第二話 春濤(二)
理沙嬢は唐突に切り出した。
「しおちゃん、白梅荘の乙女って、なんだと思う?」
そのあたり、何となくスルーして暮らしているんだけど実は気になっていた。
「えええっと、白梅荘に住んでいる人のことなんだよね? 乙女という呼び方にマッチしない人もいるけど?」
「しおちゃん、それ自分のこと?」
なんでそうなるわけ。ここで薄皮問題再燃かよ。
「初日、みちるさんにもそれいわれた……」
「あはははははは!」
理沙嬢自身は乙女になってまだ数年だが、祖母である真知子さんは前オーナーのおば様の幼馴染みでもあり、乙女として過ごした期間も長い。それだけに理沙嬢は実際に乙女たちのありようを目にするだけでなく、真知子さんから様々なエピソードを聞いたそうだ。それでも白梅荘の住人を乙女と呼ぶのがなぜなのかは分からない、と理沙嬢はいった。
「乙女はね、白梅荘の中で必ず対の乙女を見つけるんだよ。乙女と乙女の関係は一対一なんだって。これは鉄則、というかそうなっちゃうものなの」
要するにとても気が合うとか、仲がよくなるとか、そういうことなんだろうか。
「ううん。関係性が恋人とか親子とか夫婦、友人、愛人、何であれ一対一でとても仲よくなるんだ」
「夫婦?」
私の投げかけた疑問に、理沙嬢はことばを選びながら丁寧に説明してくれた。ことば遣いはいつものあれだけど。
恋人、親子、友人、愛人など、要するにパートナーシップの類型ということらしい。夫婦というのは固く絆を結び、他者や社会と相対する際に手を携えことにあたる。法的に夫婦であるかどうかをさすわけではないということか。
「そうすると恋人ってのは夫婦よりラブ度が高い、そんな感じ?」
「そうそう」
「愛人ってのは恋人よりエロ度が高いってこと?」
「そうそう。実際肉体関係を結ぶ乙女もいたって聞いたことある」
「えっ」
いやその、普通愛人だったら女性同士でもお肉のぶつかり的アフェアがあるんじゃないのか。理沙嬢の話しぶりだとプラトニックな愛人関係のほうが多いみたいに聞こえる。どうもそのあたり、もう十六歳とはいえまだ大人ではないので細かく質問しづらい。訊いたら答えてくれそうな気がするからますます訊けない。
「じゃあ愛人ごっことか夫婦ごっことか、ふたりの関係を見立てる感じ?」
「うーん。近いけど、何か大きく違ってる気がする。ボクの考えでは」
たとえばお久さんとみちるさん。
「特別に仲がいいよね?」
「そうだね、確かに」
「友達なんだけど、もう少し踏み込んで同士という感じかなあ」
なるほど、そのとおりだ。みちるさんは弁護士のお仕事が忙しいので不在がち(「寝に帰るだけ」は大げさでなかった)、お久さんのお仕事は隣町でご親戚が経営している合気道道場の師範代であるが、それを除けばたいてい在宅して白梅荘の警備をしてくださる。そんなふたりの接点は決して多くない。しかし特別に仲がいい。それは見ていて分かる。
「拒絶されているわけじゃないし、みちるさんよりも今は私のほうがお久さんとたくさん話しているけど、みちるさんとお久さんの関係に踏みこめないところがある、そんな感じ?」
「そう、それ」
ああ、なるほどねえ。
「特別に仲がいいってだけなら、よそでも親友とかできそうだけどな」
「白梅荘の外にそういう人がいてもいいんじゃないかな」
「そういうもの?」
「そういうもの。でも白梅荘の乙女だと一対一なの。一対二とか一対三とか、ないの」
うーん、イメージしづらいなあ。
「ボクとおばあちゃんは家族なの。祖母と孫なの」
「理沙嬢、そのまんまだよね?」
「まんまだね。でもちょっと違う。血のつながりがなくても、白梅荘で乙女として出会ったら今と同じように特別になるんだと思う。真知子おばあちゃんはお父さんのほうのおばあちゃんと違う。ボクの特別なおばあちゃんなんだ」
なるほどねえ。理沙嬢の真知子さんに対する思い入れの強さは理解できる。ただし仲のよい老人と孫であればつながりの強弱に違いこそあれ、特別である点で変わらないんじゃないのかなあ。そういう疑問が顔に表れていたらしい。
「たとえばボクがピンチに陥ればおばあちゃんは迷わず助けにくる」
「そりゃそうだ。当然でしょう。ちなみに私だって助けに行きますよ」
理沙嬢はうなずいた。
「うん、知ってる。仮にそうなったらそうしてほしくないけど。しおちゃんはそういう人だよね。そしてそうしてほしくないなんていってるくせにボク、いざとなって助けに来てくれたらしおちゃんに甘えちゃう気がするんだ」
うつむいて理沙嬢は「ごめん」とつぶやく。
「あのね、理沙嬢。まずそんな事態に陥ってないんだし、可能性の話だけで落ち込まれても困る。で、可能性の話だけどさ、そうなった場合は甘えてくれていっこうにかまわない。それをちゃんと覚えておくように。いい?」
ちょっと強めにいってみた。理沙嬢は顔を上げ、目を瞠ると
「うん、分かった」
嬉しそうにうなずいた。そして「しおちゃん、かっこいい」と頬を赤らめた。うお、美少女の頬染めは危険だな。ハートにずきゅーん、ときた。
「おばあちゃんなんだけどね、絶対に死んでほしくないの。もしボクがピンチに陥っておばあちゃんが助けにきたとして、ひとりしか助からない状況だったらボク、きっと困っちゃうと思う」
わりと誰でも困るような。そんな気持ちが顔に出ていたと思うけれど理沙嬢の目には入らなかったようだ。
「そうなったらボク、――おばあちゃんが助かるならどんなことでもやっちゃうと思う。おばあちゃんに嫌われてでも。それでも生きていてほしいの。おばあちゃんが死んじゃうくらいなら、ボクが――」
「理沙嬢、喩えでもそれ以上ことばにしては駄目」
病気や事故、災害などで長幼の順が逆になるケースもあろうが、普通は年寄りが若い者より先に亡くなる。それはそうやって命をつないでいるのだから、仕方ないことだ。でも理沙嬢はことばにならないところで真知子さんとのつながりを断てない、断ちたくないと感じているのだろう。よく見られる家族間の絆の一例だとしても理沙嬢にとって他と比べるべくもない切実な何かであるのなら、それを私がどうこう口をはさんでいいはずもない。でもこのケースでは白梅荘の乙女のパートナーシップは理解できないなあ。
「実はね、けーちゃんが白梅荘にきたとき、ボクの対の乙女なんじゃないかなって思ったことあったの」
「え? えええええ?」
理沙嬢はくすくす笑った。私のうろたえる様子を見て楽しんでいるらしい。ななな、何ですか。まったく。
「白梅荘に住む人をなぜ乙女と呼ぶのか知らないけれど乙女がどういうものか、ボク知ってるよ。乙女は対をなす乙女と強く惹かれ合い、固く結ばれる。それが乙女ってものなの。けーちゃん、優しいじゃん。でっかいのにちょっと気弱なところがあるのもなんだかかわいいよね。だからそんな感じで気になるのってボクの対の乙女だからかも、そう思ったこともあった。でも思春期にたまたま近くにいる男の人だから気になった。それだけだった」
なるほどねえ。分からないでもないなあ。それにしてもあのおっさん、乙女じゃないだろう、そもそも女じゃないんだし、という私の訴えは常にスルーされるのでもうつっこまないことにした。
「ボクの対の乙女はおばあちゃんなんだよね。心の中の、ボクの対の乙女が住む場所にはおばあちゃんしか入れないの」
そっと胸を押さえて理沙嬢はいった。美少女の美しい仕草と表情はほんと、ハートに危険を感じるくらいずっきゅんずっきゅんくるね。いやあ、眼福。
「分っかるかなー? 分っかんないだろーなー?」
なぜ美少女の口からそんなレトロなギャグが。
あははははは、大昔のギャグだぞ? などとつっこんだんだが、こういうところがこの子の心配になっちゃうところである。つきあいがエルダリーな年齢層ばっかりなんだよねえ。誰だよ、「分っかるかなー?」なんて教えたのは。白鱚数釣りライバルのあのオヤジか? 釣具屋の亭主か? まさか真知子さんなのか? 「おほほほほ」と口もとに手をかざし高笑いしながらあのギャグを……なんてシュールな絵面なんだ。
もっと年の近い子とつきあいなよ、というのは簡単だ。きっと理沙嬢のためになる。おそらく有用なアドバイスだ。そして周囲の誰もが、誰より理沙嬢自身がそれを理解している。でもそうできないから今こうして世間とのかかわりをほぼ絶って暮らしているのだ。
なぜ学校に行かないんだ、行こうよ、せめて学校に行かないなら他の方法で社会に出ようよなどと説得したくなる人もいるだろうなあ。それは正論でどこにも間違ったところなんかないんだけれど、どうしてもそれができないのならという解決法の提示もあるといい。
まだ幼く、経験が少ないからこそ可能性は無限にあり、反面、ひとつのつまずきが大きく心を傷つけることもある。
風邪を何回も引けば「病院に行って薬飲んで栄養とって、とにかく寝て身体を休めればそのうち治る」と分かるけれど、初めて風邪を引いたとき、余りのダメージの大きさに「次、もっとひどいことになったら」と恐れおののく、そういう可能性もあるということだ。風邪の場合は物心つく前に何度も引いて周囲も本人も対処手順と耐性が身につくものだし、適当なたとえじゃないかもしれないが。
風邪のつらさを克服できないなら対処の仕方を教えてやるよ、次はこうやってしのげと胸を張って先人として導く、私はそこまで理沙嬢に踏みこめない。踏みこまない。
――そうか。
自分が傷ついても相手のためになることならば嫌われてでもやってのける、そう思えないから私はこの子の対の乙女になれない。そういうことなのか。
うっすら対の乙女システムについて理解できそうな気がしたそのとき、爆弾が投下された。
「しおちゃんとけーちゃんは恋人って感じだね」
「はい?」
「だってしおちゃんの対の乙女はけーちゃんでしょ?」
「いやいやいや、違いますよ? 乙女じゃないし恋人でもないし」
「えええ? そう? ふたりの間には誰も入りこめないって感じじゃん」
「こらこら、からかってもらっちゃ困ります。単に白梅荘の中で余ってるのが私とケイさんってだけじゃなく?」
理沙嬢は首をかしげる。
「対の乙女じゃないのかなあ。固く結ばれるより強く惹かれ合ってる感じが強いけど、対の乙女同士に見えるよ?」
「そんな風に見えちゃうんだ……」
「うん。恋人というより番かなあ。しおちゃんとけーちゃんはがつがつしててえっちいよね」
が……がつがつしてえっちい? あああああ、駄目だ。他人に、しかもお子様にそう見られてるなんて。立ち直れない。立ち直れる気がしない。私はがっくりうなだれ両手で顔を覆った。もういや。恥ずかしい。
「あ、けーちゃんだー」
ほら、けーちゃんきたよー、と理沙嬢がうなだれる私をつんつんつつく。そうですか。来やがりましたか。ざくざくと砂を踏む足音が近づき、低く太い汽笛のような声が降ってきた。
「どうしました。具合悪いですか」
ケイさんが片膝をつき、覗きこもうとする。私がいやいやと首を振ると
「寒くありませんか? 詩織さんの美しいうなじが冷えては大変です」
といいやがった。こ、この変態め。オノレのせいでこちとら屈辱と羞恥という奈落の底に突き落とされたんじゃ。ケイさんの手が私の首にそっと触れる。指先が熱い。
ぶちり。
私の中で何かが切れた。堪忍袋的サムシングが切れた。もしかしたらどこかしらの血管かもしれない。もうこの際いいんじゃないの、その血管が堪忍袋的サムシングってことで。屈辱と羞恥のどん底で絶望する私にはどうでもいいことだよ、そんなの。私はケイさんを押し退けて叫んだ。
「触るな変態、ケイさんなんか大嫌いです!」
「あははははは! ……およ?」
大笑いしていた理沙嬢が竿の変化に気づいた。
「引いてる引いてる! ……よし、のった、かかった!」
びくびくと震える竿が理沙嬢の肘を叩く。
「大きいよ! よし、よーし、来い! ……来た!」
海から上がってきたのは真珠色に輝くぷりぷりと肥えた白鱚だ。うじうじと拗ねる大きい人をよそに、理沙嬢と私の歓声が砂浜に響いた。




