第十四話 不味くない血
私は声に出して言いました。素直な感想を、回りくどい言葉などで誤魔化さず、クリスカさんに言いました。
とても、とても痛かった。目の前で血を吐き捨てられたりもした。屋敷を去るときの軽蔑するような目にも刺された。苦しくて、悔しくて、どうしようもないと諦め続けた。家の名を傷つけて家族にも迷惑を沢山掛けてしまった。
ついには家の使用人になることを受け入れてしまった。今更、謝られたってとも思った。
込み上げてくるのはそんな痛みの数々。灰黒の流星を見た時からクリスカさんはその様に思われていたと、背負うことを決めたのだと知ります。
吸血鬼からしたら、ほんの一瞬の出来事だったはず。たった一人の、落ちぶれ廃れていくだけの使用人だった私の凄絶な痛みをこのお方は一人で引き受けようとしてくれていたのです。
凍り付いてしまいそうな肌がとても暖かく感じられました。呼吸も乱れて泣きじゃくる私を離して、目配せをします。
「辛い思いをずっとさせ続けたこと、吸血鬼の長だった者達の一員としてあなたにお詫びしたい」
「ちょっと変ですよ」
「変?」
「確かにいっぱい酷いことをされました。でもクリスカ様は、クリスカ様です。私に謝る道理なんてどこにもない」
けれど、彼女が背負う必要なんてどこにもありません。恨んでもいません。だから、私を連れ出したときの笑顔を、吸血鬼には似つかわしくない燦然と輝く笑みを濁さないでください。
懇願を言葉に出力しようと口を動かした時、声が被ります。
「クリスカ様」
「光莉」
重なった地点で押し黙ると譲り合いが始まって、結局はクリスカさんが喋ることになり、黙々と耳を傾けました。
「もし、もしさ。私の旅のお供になってほしいって頼んだら、あなたは引き受けてくれるかしら?」
言葉の真意はそのままで理解するのにそれほど時間は掛かりませんでした。けれど、私は即答できず、目線を彷徨わせます。
「こっちを向いて」
「えっと、あの、ひゃっ」
ベッドが私の身体を優しく受け止めす。
「どうなの? 私の隣に来るか、それとも、この屋敷の壁を見るだけの人生を送るか」
「考えさせ」
「ダメ。私にはあまり残ってる時間がないの。ここで決めなさい」
迫られてしまい、さらにおどおどと目まぐるしく視線が迷い、沈黙を作り出してしまいました。
何もできない私を連れて、あなたになんのメリットがあるのでしょうか。黙りこくって、私は答えを出し渋ります。
すると、私の疑念を察したクリスカさんは、不意に牙を立てて首筋に唇を差し向けます。
「吸っちゃ、ダメです!」
「抵抗しない。はい——力抜いて」
拒絶。失望されたくないと、私は身体を捩りますが、それも呆気なく吸血鬼の力の前に捻じ伏せられてしまいます。
辛うじて動く頭でクリスカさんの方へ向くと、獲物を前に涎を垂らす獣が、私の首筋に狙いを据えています。
僅か数瞬で私は首筋を奪われてしまいます。何度も差し出したこの素肌と血を、拒絶され続けた鮮血を、強引にクリスカさんは口を付けます。
脱力感にジワジワと体中へ広がる快楽。抵抗していた身体は力なくマットに落ちていつの間にか悶え始めてました。
喉を鳴らして訴えます。血を吸ってはなりませんと。矛盾するようにもっと、もっとくださいと。願っていました。
そんな願いの一つを叶えるクリスカさんの喉がペースを上げました。謙虚だった快楽の波が血液の流れ出す勢いに呼応して、波形が大きくなりました。
きっとお互い初めて味わう感覚にまだ慣れていないのです。私の身体はクリスカさんの拘束を振り切って、思い切り跳ねました。
理性が、感情が、意識が、巨大な波に攫われてしまいます。
締まることを忘れた口元。筋を引いて、だらしなくシーツに染みを付ける私の涎。
どこへ合っているかも分からない焦点が、驚き震えるクリスカさんの声色に合わさって、指が離れていきました。
「あなたの血、皆が口々に噂するほど不味くない」
その表情は少しだけ軋んでいます。
血が不味くない? いいえ、きっとそんなはずはない、と私は心の中で想います。
でも、私は瞼が完全に閉じ切る前の暇に口角を上げて微笑みました。
それが嘘だとしても、気休めや気遣いでも、否定されないことが嬉しかったのです。
この家から旅立った頃は何気なかったはずの感情に、私は流されるがまま、意識を身体と共に眠りの水底へ落としていきます。
次に裏切られるその日まで、そんな嘘でも私の心の支えになっていたと思いました。すがるような思いで、しがみつこうと暗い意識とも呼べる感覚が残らない頭の片隅で誓ったのでした。




