第九話 初任務準備
朝。
筋肉痛は少しだけマシになっていた。
……少しだけだ。
腕を回す。
まだ痛い。
足を動かす。
やっぱり痛い。
「慣れる日なんて来るのか……」
小さく呟き、部屋を出た。
◇
訓練場へ向かうと、既に兵士たちが集まっていた。
「勇者様!」
聞き慣れた声。
ダンだった。
「おはようございます!」
「おはよう」
「昨日より元気そうですね!」
「昨日よりはな」
「昨日は本当に死にそうな顔してましたもん!」
笑いながら言うな。
ロイが苦笑する。
「ダン、お前も初日は同じだったろ」
「俺はもっと元気でした!」
「いや、地面に倒れて泣いてた」
「それは秘密!」
「秘密になってないぞ」
ケインが小さく笑う。
朝から騒がしい。
だが、その空気が少し心地よかった。
その時。
「整列!」
ガルドの声が訓練場へ響く。
一瞬で空気が引き締まる。
全員が素早く整列した。
ガルドは全員を見渡し、静かに口を開く。
「先日発見された魔物の巣についてだ。」
自然と背筋が伸びる。
「討伐は一週間後。」
思っていたより時間がある。
「その間、お前達は討伐へ向けた訓練を行う。」
ガルドの視線が俺へ向く。
「勇者様も同行する。」
「やっぱりですか」
思わず苦笑する。
ガルドは頷いた。
「実戦は実戦でしか学べん。」
「一週間で剣士にはなれない。」
「だが昨日のお前より今日。」
「今日より明日。」
「その積み重ねが生死を分ける。」
短い言葉だった。
けれど妙に納得できた。
「……分かりました」
「では始める。」
◇
そこから一週間。
毎日、剣を振った。
朝から晩まで。
走る。
素振り。
足運び。
木人への打ち込み。
何度も。
何度も。
何度も。
最初は剣を握るだけで痛かった手も、少しずつ慣れていった。
「腰です。」
フィアの声。
「腕だけで振らないでください。」
言われた通り振る。
「違います。」
また言われる。
難しい。
剣一本振るだけなのに覚えることは山ほどあった。
「今度は良いです。」
その一言が少し嬉しい。
ほんの少し。
前へ進めている気がした。
◇
模擬戦も毎日続いた。
当然、相手はフィアだ。
結果は――
全敗。
一度も勝てない。
一度も当たらない。
「遅いです。」
「踏み込みが甘いです。」
「視線で分かります。」
気付けば木剣が喉元へ突き付けられている。
「参りました。」
「はい。」
フィアは木剣を下ろした。
「ですが。」
珍しく言葉を続ける。
「最初より良くなっています。」
「本当か?」
「はい。」
「以前は力任せでした。」
「今は相手を見ています。」
「少しですが。」
少し。
それでも十分だった。
「ありがとう。」
「いえ。」
フィアは相変わらず表情を変えなかった。
だが。
ほんの少しだけ声が柔らかく聞こえた。
◇
ある日。
訓練を見ていたガルドが近付いてきた。
「勇者様。」
「はい。」
「打ってきてください。」
木剣を構える。
全力で振る。
ガンッ。
いや。
違う。
流された。
もう一度。
ガンッ。
また流される。
三度目。
今度は踏み込みも意識する。
それでも。
剣は空を切った。
「……今のは?」
「受けていません。」
ガルドは静かに言う。
「力を逃がしています。」
「勇者様は力があります。」
「だからこそ正面から受ける方が危険です。」
なるほど。
だからフィアもガルドも受け止めない。
避けるか。
流すか。
「当たらなければ意味はありません。」
その一言が胸へ刺さった。
今の俺に足りないもの。
それは力じゃない。
当てる技術だった。
◇
休憩時間。
「勇者様!」
ダンが木剣を持って走ってきた。
「一回お願いします!」
「俺とか?」
「お願いします!」
ガルドを見る。
「軽くなら構わん。」
許可が出た。
俺は木剣を構える。
ダンも構える。
「いきます!」
勢いよく踏み込んでくる。
俺も剣を振った。
ブォンッ!!
風が吹き抜ける。
「うわっ!?」
ダンが慌てて飛び退く。
木剣は当たっていない。
それでも風圧だけで前髪が揺れた。
「危ねぇ!」
「今の風圧!?」
「やっぱ無理です!」
「いや避けただろ。」
「当たったら終わりじゃないですか!」
ロイが呆れたように笑う。
「だから言っただろ。」
「勇者様とは打ち合うなって。」
「剣術じゃなくて災害なんだよ。」
「酷くない!?」
周囲から笑いが起きた。
俺も思わず笑ってしまう。
こうして笑える時間も、悪くなかった。
◇
気付けば一週間はあっという間だった。
討伐前日の夜。
部屋へ戻る。
壁へ立て掛けられた一本の剣。
勇者の剣。
黄金の鞘。
黄金の鍔。
王から授かった剣。
この部屋へ来た日から、ずっとそこにあった。
けれど。
一度も抜かなかった。
何となく。
まだ自分には早い気がしていた。
本当に勇者になったわけじゃない。
まだ剣を振り始めて一週間。
そんな自分が、この剣を持っていいのか。
そう思っていた。
ゆっくり柄へ手を伸ばす。
少しだけ手が震えた。
静かに引き抜く。
シャッ――
澄んだ音が部屋へ響く。
白銀の刀身。
窓から差し込む月明かりを受け、静かに輝いていた。
思わず息を呑む。
綺麗だった。
ただ美しいだけじゃない。
人を守るための剣。
そして。
魔獣を斬るための剣。
軽く構える。
一週間握り続けた木剣とは違う。
それでも、不思議と手に馴染んだ。
初めて触れた日とは違う。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
この剣を握る資格へ近付けた気がした。
「……よろしく。」
誰へ向けるでもなく、小さく呟く。
明日。
初めての任務へ向かう。
勇者として。
この剣と共に。
◇
翌朝。
王都西門。
六台の馬車が整然と並んでいた。
荷台には食料。
飲み水。
予備の武器。
テントや毛布。
討伐に必要な物資が次々と積み込まれている。
兵士は八名。
ガルド。
ミナ。
中堅兵二名。
ダン。
ロイ。
ケイン。
そしてもう一人の新兵。
そこへ。
俺とフィアが加わる。
兵士側は全部で十名だった。
その向かいには。
二十人ほどの冒険者達が集まっている。
剣士。
槍使い。
弓使い。
斧を担いだ者。
大盾を背負った者。
皆、それぞれ武器を整えたり仲間と話したりしていた。
俺達が近付くと、自然と視線が集まる。
「おい。」
「あれ勇者様じゃねぇか。」
「本物か?」
「昨日の噂、本当だったんだな。」
「一撃で魔獣吹っ飛ばしたらしいぞ。」
「初陣でそれって化け物じゃねぇか。」
そんな声が聞こえる。
少しだけ居心地が悪い。
その一方で。
「……っていうか新兵まで来るのかよ。」
別の冒険者が眉をひそめた。
「討伐だぞ?」
「護衛じゃねぇんだ。」
「新兵のお守りまで追加か。」
「報酬そのままで仕事増えてんじゃねぇか。」
「足引っ張られたらたまったもんじゃねぇ。」
ダン達が少しだけ俯く。
ロイも苦笑いを浮かべるだけだった。
俺も何も言えない。
そう思われても仕方ない。
すると。
別の冒険者が笑う。
「まぁ今回は当たりだろ。」
「あ?」
「フィア様がいるじゃねぇか。」
「ああ。」
「あの人がいるなら生存率はかなり違う。」
「勇者様もいるしな。」
「いつもより安心できる依頼だ。」
だが。
年配の冒険者が首を横へ振る。
「逆だ。」
「フィア様が出る依頼ってことは、それだけ危険ってことだ。」
その一言で空気が少し静まった。
確かに。
強い人が来るということは、それだけ危険ということでもある。
その時だった。
「やぁやぁ。」
聞き慣れた声。
「勇者様。」
「……マーさん。」
当然のように輪へ入ってくる。
「なんでいるんですか。」
「失礼だなぁ。」
マーさんは懐から一枚の金属板を取り出した。
冒険者証だった。
「僕だって現役冒険者だからねぇ。」
「生活費くらい稼がないと。」
「そういやそうだった。」
「君、僕を何だと思ってるの?」
「暇人。」
「酷いなぁ。」
周囲の冒険者達が笑う。
「また来たのか。」
「今回はちゃんと働けよ。」
「おサボりだけは一流だからな。」
「聞こえてるよぉ。」
マーさんは肩を落とす。
「僕だってちゃんと働いてるよ。」
「嘘つけ。」
また笑いが起きた。
どうやら冒険者達とも顔見知りらしい。
その笑い声の中。
一人だけ静かに武器を整えている男がいた。
肩へ片手斧を担いだ青年。
レオだった。
向こうも俺へ気付く。
「よう。」
「ああ。」
短い挨拶。
それだけだった。
レオの隣には二人。
長弓を背負った女性。
「エマです。」
軽く頭を下げる。
その横には。
大盾を背負った大柄な男。
「バルドだ。」
どちらも落ち着いた雰囲気だった。
「同じ隊になる。」
レオが短く言う。
「よろしく。」
「こちらこそ。」
握手はない。
それだけで十分だった。
その時。
「整列。」
ガルドの低い声が響く。
兵士も。
冒険者も。
一斉に動く。
先程までの雑談が嘘のようだった。
ガルドは全員を見渡す。
「今回の討伐隊は兵士八名。」
「勇者様、フィア様を加え十名。」
「冒険者二十名。」
「総勢三十名で討伐を行う。」
全員が真剣な表情になる。
「本来、新兵を討伐へ参加させることはない。」
ダン達の表情も引き締まった。
「だが今回はゴブリンの巣だ。」
「実戦経験を積むには適している。」
「もちろん危険と判断した場合は即座に下がらせる。」
そこで一度言葉を切る。
「ただし。」
空気が変わる。
「巣では亜種の目撃報告がある。」
誰も口を開かない。
「気を抜けば死ぬ。」
その一言だけで十分だった。
ガルドはゆっくり頷く。
「本日の目的地は野営地だ。」
「馬車で移動し、日没前に到着する。」
「明朝より徒歩で森へ入り、巣を攻略する。」
全員が返事をする。
「出発。」
御者達が手綱を握る。
馬がゆっくり歩き始めた。
王都の城門を抜ける。
石畳の音が少しずつ土の道へ変わっていく。
俺は馬車へ乗り込む。
同じ馬車には。
ガルド。
フィア。
マーさん。
そして御者席にはダン。
「任せてください!」
「ちゃんと前見ろよ。」
「もちろんです!」
元気だけは一人前だった。
馬車がゆっくり揺れ始める。
窓の外を見る。
王都レグルス。
この世界へ来てから過ごした街が、少しずつ遠ざかっていく。
俺は静かに勇者の剣へ手を添えた。
初めての任務。
その始まりを告げるように、朝の風が馬車の窓から吹き込んできた。




