第十一話 境界(三)
ず、ずずん、ずん、ずん……!
巨大な銛は風穴の壁を抉って跳ね返り、落下しながら逆側の壁にぶち当たり、岩肌に傷をつけてまた跳ねた。黒く禍々しいその銛は太いロープで心の外側とつながっている。
――私と同じ、精神干渉の異能持ちか。この醜悪な銛は探索子か。
すっと頭が冷めた。ここは私の大切な人の心の中だ。ここから先は通さない。そのために何をするか。優先するのは何か。
心の中で爆ぜそうに膨張する怒りを抑えこみ、戦略、戦術を構築する。泉の表面に防護壁を、そして頭上に靭性の高い素材をイメージして網を五重に張った。さらに網の上の空気を撹拌し、渦をつくる。
銛が落ちてきた。
ぎち、ぎちぎちぎち……!
一枚、二枚三枚、網が破れる。なんとか網が二枚持ちこたえ、銛の落下が止まった。私の額すれすれで止まる銛へ手を伸ばした。
縮まれ。小さくなれ。
意思の繊維で縛りつけ、網で包みこんだ銛を叩きつぶして小さく丸め左掌の中に握りしめる。そして太いロープを手繰り寄せて左手に巻きつけ、一気に意識を自分の体に戻した。
私は意識を取り戻した。まぶたを開ける。
横たわる私の上には、ケイさんが覆いかぶさっている。頭の両脇についた両手の爪が伸びている。苦悶の表情を浮かべるケイさんの頭に誰かが両手をかけている。
――私の乙女に何を……!
女は驚きに目を瞠っていた。こいつか。こいつがあの黒く醜い銛の持ち主か。右手をケイさんの胸に、左手を女の胸に向け、私は腕を伸ばした。
「さがれ」
銛を握りしめたままの左手をぶん、と振る。つながっていたロープがぶち、と切れる感触がした。女が後ずさる。私の体を起こしてくれたケイさんをちらりとうかがう。額に脂汗を滲ませてまだ苦しそうだが、顔色が少しよくなっている。
再び女に視線を戻した。
左手の指に潰れて小さくなった銛をはさみ、女に向かって突き出す。心の外側であるここでおそらくケイさんには私の指先に何かあるようには見えないだろう。しかし女には自身の探索子のなれの果てが見えているようだ。
「さあ、持ち主のもとにお帰り」
女の目を睨みつけ、その胸もとへ向かって左手を振った。千切れたロープをなびかせ、銛が女の胸に
ず、ずぶずぶ。
刺さり、めりこみ消えていった。女が衝撃を受けたように後ろへよろめく。
「ケイさん、大丈夫ですか」
「平気だ。きみは」
「大丈夫です。あの女は何なんです?」
「いきなりやってきてきみの頭を掴もうとするので揉めた」
「詳しいことは後で」
「ああ」
見つめ合う。そのまま周囲の気配を探る。
「近くにもう一人いますね。……臭っ」
「ああ、これがその嫌なにおいなのか。うーん。たぶん、兄だ」
「物理的な防御はお任せします」
「分かった」
女が体勢を立て直した。丁寧に巻かれた艶やかな栗色の髪を撫でつけ女がふふん、と鼻で嗤った。
「高野ちゃん、ひどい。何するの?」
誰だ、こいつ。こんな女は知り合いにいないはずだが。
女の装いは川辺で散歩やスポーツを楽しむ人々と対極にあった。ごってりと飾りのついたワンピースは、薄い布がふんだんに用いられてふわふわしているが、それでいて胸もとと足の露出はやけに多い。露出が激しい部分は自信のあるパーツということなのだろう。むっちりした太ももは足首に向かって優美な曲線を描き締まり、足はピンヒールに包まれている。胸部にはばいんばいんとたわわ且つ色白なサムシングがこぼれ落ちそうなくらいもりもり盛り上がっている。左のサムシングにぽちりと黒子があって目が吸い寄せられる。いきなり攻撃されたりなどしなければ見とれてしまいそうなほど美しく、ずいぶん色っぽい女性なんである。
「ちょっと、高野ちゃん、なあに? 今度のオトコ、年食ってるけど前よりずいぶんおいしそうじゃない」
今度のオトコ? 前?
「いやだ、覚えてないの? あたしは高野ちゃんのこと、よく知ってるわよ。前回は不動産とお金、もらい損ねたけど、今回は全部いただくわ。前よりおいしそうだもの。お屋敷もオトコも人脈も、白梅も」
まさか。息を呑む私をケイさんが抱きしめる。
「どうした。大丈夫か」
「ええ。この女、放火した上に私の頭を殴った例の加害者です」
「きみにあれだけのことをしておいて執行猶予がついたのか。みちるさん、何してるんだ」
「一応初犯らしいんで仕方ないです。それにこの人、どうもハイブリッドコードキャリアみたいです。で、今度はあなたと白梅をご所望です」
はっ。ケイさんの体から一瞬、力が抜けた。
「いやそもそもそこの人はうな……すみません」
おっさんよ、うなじといいかけたか。TPOガン無視でまず目が行くのがうなじとは相も変わらずまるでブレがないな。目の前の美女は性格に難がありそうだが超絶色っぽい。それなのに見るのはうなじか。確かに美女の首は少々短めだ。ほっそりともいいがたい。しかしあくまでびよーんと長い私の首と比較すればの話であって、美女の首はごく普通なんである。そんなことより何よりほんとにうなじフェチなんだな。がっかりだよ、安定の変態っぷりにがっかり来たよ。
女が尖った声を立てた。
「あたしはねえ、その女のものが全部ほしいのよ。貧相でろくに色気も力もないくせにずいぶんおいしい人生歩いているじゃない」
「あなたには関係ない」
「まあいいわ。そのオトコ、シュウちゃんとそっくりだし、またあたしがおいしくいただいちゃうわ」
「やかましい」
シュウちゃんとやらが何者かは知らないが、気づく間もなく持って行かれた前回とは違う。元カレ、憐れなヤツだ。運命の女とまでいい切っていたのに捨てられたのか。
左手に絡まる銛のロープの残りに働きかける。呼べ。つながっていた銛を呼べ。
「精神干渉のビギナーさんに何ができるかしら?」
「不意打ち食らっておいてよくいう」
「なんですって!」
同時進行で銛と一緒に女の心に吸いこまれていった網、私の意識の一部にも働きかける。戻ってこい。銛を連れて私の左手に戻ってこい。
銛を包んでいる網を通じて女の心が見える。やはり心の内側は風穴になっているようだ。ただしガラスのように透明で硬質な物質でできた尖った枝のようなものがびっしり生えている。女の意識の本体が銛と一体化しようとしているが、他者である私の意識に阻まれて焦っている。やがて女の意識と一体化できないままの銛が勝手に心の外側へ飛び出した。
「ああっ」
女がよろめいた。
銛が古びて錆びていたことから、この女がいかに精神干渉の場数を踏んでいるかがうかがえる。油断ならない。たかだか二度であってもケイさんが心に迎え入れてくれたおかげで私は精神干渉の経験値を上げることができた。踏んだ場数が少なければ少ないなりにフルにその経験を活かす、今はそれしかない。経験の浅さを侮らせてはならない。白梅のあるじとして圧倒的な力の差を見せつけなければならない。
私を抱きかかえるケイさんが姿を見せない饐えた気配の主を探り、警戒している。身体はそちらに任せ、左手と目の前の女に集中した。
左手の上でたたきつぶした銛を回転させ、網を剥がす。銛とロープを元の姿に復元する。網を紐状に撚り、銛に巻きつける。身長の高さを活かし、女を高いところから見下ろした。
「この銛がほしい?」
「……」
「どう? 返してほしい?」
独楽のように巻きつけた紐を一気に引き、回転させる。回れ、もっと速く回れ。
「どうしたの、いらないの?」
「……返して。返しなさいよ!」
「そうだね。あなたにはいろいろと奪われたけれど、私は返してもらおうとは思わない。でもあなたはこの錆びた銛が惜しいんだね」
「返しなさい、返せ!」
女が一歩、前へ踏み出す。銛を女の届かないところへすうっと退けて、さらに回転をかける。回れ、もっと速く回れ。
「ビギナーの私にはよく分からないんだけど、銛を取られるとは思わなかったみたいだね。まさか取り返せないと困るくらいたくさんの意識を載せちゃってたり、なんてあるわけないか」
「返して……!」
女の目に焦りと、やっと恐怖の色が乗りはじめた。頃合いだ。
「そこまでいうなら返してやろう。さっきは随分乱暴にあっちこっちぶつかりながら侵入してきたじゃないか。私ならそんなことはしない。あなたの心のど真ん中に一撃」
左手を高く掲げる。激しく回転する銛も一緒に高く舞う。
女が高く舞う銛を見上げ、後ずさる。
「私は外さない。あなたの心の棘がいかにこの銛の侵入を阻もうとも確実に打ちこむ。さあお帰り、お前の持ち主のもとへ」
高く掲げた左手をぶん、と振りおろす。同時に銛が回転しながら女の心に飛びこんでいった。
「か……」
女は目を剥き、そして、くったりと意識を失い、倒れた。相手との経験値の差は明らかだったので劣勢だったが、銛を取り上げ暗示をかけたのが効いたようだ。
――来た。
ぞぞぞ。背筋が悪寒に震える。
ケイさんがぎゅっと私を抱き寄せ、饐えた気配に半ば背を向けた。すぐ獣化できる体勢だ。
「白梅の当主は腕を上げたな」
初めて姿を見せるその男は倒れた女のそばに立っていた。ケイさんほどではないが長身で異母兄弟だけあって面差しが似ている。細身で色が白く、私と同年代か、少し年下に見える。
――きれいな人なのに、なんだか変。
よく見ると髪も肌も唇も、ぬらぬらと奇妙に照りの入った色彩をしている。そして光の加減で覗く瞳孔は縦長のスリットだった。
――トカゲみたい。
ケイさんにぎゅ、と縋りつく。男に厳しい視線を向けたままケイさんが腕の力を強めて応えてくれた。男は顎で足下に横たわる女を指した。
「ネズミ、お前にはこの女をくれてやる。白梅の当主をオレに寄越せ」
「駄目だ」
「なあ、白梅の。ネズミはそこに倒れている女みたいな、さわり心地のいいむちむちした女が好みなんだぜ」
それはどうかな。こんな安い揺さぶりをしかけられるくらい侮られているということか。
私は青い泉で見た。セピア色に変色し、隅っこが欠けても大切に保存してあるタイルを。その古びたタイルには儚げな美しい人がいた。セピア色の淡い輝きを放つタイルの中には針毛に刺され、苦悶する彼女の姿が映ったものもあった。
その人がおそらくかつての婚約者なのだろう。「島」と周囲の村々の祭りで決められた縁組が始まりであっても、二人の間には愛があったのだと思う。ふんわりと微笑む儚げな人の口から「ケイさん」と呼びかける声が聞こえそうな、そんなタイルもあった。
今、私と過ごしているからといって過去のその人とのことが嘘になるわけではない。もちろん、逆もしかりだ。ぬらぬらねちねちしたこんな男の揺さぶりに翻弄されてたまるか。はったり返しだ。外れたら外れたでしらばっくれてやる。
「それはどうでしょう。むちむちした抱き心地がお好みだったのはあなたのほうなんじゃないですか? それなのに儚げ美人のケイさんの婚約者に横恋慕して以来、細くて薄い女に目覚めちゃったんじゃないですか?」
男二人がびしり、と凍りついた。あれ? 当たっちゃったの?
「ネズミ、お前そんなことまで」
「話してない」
男は足下の女を「よっこらせ」と肩に担ぎあげた。
「白梅の、お前恐ろしい女だな。ネズミ、お前に御せる相手じゃないぞ」
「もともと俺の意のままになる人ではない。俺にもそんな気はない。俺がこの人のものなんだ」
「そんなことだからお前は従者止まりなんだ」
「従者従者ってうるさいですよ」
私は割って入った。
「従者じゃありません。ケイさんは私の対、ただ一人の人です」
日向のにおいのする胸に頬を寄せた。男はケイさんより線の細い優美な顔を歪め、吐き捨て
「――白梅はオレがもらう。必ず」
河川敷から去った。




