第三十二話 別れとは、旅の出発点
そんな事件が過ぎ去って、クリスカさんとの処女旅は四日の月日が経過しようとしていました。
部屋に置き土産、とどのつまり忘れ物がないかをすべからく確かめて、私達は四日間お世話になったホテルの一室を後にします。
あの夜以来、薫さんと顔を見合わせることはなく、クリスカさんの言葉に頼りっきりになっていました。何度か様子を見に行って曰く、生きていることと作家として再出発するべく原稿と戦っているそうです。
前に進みだした彼女の健闘を祈りながら煌びやかに輝くホテルのエントランスに辿り着くと、私達を見送るホテルマンたちの花道が伸びていました。
「盛大なお見送り……ですね」
ちょっと引きました。これが現代にも蔓延る吸血鬼の影響力。それを前にして、素直に出た感想がコレです。
特別扱いというのも、なんだか心苦しいような気がしていたのかも知れません。口には出せませんが、その花道をすかさず潜ってタクシーへと乗り込みました。
「あの見送りって毎回なんですか?」
「えぇそうよ。私も出来れば避けたいんだけどね。悪目立ちするし。避けようとしても彼らの心遣いというか、直感には勝てないのよね。どんな手使ってもこっちのチェックアウトの時間読んでくるから」
避けようがないとクリスカさん。言われてみれば出る直前から視線を向けられていた感覚もありました。
贔屓というのも良い事ばかりではない。思い知らされた気分です。
雪国の只中を行きと同じように何食わぬ顔で進む地元のタクシーは、ものの三十分程度で函館市内に入り、そのまま高速フェリーが発着する七重浜の函館港へと滑り込みます。
「次の目的地は何処に?」
「北陸かしらね。また夜行列車だけれど、飽きてない?」
「愚問です! もう慣れましたから!」
「頼もしい。でも、またシャワールームで叫ばないでよ?」
「あ、あれはクリスカさんがぁ!」
情けない声が港のロータリーについた車内で響きました。
押し固められた雪の大地に再びその足がついた矢先、遠巻きに聞こえるフェリーの汽笛が私達に挨拶をしてくれています。北の雄大な大地に接岸するその船は、まるで舞踏会へ連れて行ってくれる魔法の馬車のように、燦々と金色の輝きを放っていました。
「トンネルが通っても絶えずこの船はここと本州を結び続けている。不死鳥のように」
「詩的ですね」
「風情あるでしょう?」
「えぇ。溢れるくらいに」
月下の宵。クリスカさんに手を引かれて私はタラップを伝いフェリーへと乗り込んで、北海道を脱出したのでした。
出航から数十分。陸に挟まれた津軽海峡を往くフェリーの船上。デッキから望める底なしの大海原へ、私は耽る思いを垂らすように視線を伸ばしていました。
あのレストランで言い合った一幕。あの時の薫さんが正気であったかは差し置いて、私に掛けた言葉の真意はなんだったか。ずっと考え込んでいます。
「薫とのこと?」
「ふぇっ!?」
「いや、なんか悶々と海を眺めているから、きっと言い争いのことで悩んでるのかなって」
「わかっちゃいます?」
「図星だったのね。適当、というより当てずっぽうだったんだけど」
喧嘩別れの言葉通り、言い放ったことや我を忘れて感情的に責めてしまったことを謝れてない罪悪感と遣る瀬なさ、心残りが延々と私の中で回り続けていたのです。
それを感づいて、ついに直接私へ尋ねたのでした。誤魔化しようがなく、首肯します。
「酷い事したって自覚はあるんです。乗せられたというか、感情任せに酷い事を言ってしまったことを、謝りたかった」
「後味が悪いか……若気の至りって煩わしいようで、過ぎてみると懐かしくて美化されてしまうのよね」
「クリスカさんも、こういう時期が?」
「まぁ、そうかな。昔、好きな人がいたの」
「好きな人……すすすすす、好きな人!?」




