0-3 少年が住む街
穏やかな今に、少しだけツヅルとユウゴの過去を。
城塞都市ウェスタリア。
王国西部防衛の要である王国第七騎士団の本拠地となっている王直轄領の都市であり、王の代行としてクランツ・ケンティウス公爵が都市の運営を任されている。
都市の中央広場には巨大な結界石が設置され、都市全域を魔物から守る為の結界が張られていることにより、住民や旅人達の安全な生活が保障されていた。
都市自体は大まかに区画わけされており、商業区画、居住区画、食糧生産区画、工業区画、貴族区画、騎士・兵士区画、行政区画、避難区画と、籠城戦となったとしても戦い続けられるように考慮された設計がされている。
騎士達がいる区画から商業区画は歩いて三十分ほどの場所にあり、騎士達は休みの日にちょっとした散歩がてら出かけることもある。騎士や兵士たちは任務以外での武器の携行を許されておらず、城塞都市とはいえ、都市内に物々しい空気は無く、穏やかな空気に包まれていた。
「大丈夫か?」
自分の少し前を歩くツヅルに対して声を掛けるユウゴ。ツヅルは少し楽しそうに弾む様な歩き方で商業区画への通りを歩いている。
「大丈夫だよユウゴお兄ちゃん。昨日ぐっすり寝れたから、なんか体も軽いし」
小さなその体をくるりと回してユウゴに笑みを向け、そしてまた前を向いて歩き出す。
「……ったく、疲れたら言え。その時はおんぶしてやる」
「ありがとう」
鼻歌混じりに言われる礼にユウゴは少し頬を緩ませる。そして短く刈り上げられた黒髪をぼりぼりと無骨な手でかくと、目の前ではしゃいでいる少年に追いつくように少し歩く速度を早めていく。
昔は、出会ってしばらくはこんなに笑える少年だということを知らなかった。
初めて出会ったとき、ツヅルはずっと泣いているか、不安げな表情しか見せてくれなかった。
騎士団に配属されて初めての任務は村の防衛だった。しかし、騎士団が到着した時はすでに、先に応援に駆け付けた領兵達もすでに息絶え、村では魔物達が魔力を失い朽ちた結界石を取り囲むように宴を開き、そのメインディッシュとして村人や兵士の死体を喰っていた。
村の魔物の掃討はすぐに一日を通して行われ、希望が無い中生存者の確認にも時間を割いた。
ユウゴが集中して探索を行っているときに瓦礫に埋もれた建造物の片隅で子どもの泣き声が聞こえた。建物から崩れ落ちていく石片が地面や障害物にぶつかる音で掻き消されてしまいそうなほど、弱々しく、脆い声で泣いていた。
あれだけ激しい戦闘があったくらいだ、生存者はいないだろう。
騎士団の先輩騎士達がそう信じ切っていた場所であったにも関わらず、明らかに人の声の鳴き声が聞こえたのだ。声がする方にユウゴは必死になって走り出す。
同じ任務に就いていた騎士達の制止を振り切り、倒壊している建物が立ち並ぶ区画へ一人で入っていくと、倒れた看板で死角になっていた地下倉庫へと続く階段の下で一人の少年を発見した。
ボロボロになった衣服を身に纏い、露わになった肌は煤け細かい傷が付き、見るからに痛々しかった。
「大丈夫だ。……助けに来たぞ」
ユウゴは安心させる為に優しい言葉を選んだが、不器用な性格なのか、端的に、短い言葉だけしか紡げず、悩んだ末に少年を抱きしめて、背中を優しくさすった。
胸に抱え込むようにしている小さな体は震え、ユウゴの服が涙で濡らされていく。
昔は自分もこうだったと、自分が育った孤児院の大人から教えてもらったことがある。
そのとき大人達は、ただ自分が泣き止むのを待つかのように、抱きしめていたらしい。
ユウゴはそのことを思い出しながら、ただ静かに、少年の体を抱きしめ続けたのだった。
「……怖かったな……苦しかったな……辛かっただろ……?……大丈夫だ。……オレが来たから、オレが守ってやるから、な?」
不器用なりに、ユウゴは泣く子に対して安心させたい一心で、諭すように言い聞かせた。
「オレはユウゴ。ユウゴ・レーヴェって言うんだ。お前の名前は?」
「…………ツヅル……ヴァーゴ…………」
「そうか、ツヅルっていうのか。じゃあ、オレがお前の兄ちゃんになってやるから、兄ちゃんが守ってやるから。だから、大丈夫だ」
その時の記憶の少年と今のツヅルが少しだけ重なる。
背丈は少しだけ伸びたけれど、初めて会ったときからあまり変わらない幼さがそこにはあった。
それでも気持ちは少し強くなれたようで、ツヅルが泣くことが減った。笑顔が増えた。みんなと話せるようになった。
それだけで少し嬉しくなる気持ちに、しかし表情は変わることなく少年の背中を追いかける。
日陰になりやすい路地を抜けると光射す大通りに出て、賑わう人達が行き交っていた。一般市民から商人、旅人、傭兵、巡回任務の兵士、貴族。様々な人々が様々な表情で街を彩る。
「お兄ちゃん、こっち!」
笑顔で振り返って手を差し出してくるツヅルの手をそっと握って、ユウゴは人混みに彼が流されないように自分の方へと少しだけ引き寄せる。
過保護と言われればそうかもしれない。実際第四小隊の騎士達からは過保護だのブラコンだのとからかわれることだってある。それでも、今のユウゴにとってツヅルは守るべき対象で、弟で、大事な部下なのだ。彼から自分のことを必要ないと言われる日までは、少なくとも自分は彼を守り続けるのだと。傍に居続けるのだと。それがあの日約束した『兄ちゃんになってやる』ということだから。
小さな手が強く大きな体を引っ張っていこうとする。
行く先が楽しいところだと信じているから。大好きな兄と一緒に行けるのだから楽しいんだと体全体でそれを教えようとしている。
「急がなくても店は逃げないぞ。転ばないようにしろ」
任務のときとはまるで違うツヅルの様子に無自覚に笑いながら、ツヅルが体勢を崩さないように気に掛けながら歩き続ける。
しばらく歩くと、少し狭い通りに面したテラス席がある菓子店にたどり着いた。ツヅルが道をしっかり覚えているかどうかも心配だったことから、ユウゴも宿舎を発つ前にミアに店の場所を確認しておいた。
その教えられた場所と外観と合っていることに一安心し、手を放して店の中へと駆け込んでいくツヅルの背中を見送る。自分一人だと絶対に来ないような店では自分が浮いているのではないかと、少しだけ気恥しい気持ちを持ってしまう。綺麗に軒下を彩る花壇に、赤レンガの壁と綺麗に磨かれたガラス越しに見える香ばしそうな色をしている焼き菓子たち。きっとツヅルが入った店内には食欲をそそる香りが充満しているのだろうと思いながらテラスの椅子に腰を掛ける。
路地を吹き抜ける風は涼しく、散歩したときにかいた汗を乾かしていく。窓越しにツヅルが楽しそうに菓子を選んでいる。ユウゴに気付いた店員が注文を取ろうとするが、軽く首を振って店内の少年を指さす。それを見た店員はにこやかに頷いて、テラス席の方に一礼をして下がっていく。
いくつかの包みを買い物用の布の手提げ袋に入れて満足した表情で店から出てくる少年を確認すると、ユウゴは席から立ち上がりツヅルの横に並ぶ。
曇りの無いイタズラな笑顔と戦利品の袋の中を見せびらかすように見せつける。
その表情や袋の中を覗くように視線を落とし、ツヅルの頭を彼とは対照的にゴツゴツとした手でぐしゃぐしゃと撫で回す。
いつまでも子どもで、いつまでも小さくて、いつまでも純粋で純真で。
「よかったな。……喜んでもらえるといいな、ツヅル」
「うん!」
ツヅルの手提げ袋をそっと自然に受け取り、空いている片方の手でツヅルの小さな手を握る。
あれから八年。
あの時の冷たく震えていた手は、今はこんなにも温かくしっかりとしている。
それが嬉しくもあり、少しだけ見せた成長が寂しくもある。
それでも二人は兄弟のように手をつなぎながら騎士団が待つ宿舎へと帰っていく。