3-6 一歩を踏み出す小さな体
「先ほど定期時連絡が来たが、次の定期便が三日後に到着する予定とのことだ。とりあえず復路では三人を乗せてもらえるように伝えてある」
「すまない、クレア」
「いや、気にしないでくれ」
「それもだが、ツヅルのこともだ」
「…………君は本当に、彼のことが大切なのだな」
クレアは少し口元を緩める同僚につられるように、自身も軽く笑った。
「本当に変わったな、ユウゴは」
「そうか?」
予定も決まり、三人はしばらく観測所に留まることになった。
そして―――。
「出発まで時間もある。ツヅル君の気分転換にちょうどいい話があるのだが、どうだい?」
ユウゴがクレアに提案されて案内されたのは、観測所の裏山にある自然の露天風呂だった。
歴代の観測所勤務の騎士達が道を整備し、露天風呂がある場所には簡易的ではあるが木造の脱衣所まで建てられている。
露天風呂の場所からはスプリア渓谷の緑豊かな絶景が望め、それでいて、そもそも人が立ち入らない場所であるから、観測所の人間が来ない限り貸し切りの状態で露天風呂を満喫できる。
瘴気の定点でもある渓谷にありながら、観測所の裏山は魔物も出ない安全な場所でもあるらしく、今まで危険な目に遭ったこともないとのことだった。
観測所から一時間ほど山道を進み、ツヅルとユウゴ、エイダンの三人は、目の前に広がる新緑の渓谷と立ち上る湯気、そして、簡素ではあるが整備された岩風呂に小さく声を上げた。
「今日は俺達の貸し切りでいいらしい。他に人も来ないから好きにしていいって言っていた」
ユウゴはそう言いながら荷物を下ろし、その場で服を脱ぎ始める。
それに合わせるようにエイダンも自分の荷物を下ろして服を脱ぎ始め、ツヅルだけが二人の行動に戸惑いながら動けずにいた。
「どうした?ツヅル」
「……脱衣所……」
ユウゴの問いに少し恥ずかしそうに答えるが、次の瞬間エイダンは豪快に笑い飛ばしながら言った。
「どうせ儂らしかいねぇんだ。恥ずかしがってねぇでさっさと脱げ、ツヅル」
少し躊躇った後、ツヅルは服の裾をたくし上げて持ち上げるように脱ぎ始める。
陽が差して暖かいとはいえ、春の風はどこか冷たく、ツヅルの素肌のぬくもりを拭い取るように撫でていく。
パンツまで脱ぎ終わって裸になる頃には、先に服を脱ぎ終わって鍛えられた逞しい肉体を晒しているユウゴとエイダンはすでに温泉に浸かっており、エイダンが笑いながら手招きをしてツヅルを誘い入れる。
爪先に感じる熱さに身を震わせて、足がその熱に馴染んでからゆっくりと全身を湯に浸す。
体が湯に溶けるような感覚に溺れそうになりながら、ツヅルはエイダンのところまで湯をかき分けて歩き、その横に座ろうとする。
しかし、子どもにとってこの風呂は深く、座ってしまうと頭まで浸かって潜ってしまうことになる。危うく溺れそうになるツヅルの体を軽く持ち上げ、自分の胡坐の上に座らせたエイダンは、自分の首に当たるツヅルの頭をワシワシと撫で、そして軽く向きを変えて、眼前に広がるスプリア渓谷の景色を見えるようにする。
「いい眺めじゃねぇか。ツヅル、これが昨日、お前やユウゴが守った景色だ。どうだ?」
「うん。…………すごくきれい…………」
見入るように渓谷の景色を眺め、小さく、それでも確かな声で気持ちを素直に口にする。
硬くも弾力のある筋肉の鎧のような胸板に頭を預けながら、目に映る緑と蒼を美しいものだと思いながら、自分が守ったという言葉を噛みしめる。
守ったわけじゃない。
でも、瘴気が濃く溜まると、生き物は命をつなげることができなくなるから、浄化できたということは守れたことなのだろうと、ぼんやりする頭でなんとなく理解していく。
「頑張ったな、ツヅル」
「…………お兄ちゃんが、がんばってくれたから…………」
ユウゴの労いに、ツヅルも少しだけ照れながら相手を労う。
「パパも、あのときずっと支えてくれて、ありがとう」
意識して頭を後ろに倒し、少しでもエイダンの顔を見て言おうとする。そして、そんなツヅルの顔を見ようと視線を下に向ける。
上目遣いで見てくるツヅルの瞳は湯気の所為か潤んでいるようにも見え、頬も風呂の熱で赤く見えた。
「気にするな。息子を支えるのは父親の役目だ。いつでも頼ってくれていいんだぞ?」
「うん。ありがとう、ぱぱ…………」
沈むように体重を全てエイダンに預けるツヅルの、子ども特有のモチモチと柔らかい肌が、対照的に硬く鍛えられた肌に密着する。
「…………ユウゴ…………」
「なんだ?父さん」
「………………ツヅルが無防備に可愛すぎるんだが」
「父さん。……………………慣れろ」
自分の頭上で小声で繰り広げられたやり取りは気にせず、ツヅルは絶景と温泉を堪能する。
その中で、クレアに言われた言葉を思い出す。
『理解できないから、分かり合えないからこそ、理解しようと、分かり合おうと努力できる』
たしかに、最初から理解できたりわかってしまえば、それ以上何もしようとはしないだろう。
いや、理解『したつもり』や、わかった『つもり』であれば。
心の声や相手の思いが聴こえたからといって、それが本当に理解したことになるとは限らない。
そして、最初から対話を、分かり合うことを望まないモノだってある。
『二人の気持ちを、君はまず理解してあげることから始めようか』
言われてみれば、今一番身近にいる二人のことを、自分はどれだけ知って、どれだけわかっているのだろうか。
ツヅルはふとそんなことを考えてしまう。
お兄ちゃんはユウゴ・レーヴェ。アステイス王国騎士団に所属している騎士で、ボクを助けてくれた恩人で、ボクのお兄ちゃんになってくれた人。
口数は少ないけど優しくて、おっきくて力持ちで強くて、まじめで、筋肉がすごくて、カッコいい大人なお兄ちゃんだ。あと、エイダン様……というか、パパのことを認めていて、好きそう。
パパはエイダン・エクレウス。傭兵組合の組合長で、ボクと同じ、神様の武器を持っている人。強くて豪快で、大きくて、王国で一番強くて、筋肉がすごくて、お酒が大好きで、でも優しくて、ボクとお兄ちゃんのことを大切にしてくれるすごい人。ずっと一緒に修行していたお兄ちゃんが心を許しているくらいだから、多分絶対いい人。
自分がわかっていることはこれくらいだ。
逆に言うと、それくらいしかわかっていない。
お兄ちゃんやパパが何を好きで、何が嫌いか。そんな単純なことすらわかっていない。
ツヅルはそこまで考えて、エイダンの足の上から立ち上がる。
「お兄ちゃん、パパ。…………ぼく、もっと二人のこと知りたい」
二人の目の前に立って、絞り出すように声を出す。
「だから、この旅で、二人のこと知りたい。…………わかりたい…………」
せめて、一番身近な二人のことは、誰よりも理解していたい。
自分が生まれたときにはもう、いろいろな体験や経験をしてきている二人のことを全て知ることは難しいだろう。
どんな思いで、どんな気持ちでそのときを生きてきたなんてことは、当事者にしか理解できない。それでも。
「何も知らないままなのは、イヤだから」
「ツヅル。俺も父さんも、ツヅルのことをもっと知りたいと思ってる。お互い様だな」
ユウゴは口元を緩めるだけの不器用な笑顔で伝え、目線を合わせるようにしてツヅルを見る。
「ツヅルは何でも弱気に遠慮する癖がある。家族になった儂らには遠慮なんてしなくていいんだぞ。…………ほら、離れたところで立ってないで、こっちに来い」
「うんっ」
並んで座るユウゴとエイダンの間に向かって湯の中を歩き、そして、二人の間に座ろうとする。
が、最初に沈みそうになったことを忘れていたことで再び沈みそうになり、その体をユウゴが慌てて抱きかかえて自分の胡坐の上に座らせる。
真正面から抱き合うような形で助けられたことにツヅルは少しだけ恥ずかしくなるが、出会った日からずっと自分を守ってくれているユウゴのことが好きで、甘えるように体を密着させ、しがみついて離れようとしない。
「もう少し用心しろ、ツヅル。さっきも父さんに助けてもらっただろ?」
「…………うん」
二人の体に触れ、自分の体の小ささを改めて実感する。
自分はこの二人みたいに大きく強くなれないかもしれない。
力を手に入れた代償とはいえ、兄と並ぶ立派な騎士になりたいと願ったツヅルにとって悲しい現実でもある。
「お兄ちゃんのからだ、やっぱりボクより大きい……」
「父さんの体もな。…………でもな、体は小さくても、ツヅルには俺達にはできない力があって、それはお前だけに許された力だ。俺と父さんには無い力だ」
「そうだぞ。儂とユウゴは、単純に戦うことしかできねぇが、お前は違うだろ?」
ユウゴとエイダンの言葉に背中を押され、ツヅルは少しだけ気が楽になるのを感じた。
「ねぇ、お兄ちゃん、パパ…………」
『なんだ?』
二人の男の声が重なり、少年の耳に届く。
「ぼく、がんばる。……だから、お兄ちゃんとパパも…………」
少しだけ黙って、そして、息を吸いなおして言葉を紡ぐ。
「これからも、よろしくお願いします」
両手で掴まっていたユウゴの体から左手だけを離し、その手でエイダンの体を掴み、二人に掴まって抱き寄せようと、二人には適わない弱さで力を込める。
その意図に気付いた二人は自分達から体を寄せ、ツヅルの小さな腕で抱きしめられるように、頬を寄せ合い、照れくさそうに笑い合った。
その日の夜、前日の沈んだ夜が嘘のように、三人は川の字になって眠った。
エイダンとユウゴの腕を枕にして、ツヅルは緩んだ表情で穏やかな寝息をたてて、静かに夢を見続ける。
二人の大人はただ静かに、少年が深い眠りにつくのを見守り、自分達も心地よいぬくもりと微睡みに沈んでいく。
エイダンはうっすらと気付いていた。
確かに肉体的な成長はしていない。
精神も見た目通りの幼いままだ。
しかし、ツヅルの心は確実に成長していることに―――。
それだけは今、風と希望の神、光と調和の神に感謝してもいいと思った。
むしろ、それがツヅルにとっての希望なのだろうかと感じるくらいには。
「…………儂は、ツヅルを守り、ツヅルの心と力を育てよう…………。それがお前らの望みなんだろ?ゼフロス、アルリヒト。…………お前も同じか?ルクア―ス…………」
同じ部屋の息子二人を起こさないほど、夜の闇に溶かすように小さな声でエイダンは呟き、そして、心に誓う。
自分達の気まぐれで動き、気まぐれで武器を与えるような神なんて碌なもんじゃない。
しかし、自分達に何か成すべき役割があって、そのために神が動いたというのなら、その役割くらい果たしてやろうと。




