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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第一章  白鱚と乙女

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第六話  木の芽(四)

「なんで糞オヤジの布団が花柄なんだよおおおおお」


 青年が泣いている。気持ちは分からないでもないんだが、所有者が目当ての人物かどうか分からないというのに行き当たりばったりでそこらにある布団にうっとりしがみつくほうが悪いと思う。ピンクの花柄って布団によくあるプリントだと思うし。

 ひとまず青年は放置し、ケイさんと二人でシーツを干し終えた。海から吹く風でシーツがはためく。引っ越してからこちら、何かとひっくり返っていたので久々にちゃんと動いた気がする。本来なら「気持ちいーい」となるんだろうけど、ちょっとだるい。体力がなくなってるなあ。こんなことだから影の薄い変態青年ひとり撃退できないのか。そんなもの思いに耽っていたので半分聞き流してしまった。


「俺、臼田清太郎っていいます」

「え? ウスバカゲロウ?」

「ちげーよ、臼田、ウスバじゃねーよ、う、す、だ」


 青年は叫びしゃがみこむと、さめざめ泣き出した。「どこ行ってもどいつもこいつも存在感薄いのなんのって」などとえぐえぐ咽ぶ。臼田青年のキレっぷりにかちんときたらしいケイさんが「つまみ出します」と腕まくりを始めた。それを止める。


「ごめんなさい、ちょっと意地悪しました」


 でもね、といちおう釘を刺す。


「明らかによくないでしょう。つけまわした挙げ句、忍びこんで布団にしがみついてるんじゃ」


 青年はひくひくしゃくりあげながらぶすっとむくれている。


「いろんな人に何度も訊かれてるかもしれませんけどね、『何でこんなことするんだ?』って。でも臼田さん、私があなたに尋ねるのは初めてです。他の誰かからじゃなく、臼田さん自身のことばを聞きたい。何でこんなこと、するんです?」


 臼田青年は意外そうに私を見上げた。そしてまたそっぽを向いて「何いえばいいか分からない」とつぶやいた。


「じゃあ、思いついたことを何でもいってみてください。うちのあの子と初めて会ったときのことでもいい。あの子に関係ないことでもかまいません。思いついたことを、何でも」


 青年はこちらを見ない。黙りこんでいる。

 隣に立つケイさんがはらはらしているのが伝わってくる。軽く彼の手を握った。ケイさんが目を瞠るのでにやり、と私なりに精いっぱい悪い感じの笑顔を作って見せつけてやった。だいじょうぶ、だいじょうぶ。私、まだ手の内に余裕あるし。話を聞いてみたいのはほんとうだし。伝わったかどうか分からないが、ケイさんがきゅ、と手を握り返し微笑んで白い歯を見せてくれたので私は満足だ。手を離し、腕組みをした。

 青年がそっぽを向いたままなので斜め後ろから様子をうかがうしかない。いくぶん表情から頑ななものが抜けた。


「去年、大学受験全部駄目で。模試で合格判定出てたのも駄目で。親は長い人生、そんなこともあるっていってくれました。一度目だしって」


 いい親じゃないか、と思ったが口にしない。水を差すことで臼田青年の思考が外部の刺激に影響されるから。自分のことを自分の考えたことばで語る、今はそれが必要だと思うから。


「正直、最初は浪人して高校のクラスメートより上の大学に受かってやるって思ってました。ずっとそのつもりだったんスけど、なんか駄目で。予備校行ったら同じ高校のやつと授業いっしょになったりしたんスけど」


 顔と名前を覚えてもらえなかったそうだ。しばらくその手の「覚えてもらえない」エピソードが続く。ことばの端々に不満がぷんぷんとにおう。自分のことを覚えてもらえないのは不快だろう。本人なりに今まで努力もしてきたんだろうに。「大学受験に失敗した」「印象の薄い自分は出会いから先に進めない」と表面上は別の問題を語っているようでいて、上掛け一枚剥ぎ取れば理沙嬢の問題とつながっているような気がする。促さず続きを待った。


「なんかつまんないときは海だと思って、でも遊泳可の浜はサーファーがいてなんかいづらいから人があまりいないところ、と思って。浜を歩いていたらあの子を見かけました。最初は男の子だと思いました。子どもなのに釣りうまいな、上手に投げるな、と思いました。ぼーっと見てたらこのおじさんが迎えにきて『りさちゃん』って声かけてて。『りさちゃん、そろそろ帰ろう』って。へえ、女の子だったんだ、と思ったらそれまで釣りに夢中だったその子が振り返って」


 臼田青年はすこーんと晴れた空を見上げた。


「ぱあっ、って笑ったんス。すごくかわいかった」


 ああ、分かる。理沙嬢の表情が目に浮かぶ。確かにかわいかったろうな。

 臼田青年の口から「かわいかった」ということばは出ているが、思い出してうっとりという感じではない。表情の変化を注視する。


「何度か浜で見かけるようになって――、理沙ちゃんがひとりで帰るのを見て跡をつけたんス」


 隣でケイさんが顔を(しか)めている。まあそりゃねえ、「俺のせいか」とかいいたくなるよねえ。臼田青年もそれを察したか、ちらっとケイさんを見上げて「それだけっス」と話を締めた。

 あーもう、気持ちは分かるけどおとなしく聞いてられないんだったら席外せ。そういう念をこめて睨みつけたらケイさんがしょぼーんとしぼんだ。しばらく待ったのち、


「他には? 何かいいたいことあります?」


 と声をかけたが臼田青年は口を開かなかった。話し疲れたということにしてもいいか。それともカマをかけてさらに話を引き出すか。


「あの子をストーキングしてみてどう感じました?」


 カマをかけてみる。


「学校に行かずに平日の昼間からふらふら釣りをしている。住まいは大きいけれど、両親といっしょに暮らしていない。何をしてもかまわない子だと思ったんじゃありませんか?」


 臼田青年が私を振り返る。目の泳ぎを見る。


「何しても、なんて……そんなことない」

「じゃあどう思ったんです」

「親でもないそのおじさんとあんなにべたべたしてるんだったら、オレと仲良くしてくれてもいいんじゃないか、って。その人と違ってオレは若いし、仕事してないおじさんなんかよりオレのほうがいいって思って。なんかニートっぽい人と仲良くしてる子だったら簡単かなって」


 何がどう簡単なんだよ。いわせておいて腹が立ったが青年の反応を待つ。いわれたい放題の大きい人がものすごくしょんぼりしているけれどフォローは後だ。


「予備校サボってつけましました。ああ、この子もオレが誰かよく分かってないんだな、覚えてくれないんだなと思ったら、いろんなことがどうでもよくなってきて。最初はただ仲良くなりたかったんス。でも迷惑そうにされたりして。こんなにきれいでかわいくてみんなにちやほやされるんだから、オレみたいに友達いなくて苦労してるのからかけられる迷惑ぐらい我慢しろよ、って」


 臼田青年は肩を落とした。

 この青年の抱える問題の根もとまでたどりつかなかったが、私がそこへ行く必要はなさそうな気がした。問題があると青年自身が自覚できたのなら、あとは本人が何とかするのがいいに決まっている。


「もうちょっと意地悪、いいますよ」


 必要かどうか分からないけれど、傷ついたと怒るもよし、なにがしかお互いの理解につながるもよし、このときの私は投げやりな気持ちになっていたかもしれない。


「あなたと会うのはこれで二回目ですね。でもどうしても二回目だという気がしない。確かに存在感が薄いです、あなた」


 そっぽを向いたままの臼田青年の肩がびくりと震えた。ケイさんが私を見て眉を下げている。困ってるんだな。「こんな腐れ小僧相手であっても弱点ついていじめるのはちょっと」といいたげだ。


「でもさっき、名乗ったでしょう。『臼田清太郎っていいます』って。あれでずいぶん印象が変わりましたよ。まず、顔と名前がつながり始めた。今までは尖った早口で『オレ、かくかくしかじかでなになにっス!』って叫ぶ不審者だった」


 臼田青年が振り返った。抗弁しようと口を開けかける。それを「まあまあ」と制する。


「ここの住人ね、あなたの名前を知らないみたいなんですよ。腐れ小僧とかそんな感じで。臼田さん、あなたがつけまわしているあの女の子にちゃんと挨拶して名乗ったことあります?」


 臼田青年の顔にいろいろな感情が走る。


――確かにいわれてみれば。

――でも。

――でも。

――でも。


 自分の行動が他人に否定されていることに対する拒絶が繰り返され、表情を埋めていく。たたみかけるか、待つか。待つことを選んだ。


「……名乗ってもどうせ覚えてもらえないし」

「そうですね、そうかもしれません。でもそうじゃなかったかもしれない。あなたはそうじゃない可能性のあった最初の機会を自分で潰した。『どうせ駄目だから』と。違いますか?」


 臼田青年の目が揺れる。


「違わない……」

「あなたは確かに名前と顔を覚えてもらえない人なのかもしれない。でも、それはあなたのしたことをリセットしてゼロに持っていってくれないですよ。どんなに印象が薄くてもあなたからされたいやなことをあの子は忘れません。あの子が特別に根に持つわけでなく、人とはそういうものなんです」


 臼田青年はうつむいていたがやがて


「オレ、理沙ちゃんと仲良くなれないんスね」


 とつぶやいた。

 まあまず無理だね。即答してしまいたいがそうしない。世の中に絶対はないからね、などたとえ正論であってもそんな夢は見せない。青年が得た結論を後押しするために苦笑するだけにとどめた。




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