第三十話 一条の光
始発点は家出だった。アルタリィ家は過去、吸血鬼を統べるブラッディ家の親族であり、その名残や権力はこの現代にも受け継がれている。その名こそもはや一般の眼から遠のいたのだが、影響力は計り知れず、家族にはそれを矜持とする者も少なくはなく、大衆や身内からの体面を崩さぬようにと時代錯誤な教育や慣例が根強く残っていた。
私の父もその一人だ。幼少期の口癖は「将来の我が家はお前が背負うんだ」だ。思い出すだけでも吐き気がする。
要するに私は生まれながらにして自らの肉親に糸を引かれた自由のない憐れな吸血鬼の少女だった。付き合う人間も、将来の許嫁も、嗜む娯楽も、着ていた洋服も全部全部、家族や従える使用人たちが取り繕った。
私の存在が行動で否定される。まさに薫に向けられた『マリオネット』という揶揄がちょうど良い扱い。
屈辱的で、しかし少女の私には覆す力なんてなくて、十年の月日が経ったある日。屋敷の窓から見える鳥を見つめて思った。あんな風に自由に空を飛べたなら。自らの意思で、自らの足で踏み出せるならば。
なら私を操る糸を全て断ち切って、屋敷を飛び出せば良い。そして私は羽ばたいた。拙い翼で未知な世界へ。
「連れ戻されて家出してを三回くらい繰り返して、今の私に至るのよ。どう? バカでしょう」
「けど後悔はしていないんだろ?」
「勿論よ。私は自由を得た。父との溝は抱えたままだけど、それでも思い出はあるものよ」
話したことだけを切り抜けばとんだロクでなしだ。個人の権利に煩い現代人なら、まず間違いなく拒否感や嫌悪感を抱くだろう。
それでも、愛情がなかったというのはまた違う。思い出も沢山ある。だからこそ、切ろうとも切り離せない。
お互いの誤解が解けるにはまだ時間が掛かりそうで、私が生きているうちにはきっと叶わない。
「だが、君が死ぬこととの関連がとことん見えない」
「血の盟約。吸血鬼が百の夜を超えるために交わされる儀式」
「血の盟約?」
「長く付き添い捧げられてきた眷属と血を交わすことで、吸血鬼は百の夜を超えられる。私達には本来猛毒である人間の生き血を唾液との混合で無害にして打ち込むことで太陽への耐性を獲得し、永久に近い寿命を得る」
「吸血鬼が白日の下で生きるための儀式と考えて良いのか」
「そうでもあるし、眷属を生き長らえさせる儀式でもある。唾液だけじゃ寿命への耐性は薄いから。だけど反対に吸血鬼がその盟約を交わせなければ、私は月の光に焼かれて灰に変わる」
薫の喉が唸ったが、同時に顎へ手を当てた。
「でも君達は血を飲んでいる。猛毒という意味が少し腑に落ちない」
「スズメバチの毒と同じよ。経口で摂取するなら問題はないの。その毒素は吸血鬼が持つ唾液の酵素で打ち消せる」
「傷口からも入るだろう?」
「吸血鬼の外傷はほぼ一瞬で完治する。病気や怪我に究極的な耐性を持っているからこそ、そういう強い呪縛があるの。傷のことなんて考えもしなかった」
身体の傷なんてつかないのが当たり前だったから、彼女の問い掛けに少し意外な顔をしてしまった。
吸血鬼だから不死身というわけではない。百の夜、つまりは百歳を迎える満月の夜までにその盟約を結べなければ、言った通り私は地に還る。
小説家ならこの言葉の意味を取り違えるはずがない。茫然と、まるで死期を悟った老いぼれを見るような瞳でこちらを見ていた。
「どう? 迫る死を無抵抗に待ち構える吸血鬼を、目の前にした気分は?」
尋ねると彼女は俯いて暫く沈黙してから、身震いを一つして呟いた。
「どうしてもっと早く伝えてくれなかった」
「言うにも人の眼とか、信用の問題があったからさ。光莉には聞かれたくなかったし」
「なら彼女にちゃんと説明してやれよ! 私を助けるためにクリスカを頼った彼女を!」
「本当はそうしたい。けど、きっと私の心が彼女といること、そうしようとする私自身を許さないと思う」
「死のうとした私が惨めじゃないか……私に、こんな私でも君の為に何かできることはないか?」
無気力で絶望視しかできない薫の眼には、そんな私が憐れに見えたはずだ。死を定められた吸血鬼と死を自ら選んだ人間の、なんとも不思議な会話。衝き動かす起爆剤になったのなら、私も話した甲斐があったというもの。
「自分の事を手に掛けようとしていた癖に掌を返すのが早いのね。でもどうしようもないわ。こればかりはもう避けられない。命ある者に死を拒んだり、逃れるのは不可能だから」
「そうかもしれない。だが、悲し気に笑う人を見過ごしたくない」
「けど救える手立てなんてないのよ」
「あんたは生きたいと思ってるんだろう?」
「……残念ながらね。未練は沢山あるわ。だからこの旅で全て消化してやろうと思ってる」
もはや自分の死になんて興味がないように振舞う薫。気に掛けられるほどの身分でもないだろうにと、そんな皮肉を喉元で押し殺した。
「でも貴方にしかできないことがあるとしたら」
「なんだ?」
唇を切れんばかりに噛み、自分の無力さでも呪うような険しい表情に私が漏らす。
「あの物語の続きが気になるの。凛として伊吹の最終巻、主人公が結局誰も選ばずにヒロインたちと生き別れるのはちょっと切なすぎるから、その続きが知りたいな」
「……やってみる」
「私が生きている間に書き上がるかは、わからないけど」
「書き上げて見せる。絶対に」
「絶望していたのが嘘のようね。わかった、楽しみにしておく」
虚ろだった瞳に炎が宿っていた。薫にもう死ぬ気なんてないと胸を撫で下ろす。
「だが、寿命を延ばす方法はないのか?」
「……あるとするなら」
「なんだ?」
屋敷の地下に眠る書物の中で記述があったことを思い出す。危険で命の保証は恐らくないにも等しい方法だが、呟くように私は言った。
「一条の光を灯せるのだとしたら——彼女しかいない」




