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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第一章  白鱚と乙女

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第十一話  穴を出づ(二)

 臼田青年一家が多々良が浜を追い出されて以降、他の人間による理沙嬢へのストーキングもぴたりと鳴りを潜めた。()えた気配の主のいう「圧倒的な神性」を国会議員の圧力というかたちで示したことになる。この家は簡単に大きな権力を動かせるのだ、と。まやかしでも分かりやすいかたちの力なんだろう。

 この件については何度かみちるさんと話した。


「あの議員先生がしゃしゃり出てきたのは意外だったわ。あまり地元に関心のない人なのに」


 一議員が地元に関心があるとどうなるのか、また関心がないとどうなるのか、政治に疎い私にはよく分からない。多々良が浜や隣町を選挙区とするその議員が地元への配慮をすればこの地はもっと栄えるんだろうか。ここに住み都心へ通う勤め人が増えるのか。それとも企業の誘致がかない、雇用が増えるのか。初めてこの地を訪れてまだひと月にも満たない。そういうことに関心を抱くにはまだ時間が足りない。



     *   *   *



 山がざわめいている。

 宅地開発や道路建設により(ひら)かれたとはいえそこにはまだまだ人の滅多に踏み入らない場所がある。そのひとつ、小暗い谷間で巨木が揺れていた。生い茂る大木のつくる影に沈む色をした大きな獣が巨木に身体をぶつけている。

 ず、ずず……ん。ず……ん。

 何度も、何度も自身を罰するごとく体当たりを繰り返し、獣は止まった。巨木から顔を背けた獣は視線を海の方角へ向けた。うっそりとしたその動きで力ない木漏れ日に身体の一部が照らされた。黒い毛に覆われた体躯は厚く大きい。

 ふ……ふ……。

 密集する木立や崖に阻まれて見えないはずなのに獣は一心に海の方角を探る。荒く息をつく獣のたてがみからわずかにのぞく目には物狂おしい光が凝っていた。

 ふと、獣が天を仰いだ。暗い色をした鼻面がひくひくと忙しなく(うごめ)く。

 しゃっ……からからからから。

 激しく身震いした獣はどん、と地面を踏み鳴らすと機敏な動きで木々の影に退いた。樹上から忙しなく羽ばたく音がする。鳥だ。大きな影が木々の間を滑るように横切り、いったん高く上がる。鳥らしからぬ動きでくるりと身を丸めてそれは空中で大きな獣に変身し、軽やかに着地した。

 ぐるるるるるる。

 黄金色の目がらんらんと輝いている。山猫だ。これも大きい。獣の紛れた影の辺りを凝視しながら優雅にゆっくりと歩む。灰色の毛皮に木漏れ日に似た斑点が浮いている。山猫が足を止めた。黄金色の目がいっそう強く輝き、口が嘲笑うように開いた。なめらかな毛皮に覆われた背中が大きく膨らんだのと同時に山猫は影に向かって飛んだ。

 ふ、ふうううううっ。

 しゃっ、からからからから、から、しゃっ。

 暗闇で大きな獣同士がぶつかっては離れ、離れてはぶつかった。

 ふうううううっ。

 優雅な動きで灰色の山猫が退き距離を取る。影に沈むように身を縮めるとゆらりと立ち上がった。木漏れ日に痩せた男の背中が照らし出される。青白い肌に蚯蚓腫(みみずば)れが縦横に走っている。


「まだあそこにいるのか。――早く出て行けよ。ろくなことにならねえぞ」


 木々の影で獣が

 ふ……ふっ……。

 荒く息をつく。


「まさか――白梅の当主に惚れたんじゃないだろうな」


 ふ、……ふっ……ふっ。

 獣がもどかしげに身じろぎする。


「やめておけ、やめておけ。おまえの手に負えるような女じゃない。釣り合いもしない」


 はああ、と男は呆れたように首を左右に振った。


「まあ、おまえは昔の女に操を立ててるんだからそれはないか。それとも宗旨替えしたか。――どっちにしろ無駄だ。白梅の当主はオレのものになる」


 獣がどん、と足を踏み鳴らし

 しゃっ、からからからから、から、しゃっ。

 激しく身体を震わせた。木々の影で気配が剣呑に膨らむ。


「人が親切にアドバイスしてやってるってのに」


 男は獣の威嚇を意に介さず続けた。


「真面目な話、オレは心配してるんだぜ。――またお前が傷つくんじゃないか、傷つけてしまったと泣くんじゃないか、ってな」


 影に身を隠す獣の動きがぴたりとやんだ。


「あのときの二の舞になりかねんぞ。――ああ、そうだ」


 木漏れ日で露わになった口もとがへらりと笑みで歪んだ。


「そういえば朝から皆留守にしているとか。――いいのか?」


 男はすすす、と獣から距離を取った。姿が影に沈む。


「白梅の当主をあの屋敷に一人きりにして」


 男の声が離れた茂みから聞こえてきた。がさがさと忙しなく枯れ葉を踏む音がする。


「その姿では駆けつけることもできまい。昔のことにいつまでもこだわるからこうなる。早くあんなところなど出てその辺の手軽な女とくっつけ。お前にはそれが似合いだ」


 男の声が遠くなり木々の間から大きな影が空へ舞い上がった。小暗い谷に獣だけが残った。

 どん、どん……どん。

 しゃっ……からからからから。

 もどかしげに足を踏み鳴らす音、何かが小刻みに擦れ合う音が木立の奥に響く。獣は唸りを上げ巨木に向かって突進した。

 ず、ずん。ずん、ずず……ん。ず……ん。

 何度も、何度も獣が体当たりを繰り返す。山が物狂おしくざわめいた。



     *   *   *



 くだんの議員先生がしゃしゃり出てきた理由が明らかになった。報酬を要求してきたのだ。それは地元の票集めや献金ではなかった。


「当家住人の勢田理沙を、ですか?」


 朝遅い時刻に「これからうかがいます」と急遽(きゅうきょ)やってきたのは先日の議員先生の秘書だった。みちるさんだけでなくたまたま皆不在なのでひとりで応対する。気は進まないが、客はみちるさんでなく私を指名してやってきたのであるし仕方ない。


「はい。先日のストーカー騒ぎで体面に傷がついたと聞き、うちの先生が大変に心を痛められまして。何でも高校を休学し、引きこもっているとか」


 それはうちの理沙嬢の話か。引きこもりどころか毎日元気に釣りに行っているがな。


――なるほど、そういうことね。


 目を伏せて顔色を読まれないよう努めながら思いを巡らす。みちるさんの不在を狙って私から言質を取ろうって魂胆か。


「確かに学校には行っておりません」

「田舎で肩身狭く暮らすより、先生のお宅から東京の学校に通ってはどうかと。お屋敷は広くて立派でございますが、先生はご家族もないまま寂しく暮らしておいでなのです」


 体裁を気にする政治家には珍しく離婚したと聞いた。


「前途洋々たる若者の支援をぜひにもと先生はお考えなのです。もちろん勉学に専念できるよう家庭教師、家政婦をつけセキュリティを整えるなど万全のサポート体制を計画しております」


 面倒くさい。こんなのに関わっている暇なんぞないのに。秘書だとかいう妙にぺらぺらと口のまわる男の、真面目くさったふりをしてその中からぷんぷんとにおう生臭さに辟易する。


――でも。


 私は熱心に語る秘書に相づちを打ちながら微笑んだ。


――これだけ下衆の臭いがする男だ。あれを試すにはちょうどいい。


 少しうつむいて相手の視線を誘う。惹きつけたところで一気に引っ張り込み表層を走る疑念をすべて刈り取る。束ねた意識の繊維のいくつかを掴み、私は相手の心をこじ開けた。


「先生は、当家の勢田のどこをそんなに買ってくださったのでしょう」

「どこをって当たり前でしょう。まだ十六歳だというのにあれだけ美しくしかも親から見放され他愛な――」


 はっ、と男が口を押さえた。私はわざとらしく顔を背け涙ぐんで見せた。


「信じがたいことです。まさか先生がそのようにお考えだったとは」

「い、いや、先生は決してそのような」

「それではあなたの個人的なお考えで?」


 先ほど掴んだままの本音につながる意識の束をくすぐる。


「まさか。こうして親しくお話しくださるあなたご自身がそんなお考えをお持ちだなんて。立派な方だと思っておりましたのに」


 ひどいわ。声に出さず、唇だけ読ませる。

 鮟鱇(あんこう)の誘因突起のようにひらひらちらちらと視線を、思考を惹きつける。こじ開けた心のどこをいじってやろうか。入念に観察する。


――あと少し。


 食え。さあ、食え。罠にかかれ。


 義憤に燃えたり、自己犠牲に身を投じたり、荒唐無稽な仕掛けはああいう人にきっと馴染まない。

 私は秘書にごく普通の助言を与えただけということになっている。ご提案はきっと社会通念上好ましくない結果をもたらすでしょう、と。還暦過ぎの男性がいとけない少女を愛人になどと妙な噂が立っては今後のご活動に差し障りが生じましょう、と。

 そうだそうだ、ここに来るまではリスクを甘く見ていたがそんな面倒な相手でなくても。考えを変えたあの秘書はあるじにそのままを提案するだろう。ほんのわずかな間でも手を打つまでの時間稼ぎになれば、今はそれでいい。


――アンタは手を抜いた。


 そんなことはもういわせない。二度といわせない。



 私は白梅に血を啜られ、異能を手に入れた。それは傷や疲れがすぐに癒える能力だけではなかった。

 会社員をしていた頃に身につけたささやかな洞察力と説得力。鼻がちょっとばかり利くこと。それらが増幅した程度、能力そのものは大それたものではない。そう思っていた。


――なんておぞましい。


 先刻の自分の行為を思い出して惑乱し、絶望する。

 議員の使いでやってきた秘書に私は何をしたか。今までだってきれいなだけの生き方をしてきたわけじゃない。人と争ったことぐらいある。親に嘘をついたことだってある。今回だって必要だからこそそうした。でも人の心に干渉してその意思をねじ曲げるだなんて。



「面白いな」


 白梅の木の傍らに立つと饐えた気配の主がやってきた。相変わらず姿は見せない。すぐ後ろに立ったときに殴りかかろうとして失敗した。


「精神干渉系の能力を持つ女は他人を操るためにそれを使う。そしてそれを楽しむもんだがアンタは違うんだな」


 今日も男の気配と声の位置が一致しない。


「オレは操られてもかまわないぜ。攻撃力も防御力もないアンタはオレから身を守る必要があるだろうがな。ありとあらゆる意味で」


 耳もとで「ふふふ」と生臭い息を吹きかけられてぞぞぞ、と悪寒に震える。殴りかかろうと腕を振ってまたしくじり、その勢いのままよろめき地面に手をついた。

 私はこいつが嫌いだ。憎い。心底、憎い。

 ふと、地面についた手のすぐ近くに尖った矢のようなものが落ちているのに気づいた。そっと手に取る。気配を探る意識を広げ、丸め、さまざまに変化させる。

 探せ。集中しろ。

 なぜかこいつは気配と実体の位置が異なる。ゆったりのったりと気配の帯をくねらせ、臭いと音は別の速度とリズムで明滅するように現れ、消える。しかし私の背後すぐ近くでたわむれかかるときは違う。気配、音、においすべてが集まってくる。夢中で気づかなかった。自分に備わっていると知りもしなかった異能を私は当たり前のように使っている。

 気配、音、におい。すべてが私の背後、一ヶ所に固まりはじめたそのとき、ち、と舌打ちが聞こえた。


「ネズミが来やがった。またな、白梅の当主」


 ふ、と生臭い一陣の風を残し、気配の主は去った。手の中の尖ったもので刺してやろうと思ったのに。また失敗してしまった。



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