第五話 夏きざす(一)
儀式直後から朝にかけての件についてみちるさんにぎちぎちに絞られてる。場所はみちるさんの書斎でもなく小応接室でも食堂でもなく、母屋裏口近くの菜園である。暖かくなったので白梅荘初日遭遇時より軽装だが例の紫外線対策帽子をがっちり装着しているみちるさんのファッションは相変わらず怪しいガーデナースタイルだ。
「そういうことは、すぐに報告してもらわなければ困るのよ」
「すみません」
「あの議員先生、どうも様子がおかしいわね」
「それはほんとにそうだと思います」
「で、ケイちゃんは従者っていわれて拗ねてたの?」
「違います。そういえばその件も苦情いわなきゃって思ってたんでした、あのオヤジめ。昨日のトラブルはそれとは別件でして。乙女が何か知らなかったのでオネエなのかと思ったこともあったと、口を滑らせました」
「あー。あー。かわいそうに」
「いや、そもそもみちるさんがちゃんと説明してくれないからこうなってるって気が」
「どうかしら? その芽は抜いちゃ駄目」
「えー」
「戻しても駄目」
「えー」
これからしばらく黄金週間休みを取るとかで、みちるさんは庭いじりに勤しんでいる。つきあえというので素直についてきたらこんな感じでいじられた。ちぇー。
今後、外からぶうぶう口出しされるのを避けるために対策を練りましょう、ということになった。
まず高野姓から梅田姓への変更をする。血のつながりは直系だけど、戸籍上は違うので親戚筋と養子縁組することになるらしい。
「そういう親戚がいらっしゃるんでしたらそちらを当主にしたほうがいいんじゃないんですか」
「そうでもない。あれは駄目」
「え?」
「ここに居つかないし、まわりから信用されてない。とにかく駄目」
「そうなんですか」
「そうなの」
よく分からないがよほど受けの悪い人物みたいだ。本当は体よく押しつけてしまいたいところだが、そうもいかない。仕方ないのでその線はあきらめ、養子縁組の件を了承した。
次に、やはり当主が女性で独身なのはとかなんとかぐじゃぐじゃいい始めている連中がいるらしい。斜陽の家と目されているようだが、まだ土地神の守人として代々続いていて当主として相続した不動産も魅力的と打算的に考える者が複数いるらしく、縁談を申しこまれているんだそうな。
「白梅とその話は済んでいるんですが、みちるさんはご存知ですか?」
「ええ」
どういう仕組みかは分からないけれど、白梅とみちるさんの間で意思の疎通はできている。そしてタイムラグが発生している。白梅とケイさんの話もしたがその後のみちるさんとの話し合いの時にその話題はのぼらなかった。寿命の話ばかりだったからそのせいかもしれないけれど。
「まず婚約を発表して、養子縁組が整った後に正式に結婚という流れで、どう?」
「私はかまいません」
白梅荘の運営に関してはみちるさんでなく白梅が優先されると理解してよいのだろうか。
初日に契約書に判を押しまくった小応接室にケイさんが呼ばれ、三人で顔を合わせた。
婚約も結婚もひとりじゃできない。当然だ。ここにきてまさかの事態である。
肝心のケイさんから拒否された。そこそこ愛されているような気がしていたし、近頃はうなじだけじゃないと思っていただけにショックだ。
「俺、従者ですし」
みちるさんが「思いっきり根にもって拗ねてんじゃねえかゴルァ」といわんばかりに目を剥いた。カッと殺人光線ばりの鋭い視線に貫かれる。いや、みちるさん、そんなに怒られても困る。だってついさっき、朝までベッドの中でぎゅうぎゅう抱き合ってましたよ私たち。確かに一線は越えていない。もしかしてそこを根にもたれてるんだろうか。この場合原因が私にあるっていえるんだろうか。それに関しては一線越えのないようタイミングずらして避け続けている私のせいでないと、大手を振って断言できないから強く出られないんだけれど。
「ケイちゃん。これは白梅の決定でもあるの。それでも無理強いはしたくないから考えてみてくれる?」
「はい……でも」
「考えてもらっていいんだけど、あまり時間がないのよ。他にも縁談は来ているし、何より詩織ちゃんに時間があまりないの」
「どういうことですか」
みちるさんは躊躇した。しかし時間はかけなかった。
「詩織ちゃんは寿命が短い。子どもをつくるとしたらもっと短くなる。だからよ。返事はあまり待てない」
愕然と言葉を失うケイさんと、何もいえずにいる私をその場に残して、みちるさんは小応接室から去った。
「詩織。どういうことだ」
「どうもこうも……みちるさんのいうとおりなんです」
「いつから、――まさか最初から分かっていたのか」
「違います」
ケイさんはゆっくりと私を腕の中に抱きこんだ。
「いつから分かっていたのかなんて、今はそんなこと、意味がないな」
「ええ」
「本当なのか」
「ええ、おそらく」
「俺たちハイブリッドコードキャリアは体が大きいほど長命傾向が強い。きみも女性にしてはかなり背が高いだろう。それでも?」
「何事にも例外はありますが、これに関しては例外ともいえません。私の場合は長命傾向を打ち消すほど異能の数が多く、館のあるじとして治癒能力が加わってさらに生命力が削られた、そういうことだと思います」
「……」
「本当に、すみません」
「あの日、きみをここに案内しなければ」
「いえ、それはありません。いずれにせよ、こうなっていたはずです。人生の残り時間が短くなることに変わりない。だったら、私はあなたと過ごしたい。でもそれがあなたにとって負担となるのだったら」
ケイさんははらはらと涙をこぼした。
「……なんでこうなるんだ。俺は、自分が苦しむのは構わないのに。全然構わない、平気なのに。どうして」
「私は、あなたが苦しむのを見るのは嫌ですよ。だからあなたが苦しいなら婚約とか、そういうのもやめます」
「苦しくないわけがないだろう」
「じゃあ、『こうして一緒にいる。何が起こっても決して離れない』っていったのも聞かなかったことにしてあげます」
「だめだ」
ケイさんはぎゅうっと私を抱きしめ、耳もとで囁いた。太く低い声の響きにわななく私の背中を大きく温かな掌が上下する。
「それはきみの『嫌い』よりもたちが悪い。たとえきみが他の男と結ばれることになってもその言葉だけは撤回できない、そう思っている」
「ちょっと待った」
私はケイさんを制し、体を起こした。
「前提がおかしくないですか」
「なぜ」
「どこから出てきたの、そのほかの男がどうこうって」
ケイさんがきょとん、と首をかしげる。
「だって、他に縁談が来てるんだろう?」
「みちるさんが全部ストップしていて私のところまでは届いていませんがまあ来ていないとはいえません。でも具体化しているものはありませんでしたし、その前にあなたと私の組み合わせで交配実験を開始すると白梅が決めたんですよ」
「え?」
「今朝まで普段どおりだったのに、あの後何かあったんですか?」
――まさか。
戸惑うケイさんの顔を見ていて怒りにとらわれそうになったその時、表玄関で若い男の声がした。焦りを感じさせる声だ。
「すみません……! ごめんください!」
白梅荘の住人でいちばん近いところにいるのは間違いなく私とケイさんだ。ハンカチで顔を拭い、髪を撫でつけ、押っ取り刀で表玄関へ向かった。そこには背の高い、――私と同じくらいか――時々往来で見かける少年が困った様子で立っていた。
「あの、……あ、どうもこんにちは」
「ああ、こんにちは。玄関まで来るとは珍しい。しかもずぶぬれですね。どうしましたか」
「それがその、この子、この家の子ですよね?」
少年はずぶぬれでひどい恰好だ。そして背中にぐったりして同じくずぶぬれの理沙嬢を背負っていた。
「理沙ちゃん!」
「どうしたんですか、いったい」
あわあわとケイさんと二人で駆け寄る。少年はおんぶしたまま背中の理沙嬢を軽くゆすった。
「こら、気絶してるふりしないで」
理沙嬢は薄く目を開けぶすくれた表情で
「ごめん」
といった。




