし見た。またあの少年のような好奇心に満ちた目だ。
あたしはあの日のように手を(いえ、前足を)振って見せた。
「ほら、その目だ。おまえら、同じ目をしてんだよ」
エリックに言われて、あたし達……あたしとマーヤは改めて目を合わせ……ちょっと見つめあった後、マーヤが吹き出した。
なんだ? 好きな女の面影を見たからあたしを助けたのか? なんだかなあ。
「私、こんな可愛い目をしてるかな?」
マーヤが言った。
いや、あなたの方が可愛いです。目だけじゃなくて、いろいろと。
「ごめん。エリック」
唐突にマーヤは声のトーンを落とした。
「ランスイエルフは私がけしかけたようなものだもんね。もう、頑張らなくていいよ。私が昔言った言葉は忘れて」
「それ、本音じゃないだろ」
突然、二人の会話にあたしは付いていけなくなった。
「ううん。昔の私はガキで、全然エリックのことを解って無かったと思う。エリックは養豚場の豚に救出を求められたら助けちゃう人だから。政治みたいな狐の化かし合いはやっぱりエリックには合わないんだよ」
「そんなことはない」
「ナナちゃんはいくらでも預かるけど、王室はもう止めようよ」
あたしは二人の会話を聞きながら、昨夜エリックが話してくれた、こちらの世界でのエリックの経歴を思い出していた。
18歳で魔法使い養成所を卒業すると、魔法使い達はそれぞれ実力に応じた道に進むことになる。しかしながら王室に雇われる魔法使いは毎年一人居るか居ないかという超難関エリートコースであった。
ところがエリックには卒業前から複数の王室から青田刈りがかかっていた。魔法使い養成所で示したエリックの実力はそれだけ飛びぬけたものであったのだ。
結果、エリックは卒業と同時にある国の王室に入ったのだが、たまたまその国が戦争中であったため、エリックは作戦司令部に関わることになり、その非人道性にド肝を抜かれたエリックは一ヶ月で王室を辞めてしまった。
そのまま数年、エリックは運送業的なつまらない仕事で糊口をしのいでいたが、半年前とある友人に喝を入れられ、前世で死ぬときに思ったことを思い出したのだそうだ。
それは、機会はあったのに挑戦しなかったことへの後悔。俺はまだ何も成し遂げていないという悲しみ。
……喝、というからてっきりその友人は男だと思ってた。マーヤだったか……「あんた男でしょ、頑張んなさい」かなんか言ったのかな?
「……実は養成所卒業を機に独立した薬屋が最近軌道に乗ってきて、手伝ってくれる人が欲しかったんだけど、一緒にどうかな? エリックの魔法を使えば、きっとすごい薬が作れると思う」
気が付くと、マーヤがそう言っていた。
あれ? あたし、この場に居ていいのか? 一瞬悩んだが、そういえばあたし、豚だったっけ、と直ぐに自分の立場を思い出した。でも、まあ、ここは席を外しとくか。
あたしが体の向きを変え、椅子を降りようとしたら、エリックがあたしの服を引っ張った。
何? 何のつもり? マーヤはともかく、あんたはあたしの魂が実は人間だって知ってんでしょうが。マーヤは口調こそ少しおどけてみせてるけど、たぶんかなり本気だよ。
「ありがとう、マーヤ。でも俺は、おまえに言われたからじゃなくて、本心からこの時代、この世界に俺という人間が生きていた証、というかせめて爪痕ぐらいは残したいと思ってる。その為には大きな仕事に取り組める、大きな組織に入るしかないんだよ」
エリックが言った。
ん? ん? ちょっとズレてる? ……マーヤがどんな顔してこのセリフを聞いてるかな、とマーヤを見たら、マーヤは苦笑しながらあたしを見ていた。「ガキでしょ」と言わんばかりに。
あたしは同意を示すためにまぶたをゆっくりと閉じて見せた。
「なんだよ。言いたいことがあったらはっきり言えよ」
エリックが言った。
「ううん。頑張って」
マーヤが言った。
あたしは心の中で「マーヤ、頑張れ」と言ってみた。




