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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第二章  新茶と乙女

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第十三話  境界(五)


 おっさんだおっさんだと思っていたけど、違ったのか。確かに「体が大きいと長命傾向が」とかなんとかいっていた。戦中生まれ、若く見えちゃう奇跡の喜寿とかなんとかじゃないわけだ。戦争中、軍医だったということはその時点ですでに大人というわけで。もしかして死んだ祖父と歳が近かったり……? あわあわと混乱する私をよそに、ケイさんは話し続けた。思慮深そうで真剣な表情も素敵、惚れた弱みだな、じゃなくてこの人一体何歳だよ。


「誰に何を訊いてもらってもかまわないんだけど、万が一、知らずにタブーに触れてしまうといけないから、こうして二人きりのときに他の人でなく俺に訊いてもらえないだろうか」

「え?」

「普通の人間と違う社会通念が、俺たちハイブリッドコードキャリアの間にはある。例えば異能について」


 そういえば。私は思い出した。


――詳しくは訊かぬよ。それが我々の礼儀じゃからの。


 異能酔いで寝こんだ最初の夜、お久さんがいっていたのを耳にしたんだった。


「俺たちの間ではお互いの異能に関してその種類やレベルなど話題にしないのが礼儀だ。これは不文律よりも強制力のないモラルの問題なんだが、ハイブリッドコードキャリアの生家に対するインセンティブに絡むから、ほぼ例外なく守られている」


 いや、それはどうかな。あなたのお兄さんはわりと躊躇なくずかずか踏みこんできますよ、その手の話題に。もう出身拠点がないから怖いもの知らずなのか。


「異能ほどではないんだが、実年齢に触れるのも望ましくないな。特に女性はそうだ」


 そうだ、年齢。


「ケイさんはおいくつなんですか?」

「もうすぐ百歳」


 ひゃ、ひゃく。会ったその日に恋に落ちたおっさんは半分ヤマアラシでしかも一世紀生きてます、とな。おっさんどころじゃないよ。ずいぶん若々しいじいさんだな。


「あああああ、そんなにどん引きしないでほしい。さすがにきみと結婚するには年寄りすぎるだろうか」

「いえ、想像を越えてお年を召していた、それだけです。問題ありません」


 どん引きしたけど、ほんとは。


「ハイブリッドコードキャリアは年をとっているように見えても実は若かったり、若く見えても見た目より年齢が高かったりするんですか?」

「半分合ってる」


 長命傾向のあるハイブリッドコードキャリアは老化が緩やかなのだという。だから年をとっているように見えて実年齢が若い者はいない。


「俺の場合、三十代後半から老化が緩やかになった。緩やかになるだけで老化しないわけじゃない。さすがに三十代だといい張るにはくたびれてるだろう?」

「なるほど」


 確かに、と口を滑らせそうになったがこらえた。


 首都高速道路との間にある終点の料金所が近づき、混雑してきた。車は速度を落とし、ゆるゆると進む。川のあたりは眺望がよかったが、郊外の住宅街に入ってからは道路に遮音板が立てられ、見えるものといってもちらちらマンションの端っこが視界をかすめる程度だ。


「なぜこの話をしたかというと、俺のことを知ってほしいのもあるんだが、白梅荘のみんなのこともある程度知っておいたほうがいいと思うからだ」

「やはり皆さん長生きなんですか?」

「そうでもない。前いったことを覚えているだろうか。俺たちハイブリッドコードキャリアは体が大きいほど長命傾向が強い」

「ええ、そうでしたね。……じゃあ他の皆さんは短命なんですか」


 三人とも小さい。百五十センチあるかないか、だ。


「短命ではない。普通の人間と同じというだけだ。ただしみちるさんだけが違う」

「どういうことでしょう」


 ケイさんは視線を前方に据えたままほんの少し、ためらった。


「あの人の異能は『再生』だ」

「再生?」

「みちるさんは周期的に生まれ変わる。大人になり、老化が進むとリセットがかかるらしい」

「リセットって……」

「子どもに戻るんだ」

「みちるさんの実年齢っていくつなんですか?」

「本人もよく覚えていないそうなんだが、少なくとも六百歳くらいになるらしい」


 ろ、六百歳……。室町時代生まれか。歴史の生き証人なんだ、みちるさんって。


「みちるさんはこの異能を見こまれて白梅の乙女の『年寄』と『大巫女』に抜擢されたんだそうだ」

「としより?」

「老人という意味でなく、とりまとめ役というか乙女のリーダーという意味だ。すごく怒るから役職そのまんまだとか、年齢に関するネタは本人に振らないでほしい」


 なるほど。みちるさんが妙に年齢を気にしている様子だったのは実年齢が実年齢だからだったわけか。三十五歳の自分からすれば百歳も六百歳も現実味がまるでない。


「『年寄』の意味は分かりました。『大巫女』というのは」

「乙女は当初、土地神とされる知恵者の血を引く者だったんだが、後に知恵者の代弁者と見なされた時期もあったらしい。それで乙女が巫女、リーダーが大巫女というわけだ。基本的に年寄と変わらないのだけれど、どうも意味が違うらしい」

「なるほど。分かるような気がします。みちるさんって、白梅のコミュニケーション用ターミナルなんです」

「ふむ」

「私から白梅には直接コミュニケーションを取れないんです。喜んでいそうとか、嫌がっていそうとか、気配をなんとなく察知するだけで。白梅が言葉を交わしてコミュニケーションしたいときはみちるさんに憑依する、そんな感じみたいです」

「じゃあ、乙女はほんとうに代弁者だったのか」

「実験記録装置である白梅を知恵者の分身と見なすかどうかによりますが」

「ああ、そうか。そこを混同してはいけないな。コミュニケーション端末としての大巫女か――。そう考えると一人の人間が長期間にわたって担えれば白梅のメリットは大きいな。みちるさん、優秀だし」


 白梅側もそうだが、みちるさん側にもメリットがあったのだろう。数十年に一度の周期で発動する、日常目立つことのない異能である「再生」の活かしどころとしてふさわしいといえそうだ。

 異能。乙女を乙女たらしめるもの。知恵者の神性を受け継いでいることの証。一族に富と権力をもたらす土地神からの下賜(ギフト)

 六百年前であれば、インセンティブは金銭よりもしかしたら、派手に発露する異能のほうが権力の呼び水となり、インパクトが大きかったかもしれない。獣化や魅惑、あるいは精神干渉のような。「再生」に付加能力がないのであれば、数十年に一度子どもに戻る、ただそれだけだ。再生するときのインパクトは大きくても変化のない期間が長く、その能力の活かし方は不明。もしかしたら異能であると認識されていなかったかもしれない。そういえば私の他の異能、嗅覚や脳内の記憶領域の拡張なども白梅や他の乙女たちにそれと察知されていない。

 年寄と大巫女の兼務という大抜擢を受け、みちるさんの一族は一躍陽のあたる場所へ引き上げられたに違いない。それまで異能の顕現のなかった娘から突然もたらされた栄光。みちるさん本人はどう感じていたのだろう。やりがいのある仕事だと思ったのだろうか。そうでなければ六百年もの長い間、務めることはかなわなかったのだろうけれど。


「本来タブーとされている他の乙女の異能の話をしたのには理由がある」


 ケイさんはハンドルを握り、前方に視線を据えたまま静かに話した。


「師匠がふらふら旅に出たまま戻ってこないからちゃんと診察できないんだが、みちるさんは本来もっと前に再生するはずだったらしい」

「もしかして館のあるじが不在だったから?」

「おそらくそういうことだと思う。再生するといったん子どもに戻る。もしかしたら成長が早めになるかもしれないが、それでも十年ほど対外的な活動ができなくなる可能性が高い」


 それはまずい。専門分野の法務だけではない。会計や財務の実務は外注しているがそれらの管理を含め、企業でいうところの管理業務ほぼすべてをみちるさんが担っている。今日明日でどうなるわけではないだろうが、簡単に引き継ぎができるとも思えない。


「千草さんは俺を白梅荘の管理人候補にするつもりで拾ったんだと思う。だからきみが現れなかったとしても、こうしてきみとの婚約の話が出なかったとしても、俺はおそらくみちるさんの外見が大人に戻るまでの間、代理を務めることになっていたと思う」

「そうすると、白梅荘で期待されている私の仕事って何なんでしょう」

「出産、そして新しい乙女のリクルート、だろうな。白梅は出産適齢期の乙女をそろえて交配実験を再開しようとしているんだろう」

――それは、いけない。


 すんでのところで、口に出してしまうところだった。そうしないで済んだのは頭の中でぱき、と記憶の錠前が外れたからだ。イメージとことば、音、記憶の奔流が体をさいなむ。


「う、うう」


 突然、体を折って苦しみ出した私を見てケイさんが慌てた。


「どうした、大丈夫か」


 声を出せないので掌を突き出して「大丈夫」と意思を示す。ほんの少しの間だけど、シフトレバーから手を離し、私の手を握ってケイさんは


「本当に平気?」


 と気遣ってくれた。


「……すみませんでした。記憶の封印が解けるとき、負荷がかかるみたいで」

「今、解けたのか」

「ええ。でもまだイメージの断片がごった煮になっているようなものなのでお話しできないんです」


 本当は違う。先日みちるさんが教えてくれたハイブリッドコードキャリアと乙女契約の情報を含むこともあって、すぐに現在の記憶と照合することができた。体は平気。すぐに調子も戻った。でも心が重い。


「私はどうすればいいんでしょう」


 つぶやく私の真意を量りかねる、ケイさんはそんな顔をしている。しかし彼は何もいわなかった。


 じーちゃん、どんな鍵のかけ方してるの。いつもいっつも、記憶の封印解くタイミングが遅れてるよ。この人が百歳でも半分ヤマアラシでも、私は一向にかまわない。喜んで愛し続ける。でも最初からこれが分かってたら、何が何でもこの人に好意を悟らせたりしなかった。これから先長い年月、異能を背負って行かなければならない大きい人は実験記録装置なしに生きていられない。


――でも、私は。



 激しく渋滞するというほどでもなくゆるゆると車は首都高速道路を進む。昔からこの高速道路を通るたびに不思議な気持ちになる。(つた)の這う遮音板。狭い場所でスピードを安全に維持するための道路の傾き。排気ガスのしみついた暗く狭いトンネル。トンネルがタイル貼りでずいぶん古めかしい道路なのに、ひしめくビルをすり抜けるように配されくねる角度が案外鋭くて、その曲線に近未来的な趣がある。


 やがて車は高速道路から街へ下りた。高層ビルの地下駐車場へ入る。灯りの乏しい一角に車を止め、ケイさんは私の手を取った。掌に口づける。


「詩織、話してくれないのか」

「でも」

「まだ俺を信じられない?」

「違う。そうじゃないんです」

「だったらなぜ?」


 逃げ場のない車内で、ケイさんは腕を伸ばして私の背後、助手席の窓に手をついた。巨体が静かに覆いかぶさる。


「詩織、一人で抱えこまないでくれ」

「でも」

「きみの封印された記憶はおじいさん、大吾さんが作ったものだろう?」

「祖父をご存じなんですか?」

「直接の面識はない。大吾さんは兄の、周平の友人だった。大吾さんは晩年、兄と袂を分かったと聞いている。なぜかは知らない」

「そうだったんですか」

「ハイブリッドコードキャリアをめぐる状況は三十年前と異なる。きみに封印された記憶だけを材料にして判断を誤るな」


 ケイさんは私を抱き寄せ、耳もとで囁いた。


「詩織。俺はきみの何だ」

「……対」

「そうだ、対だ」

「でも」

「きみに課されている義務、それを俺も負う」

「だめです。だって、それが何か知りもせずに」

「確かに俺は知らない。でも分かる気がする。当ててみせよう」


 低く、穏やかな声。私に記憶を植え付けた祖父と似た声で短く、ケイさんは囁いた。


「……どうしてそれを知ってるの」

「知っているんじゃない。分かったんだ」

「あなたにはかなわない」

「そうかな。たいてい俺が振り回されていると思うが」


 ケイさんは微笑み、そして頬ずりした。


「今はこの問題を措いておこう。さあ、行こうか」

「……はい」


 境界の川のときと同じく、謎の仕掛けを車に施してから駐車場を後にした。



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