1ー8 黄金の矢
古くより雷は、神と結び付けられていた。天空神の声、あるいは天空神の武器。神の無限の力と正義、創造と破壊を示し、さらに恵みの雨と結びつき、地母神にさえ繋がる。
その雷を自由自在に扱うことを許された者は、世界でも少数。
シャーロット自身、実際に目にするのははじめてだ。
「雷の異能力者」
フォルトゥナを手に、距離を取る。
あまり近づけば、あの雷光に巻き込まれてしまう。
「雷光よ迸れ!」
剣筋が煌めく。
フェリクスが剣に乗せ放った目もくらむ眩い雷光は、降り注ぐ剣をことごとく焼き払っていく。
なるほど、上級騎士は見せかけではない。
納得し、標的を改める。
「──君達リブラは言う。僕らには『聖遺物』を正しく扱うことができない、と」
すべての《剣心》を焼き払ったフェリクスは、疲れの色を見せていない。
あのくらいは余裕、ということか。
異能力保有者が持つ異能には、個人差がある。炎を出す異能でも、保有者が違えば威力も持続力も変わる。
フェリクスは騎士としてだけでなく、異能の点でも上級らしい。
「純白の歌う毒姫を使い続ければ皮膚がただれてしまう、涙する黄金の薔薇を使い続ければ全身が黄金と化す。そられはすべて、扱う者が僕らだから」
「そうです」
何を今更、と思う。
ホルダーは神々から異能の力を与えられたが、神が地上に残した奇跡に触れる資格は与えられていない。
奇跡に触れられるのは、彼らが無価値と呼び蔑む者達だけ。
果たしてどちらが、遠き日、地上から去った神に愛されているのか。
それはまさしく、神のみぞ知る、というものだ。
「僕らには正しく扱えない。でもだからこそ──僕らが管理すべきだと思う。この世から争いをなくすためにも、一切使用することなく管理すべきだ」
「騎士らしい主張、ですね」
単純な話だ。正しく扱えないのであれば、使わなければいい。
だが人は、そんなにも単純じゃない。
「人は奇跡を拒めない。自らが奇跡の代行者となり得るのであれば、例え手にする資格がなくとも、手を伸ばすでしょう。かつてのパラケイアのように」
あれはひどい話だった。
ひとりの娘が、『聖遺物』──聖杯に選ばれた。
あの『聖遺物』は珍しく、使い手を選ぶ『聖遺物』だったのだ。
娘は聖杯の力を借り、ひとりの若者の、もう見えなくなってしまった目を治した。
噂は広がる。世界中から、奇跡を求めて人が集まった。
娘は聖女と呼ばれ、望まれるままに人々を救った。
そして奇跡は悪夢となって、パラケイアに終わりを告げた。
聖杯の力によって怪我なり病なりから救われた者達は死後、彷徨える亡者となったのだ。
聖杯を使い続けた聖女がどのような死を遂げたのか。
それは記録に記されていなかった。少なくとも、シャーロットが閲覧できる記録の中には。
「…………」
フェリクスは黙ってしまった。
パラケイアで起こった悲劇の諸々は、ホロウ側を悪とすることで決着が付いているようだが、真実を知る者もいる。
彼は珍しく、真実を知っているらしかった。
彼の仲間は、首を傾げていたが。
「小難しい話は嫌いなんだよ、俺は。お前がアレを回収したいように、俺達もアレを回収したい。なら答えは、ひとつだろうがッ!」
クロードが痺れを切らし、飛び出す。重い一撃だった。
それを受け止め、流し、シャーロットは距離を取る。
自分は足止め。時間を稼ぐだけでいい。
「援護しようか?」
「いらねぇよ! 当たっちまったらどうするっ」
「……狙って撃つから、当たらないもん」
杖の少女がしょぼくれている。
それが年頃の少女のように見えて、ほんのちょっと、羨ましいかもしれない。
「フェリクス! コイツは俺が引き受けてやる。お前は腕環を追えっ」
「──!! 任せた……っ」
一瞬の隙を見逃さず、フェリクスが走り出す。
それを阻もうと《剣心》を放つが、見えない壁によって遮られてしまった。
「へへへ。ボクの異能──《盾壁》だよ」
不可視の壁、予想通り、これは異能だった。
騎士には見えない少年が、この壁を作り出したらしい。
ただ疲労感が見て取れる。連発は難しい異能、のようだ。
「リュカ、下がってろ」
「そうさせてもらうよ〜」
少年リュカが下がり、クロードが前に出る。目に見えてわかる闘争心──これでは騎士と言うよりも、戦士のようだ。
「俺は女だからって、手加減はしねえぞ」
「結構。私も女を利用することはあっても、理由にすることはありませんので」
先に動いたのは、シャーロットだった。地を蹴り、クロードに向かって剣を振り下ろす。
それをクロードは、見事に受け止めてみせた。
たとえ全体重を乗せたにしても、シャーロットの一撃くらい、クロードは防ぐだろう。わかりきっていた結果だが、大いに結構。
シャーロットは自身の『神器』に命令する。
「《重心》!」
「う……っ」
押す力が強くなる。
クロードは素直にそう思ったが、これはシャーロットの力が増したのではない。
ただただ単純に、剣が重くなったのだ。
「《重心》!」
もう一度命令を口にすれば、更に剣が重くなる。
「この野郎……っ」
クロードが重さに耐えかね、乱暴に剣を受け流す。
「……一体そいつ、どんだけの機能があんだよ」
自分が両手でなんとか受け止められたそれを、目の前の少女は軽々と片手で持ち、振っている。
それは情けなさを通り越して恐れにも至るが、あの少女がバケモノと言うより、あの『神器』がバケモノなのだ。
ナイフだったのに剣に姿を変え、斬撃を飛ばすのではなく、剣そのものを飛ばし、降らせてみせた。
それだけでも十分に奇跡の領域だと言うのに、重ささえも自由自在とは。
「クロード、加勢するわ! 《炎矢》!!」
次の一手はどうすべきか。
クロードは考えていたのだが、それよりも先に、背後の仲間が攻撃を仕掛けた。頬をすれすれに飛んで行ったのは、杖の少女が放った炎の矢。
それをシャーロットは避け、《剣心》を飛ばす。
「きゃあっ」
杖の少女に当たりはしなかったが、クロードが少女を庇ったため、これ幸いとシャーロットは駆け出す。
「待ちやがれっ!」
お互いが足止めと言う端役。
ならばせめて、役を全うせねば。
シャーロットはフェリクスを追い、クロード達はシャーロットを追う。
「アウローラ調停官!」
走り出してすぐ、ネロの声が耳に届いた。
ネロはヴェルメリオの後を追ったはず。大金の詰まった旅行鞄というハンデを抱えていたにしても、ネロはとっくに、ヴェルメリオとの合流を果たしていると思っていた。
「どうかしましたか?」
「エニグマです!」
招かれざる客が、もうひとり。
シャーロットは速度を上げた。
ヴェルメリオの実力派認めているし、信頼もしてる。
でもエニグマの相手は、『神器』持ちでないと辛い。生存率ががらりと変わる。
「──ちょうどいいかもしれませんね」
ネロを先頭に、シャーロットは走る。
ヴェルメリオは未だ、ファナイオスに認められていない。
エニグマとの命の削り合いで、どうにか主人と認められれば、そう、きっと──生き残る確率が上がるはず。
◇◇◇
百発百中とはつまり、百射れば百当たるということ。
自慢じゃないがヴェルメリオは、この百発百中を地で行く。
他の子らと同じように『学舎』であらゆる武器のいろはを学んだが、最も相性が良かったのが弓と銃。
『学府』では弓と銃を中心に、正義元帥にしごかれた。
その結果、射撃精度だけは調停官一、もしかすると師匠をも超えた、と言われるようになった。
そんな自分が──そんな自分が!!
「外すなんてガキの頃以来だ、クソッタレ!!」
発動したファナイオスは柔らかな光に包まれていて、その全貌を知ることはできない。
そのファナイオスから放たれるのは、黄金の矢。狙いはエニグマの目だった。
当たる──そう確信した。
それなのに黄金の矢は、主人を嘲笑うかのように、明後日の方向に飛んでいく。
「これなら銃の方がマシじゃねえか!」
ホルスターにしまった銃を取り出すべく、ファナイオスを指環の状態に戻そうとするのだが……できない。
「ふざけんなよっ!!」
さっきからちっとも言うことを聞かない。矢を放っても狙った場所に飛んでいかないし、最悪、矢が出ないこともあった。
これじゃあ死ね、と言われているようなもの。
ファナイオスを投げ捨ててやりたい気持ちのまま、ヴェルメリオは空いた方の手で仕方なく銃を抜き、撃った。
「あぁあああぁっ!!」
人の手が作り出した鉛の弾は、エニグマの目を撃ち抜いた。
どす黒い血が流れ、地面にポタポタと落ち、雑草を腐らせる。
エニグマとの戦闘は、なるべく遠距離から行うことが望ましい。奴らの体液はすべて、人体に毒だ。
「おい立て! 食われちまうぞっ」
エニグマが痛みで、動きを止めている。
ヴェルメリオは地面に座り込んだままのレベッカに、立って逃げるよう指示を送る。
だがレベッカは動かない。動けないのだ。
初めて目にする異形の怪物を前に、完全に腰が抜けてしまっている。
しかも怪物は、コナー──仲間を食った。
レベッカはその光景を思い出し、耐えきれず胃の中のものを吐き出した。人が死ぬのを見るのは、初めてじゃない。
でも食われる瞬間を見たのは、初めてだった。
「──チッ」
動かないレベッカに、ヴェルメリオが舌打ちをする。
エニグマの主食は、ホルダー。腹がいっぱいになるまで食べなければ、奴らの食欲は収まらない。
そうして満腹になったエニグマは次に、好物を求める。
エニグマの好物は、ホロウだ。
ヴェルメリオは残りの弾を全部、エニグマに向かって撃った。
百発百中。すべては狙い通り。
試しにまた、矢を射ってみようか?
そう思ったが、やめた。
今はレベッカを避難させる方が最優先。
ヴェルメリオは空っぽになった銃をホルスターに押し込み、レベッカの元まで走る。
「立て。食われたいのか」
「……う、ぅ……」
立てないでいるレベッカの腕を掴み、強引に立たせる。
レベッカの顔はぐちゃぐちゃだった。涙に鼻水、それからよだれらしきもの。
さっきまでの威勢の良さは何処へやら。
ヴェルメリオが手を離せば、レベッカはまた、地面に座り込んでしまった。
それがまた、ヴェルメリオを苛立たせる。
「ただでさえ機嫌が悪いんだ。手間をかけさせるな」
すべては思い通りにいかない『神器』のせい。
お前が勝手に選んだくせに、いざという時に言うことを聞かないなんて、気まぐれにもほどがある。
こんなことなら発動するんじゃなかった。
普通の武器よりも『神器』の方が強いのは当たり前だが、使えないのであれば意味がない。
「ぐおおぉおおお!!」
エニグマの雄叫びに、ヴェルメリオはまた、舌打ちをする。
エニグマは怒りに打ち震え、こちらに向かって突進してきた。血やらよだれやらを振りまきながら。
あれはまずい。
調停官の制服はある程度、エニグマの血やらよだれやらに耐えてくれるが、レベッカを覆う衣服は違う。
貴重な霊薬を、自分や仲間以外に使う気もない。
ヴェルメリオは乱暴にレベッカを立たせ、そのまま投げた。
なるべく遠くに。
そしてファナイオスを構える。
当たれ当たれ当たれ──!!
こんなこと思ったこともないが、今はもう、そう願うしかない。矢を続けざまに射る。
数撃ちゃ当たる、だ。
その作戦はまあ、うまくいった方だろう。十射った矢のうち、二本は当たった。
かすめた程度だったが。
「てめえと心中する気はねえぞ」
再び黄金の矢を番え、放つ。
それを恐るべき速さで繰り返す。
今はもう、狙うことが無意味に思えてならない。
ただただ数に頼るしかない現状。
こんな戦い方、ヴェルメリオは大っ嫌いだった。一発の銃弾、一本の矢──これで仕留めてこそ、勝利の余韻に浸れるというもの。
汗水垂らしてがむしゃらに、なんて冗談じゃない。
「……最低最悪の命中率、だな」
こんなの絶対に、師匠には見せられない。
何本何十本と射ったのに、命中した数は片手で足りる。
もういっそのこと、腕環だけ回収してシャーロットと合流してしまおうか?
そんな考えがよぎったが、それじゃあ寝覚めが悪い。
ならばどうする? レベッカを抱えてひとまず退散。
で、シャーロットと合流。
情けない作戦だが、命あっての物種。
エニグマから視線を外さず、ヴェルメリオは後退する。
「立て。一旦退く」
「……わ、わかった」
どうにか返事をできる程度には回復したレベッカだが、それでもすんなりとは立てない。
仕方ない、とヴェルメリオがレベッカを抱えるため、攻撃の手を止める。
瞬間、夜の闇に光が迸った。
「ぐああぁああっ!!」
それは雷だった。
エニグマの片腕が焼け落ち、辺りに嫌な臭いが漂う。
「助太刀する」
雷を放ったのは、金髪の青年騎士。
実に騎士らしい登場の仕方だった。