第六話 夏きざす(二)
少年がそのまま理沙嬢を背負って連れて行ってくれるというので裏手まで来てもらった。どうやら休日の今日、理沙嬢は海でなく山へ遊びに行ったらしい。そこで川に落ちて難儀しているところを通りかかった少年が助けてくれたのだとか。
話を聞きたいので帰らずそのまま待っていてくれるよう少年にお願いし、着替えやらタオルやらをかき集めて戻ってみると、大変なことになっていた。ケイさんが理沙嬢の正面で膝をつきぐったりしょんぼりしている。隣に立つずぶぬれ少年が理沙嬢に説教している。
「駄目じゃないか、このおじさんの大切なものを持ち出すのも駄目だけど、女の子が一人であんな危ないところに行っちゃ駄目だよ」
なかなか珍妙な図だな。ついつい口を挟んでしまった。
「あははははー。高校生が小学生に説教されてるー」
え? なんで? 何かいけないこといった? なんでみんなフリーズしてるの?
「一時間もすれば洗濯と乾燥が済みますから、それまで我慢してくださいね」
「ご面倒おかけします」
「とんでもない。世話になっているのはこちらです」
その小学生は折り目正しく頭を下げた。それにしても大きい。身長百七十センチの私のスウェットも少し丈が足りないように見える。
本来は小応接室に案内すべきなのかもしれないが、見た目がしっかりして大きくても子どもだ。初めて訪れる家の人気のない部屋で放置されるよりよかろう、と厨房のスツールに腰掛けてもらっている。ここならばランドリーコーナーにも近いし、こうして茶を出しながら話もできる。理沙嬢は足を滑らせて川に転落したときに足首をひねってしまったらしい。手当てをケイさんにお願いしたので、私はこちらで少年の接待担当だ。
「お茶おいしいです」
「それはよかった」
実はそれ、私の庶民感覚では測れないレベルの高価なお茶です。スーパーの徳用袋の茶以外はほぼ口にしたことのない私には信じられない価格です。五十グラムで三千円とか、どこの世界の飲み物ですか。台湾茶です。かの地はお茶パラダイスらしいです。しかも私からすると鼻血もろくに出なくなりそうな価格であるにもかかわらず、好き者からすると大してお高くもないらしい。
先日、タイマーを携え秒単位で正確に説明書に書いてあるとおり淹れて茶を出したところ、
「あら、おいしい……」
「詩織ちゃん、とっても美味しゅうございますわ」
「不思議じゃのう。あんなに料理がまず……いやいやいや、茶はすばらしい」
とほめられた。ケイさんによると絶賛されたんだそうだ。私にはそう聞こえなかったんだが大きい人がそうだというのならそうなんだろう。
そういうわけで以来私の特技はお茶汲みということになっている。だからこうして胸を張って堂々と「おいしいよ!」と出せる。普段ならこんな高価な茶を淹れるのは心が痛むが、少年は理沙嬢を危機から救った恩人なのでその点もクリアだ。贅沢に茶葉をつかい、洗茶した上で第一煎を短時間でごく淡く出す。
少年は、杯サイズの小さな湯呑に注がれた茶を気に入ったようだ。
「しらうめさまはお茶を淹れるのが上手なんですね」
「ありがとう。石部くんはお茶が好きなんですか」
「普段はそうでもないです。どちらかというとジュースのほうが味がはっきりしているし。でもこのお茶は香りが複雑で、舌の上でとろっとしてとても不思議でおいしいです」
この大きな少年は、名を石部清茂くんという。近所の寺に住まう小学六年生だ。クラスメイト二、三名と連れだって白梅荘の前を通るのをよく見かける。小学生で照れがない年頃なのか、礼儀正しく躾けられているのか、必ず全員で「こんにちは」と挨拶してくれる。そうやって礼儀正しくされればこちらも悪い気はしないので当然丁寧に挨拶を返す。そうしてなんとなく顔見知りになった。
こうして話してみると、石部くんは見た目が高校生や大学生のようでも中身はきっちり小学生なんだなあ、と分かる。クラスメイトと連れ立って歩いていると彼は頭ひとつ、下手するとふたつくらい抜きん出て大きい。引率の大人のように見える。その見た目のとおり大人っぽいからか、控えめにしていても何かと友達にも頼りにされているらしい石部くんの年相応に含みのない物いいが微笑ましい。
全然関係ないのに私は大きい人の、少年時代の面影をこの子に探してしまっている。何十年も前、こんな風に無邪気で好ましい少年だったに違いない、と。
「それでは、私の極上お茶汲みスキルをお見せしましょう。石部くん、第二煎はまた香りが違いますよ」
そうやって厨房で茶菓子と茶を勧めつつ、今日の話を聞いた。
なんてこった。まさにガキとしか思えん。理沙嬢は無謀としかいいようのないことをやらかしていた。
「え、川ってあの渓流みたいなあそこですか?」
「そうなんです」
先日、ケイさんと理沙嬢、そして私の三人で連れだって近所の山へ行った。大した高さではないが、海から急激に隆起した地形なのでそこそこに険しくてがんばって登る感じのハイキングコースがある。そのコースの途中にカワセミのやってくるポイントがあるので連れて行ってもらったのだ。条件さえ整えば都会の公園でも見られる野鳥なのだとケイさんはいうが、私は感動した。青と碧を基調にした鮮やかな羽にオレンジ色の腹、くちばしや足、と実に美しいその鳥の野生の姿を目にするのが生まれて初めてだったからだ。
確かに興奮に値する美しさ、愛らしさでケイさんに借りた双眼鏡越しでも私は十分楽しめて満足したんであるが、どうも理沙嬢は気が済まなかったらしい。石部くんのいう場所はそのカワセミ観察ポイントと同じであるようだ。
今朝、
「行ってきまーす」
とサンダル履きで竿を持たずリュックを背負って出かけた理沙嬢を「お、今日は釣りじゃなくて釣り具屋めぐりか? 小遣いでもせしめたか?」などと考えながら見送ったのだが、まさかあんなお粗末な足ごしらえで山へ行ったとは。
「僕もカワセミを見に行ったんですけど、華奢な女の子がごついカメラを構えて岩の上でふるふる踏ん張っていたので驚いたんです」
「ごついカメラ?」
「はい。黒いカメラにでっかい白いレンズがついてて」
「それってまさかあの『バズーカ』……」
「『バズーカ』っていうんですか? 確かにそれっぽいですね」
「いや、それは私が勝手に名付けただけ。正式名は知らない。それで?」
「危ない、と声をかける前に滑って川に落ちました」
「『バズーカ』ごと?」
「はい。『バズーカ』ごと」
あちゃー。ケイさんがあんなに大事にしているカメラを持ち出した上に川に落としたのか。しかも「バズーカ」か。そりゃ、無事では済まないだろうし、ケイさん、がっくりしょんぼりするわな。あのレンズ一本でとんでもない金額だと聞いたし。それより目の前の少年と理沙嬢が無事であったことのほうが重要であるわけだが。
「それで助けてくれたわけですね? あの子を」
「そうなんです。てっきり小学生だと、年下だと思っていて。けっこう厳しく説教してしまったんですけど、高校生だったんですね。年上の女の人に対して失礼……でしたよね、やっぱり」
石部少年はしょんぼり肩をすくめた。
「いや、そこは問題ない」
少し口調を強める。
「それよりも石部くん。あなたは小学生にしてはしっかりしているし、体も大きいしおそらく力も強い。しかし重要なのは彼女よりもあなた自身の生命です。あなたの生命はあなた自身が守らなければならない。その優先順位を間違えてはいけない。逆もしかり。もしあの場で川に落ちたのがあなたで、岸で見ていたのが理沙嬢であった場合……」
「確かに、そうですね。その場合僕が助けられるわけにはいかない」
「そのとおり。誤解しないでほしい。あの子を助けてもらって、ほんとうに感謝しています。でも今回は幸運だっただけ。次回も幸運に助けられるとは限らない。下手をすると二人とも生命を失う可能性だってないとはいえない。あんな小さな川であっても。だから次からはあなた自身の生命を優先すると約束してほしい」
石部少年は下を向いてうーん、と考えこんだ。
ちょっとちょっと、精神干渉まではいかないがちょっと強めに説得したんだぞ、何を悩むか。聞きたいのは「うーん」じゃないよ、素直に「うん」といいたまえ、「うん」と。しらうめさまはお茶汲みより今は精神干渉と説得のほうが得意なんだぞ、ちょっとへこむ。
「ちょっと難しい」
しばし考えこんで石部少年はぽつりと漏らした。説得云々の前に小学生には話そのものが難しかったか。そう思ったんだが、違った。
「いえ、お話には説得力がありました。しらうめさまのいったことはきっと正しい。でも次に同じ場面に遭遇したら僕はいわれたとおりにできないと思う。だって、今日彼女と会ったから、もう知らない人じゃないし。見過ごしにできないと思う。何が何でも助けたくなると思う」
えええ、そうきたか。困った男前だな。さてどう説得したものか、と思っていたら厨房の入口で理沙嬢がわああ、と泣きだした。
「ごべんだざいごべんだざい」
なんだよ理沙嬢、いえてないし。こっちにはちゃんと説得が効いているみたいで少し安心した。なんてったって寿命を削るほどの異能の一部なんでね。ろくに機能しないものに命削ってるとなんだか嫌じゃないか。なんとなく私の説得が効いてるわけじゃない気がするけどさー。
困った男前・石部少年は泡を食って立ち上がり、捻挫して足を引きずる理沙嬢を優しく導き今の今まで自分が座っていたスツールを勧めた。「泣かないで、泣かないで」などと頭を撫でて宥め、本来は自分が食べるはずだった茶菓子を「ほら、甘いもの食べて」と勧め、私の手から「どうも」とハンカチを毟り取って理沙嬢の目もとをぬぐってやり、とどこかで見たような念入りな世話焼きっぷりを披露してくれた。
「じゃあ、危ないことは絶対にしないって約束できる?」
「うん。絶対しない」
「安全第一で」
「うん。あんぜんだいいち」
「それだったら僕も川に飛びこまなくてよくなる。これで安心だ。ね、しらうめさま」
あーそうだねー。ほんと、どっちが年上だよ。高校生のくせに小学生に頭撫でられて嬉しそうにお説教されてるんじゃないよ、理沙嬢。いわれていることは至極もっともなので仕方ないが。とにかく理沙嬢、きみはもっと大人になれ。
日向のにおいがするので目をやると、厨房の入口で大きい人が苦笑していた。
「理沙ちゃん、お母さんがもうすぐ迎えに来る。足首はちゃんと病院で診察してもらって」
「あい」
「それから石部くん、服が乾いたからこっちで着替えよう」
「はい」
やがて理沙嬢の母親が迎えに来た。「うちの娘に怪我を……!」などとパワフルにあさっての方向から喚きにかかるものと思っていたが、違った。母親は石部少年に丁寧に礼を述べ、危険な目に遭わせたことを詫び、私とケイさんにも連絡と応急手当の礼をいった。
そして理沙嬢に軽く説教をかまし、こちらのお宅にもお礼を、と改めて石部少年と向かい合って
「えええっ、あなた小学生なんですか?」
と仰け反って驚いた。
こちらもびっくりだ。あの儀式から二ヶ月経つ。途中経過が今ひとつ噛み合わない印象だったのに、なんだか普通のお母さんになっている。石部少年を見上げて驚くリアクションも含め普通になっていて驚いた。そして安心した。背後でちょこまか落ち着かない様子の幼子に「いたずらしちゃ駄目」と念を押す余裕すらある。
理沙嬢の親を差し置いて石部少年宅に礼に行かねばならないかと懸念していたが、その必要はないようだ。
病院に行く前に少年宅へ寄るという理沙嬢の母が子どもたちを伴って車に乗るのを見送りながら、そう思った。




