1-7 少年と神々が与えたチカラ
魔物の気配はない。―――はずだった。
騎士達が野営をしているのは街道沿いの小川が流れる草原で、街道を挟んで半刻歩けば辿り着けるだろうと思われる森もある。比較的安全な街道沿いにあっても、魔物が潜みやすい森には領兵や傭兵が派遣されて魔物の生息確認や討伐が定期的に行われている。
慢心していたわけでもないし、用心していなかったわけでもない。
だが、森から見張りの騎士が視線を外した瞬間、木々が揺れて葉が擦れ合う音と共に大地を強く蹴り飛ばす音が辺りに響いた。
その音に咄嗟に反応した見張りの騎士は森の方へと振り返り、音の出所を確認するが何も見えない。
否、視界の外にいる存在に気付けずにいた。
「上だ!!」
アラムの叫びが野営地に響き、反応した騎士はその声に従うように空を見上げる。
夜空に浮かぶ月を額縁に、そこから拡大されていく黒はその額縁を塗り潰し、縁を無視して広がり、見張りの騎士へと襲い掛かった。
緊急事態だ。想定外だ。このレベルの魔物がまさか街道近くに潜んでいたとは。
言い訳の言葉が騎士の頭にいくつも浮かぶが、迫りくる爪は的確に騎士の体を狙い、大地に埋め込むように踏みつける。
瞬間的に盾でガードしたが、質量が違い過ぎて防御にもならない。幸運だったことは、魔物の爪が盾に食い止められて体まで到達しなかったこと。
それでも強く押し潰されたことで騎士の骨や内臓は潰れ、意識を失う。
「魔狼ブラッドルプスか。―――こんなところでお目に掛かとは、可笑し過ぎるだろ」
通常の狼の何倍もの大きさの肉体を持ち、強靭な脚力と鋼鉄のような硬さの皮膚、ただの鉄なら簡単に斬り裂くことができる爪で攻守ともに優れた魔物で、その全身は朱殷の毛皮によって覆われいる。
本来ならこんな街道沿いに出てくるような魔物ではなく、魔の属領や瘴気濃度が濃い場所を主な生息地としていた。
魔狼は踏みつけた騎士を餌と判断し、その足を退かすことなく武装した騎士達と対峙する。
今いる騎士の力を合わせれば決して勝てない相手と言うほどではないが、状況が悪い。
魔物は夜に活性化し、日中よりも基本的な能力が上昇する。
そして、人間は夜間の暗闇での視界に制限が掛かり日中のような動きができなくなりやすいが、魔狼は夜でも暗闇でも目が見え、更に発達した嗅覚で相手をしっかりと把握している。
つまりは、夜に対峙するには相性が悪すぎるということだ。
最悪、ユウゴとクリスティナ、リズの三人にツヅルを任せて、俺とあと二人でコイツを抑えきるか?
いや、無理だ。先にやられたアイツを治せる回復術師がクリスティナしかいない。このまま行かせればアイツは確実に死ぬ。
今ここでの優先はツヅルだ。あの力を知った以上、俺も含めた騎士七人の命より重い。
ツヅルだけで逃がせるか?―――いや、無理だ。
ユウゴと二人なら逃げ切れるか?―――まだマシだが、確実ではない。
リズは冷静だ。実力も、サポート向きだがユウゴを攻撃の軸にすればそこらの魔物なら簡単に討伐できる。
一瞬で状況を整理し、判断し、決断をしようとする。
「グヲォォォォォォオオオォォオン!!!」
しかし、大気を揺るがすような咆哮が頭の中に浮かんだ言葉を掻き消し、アラムに思考を確定する暇も与えようとはしない。
「ユウゴとリズはツヅルをなんとしても守れ!ここからアイツを引き離す!クリスティナは隙を見てフィリップの回復を。カイン、グレッグは俺に続け!」
最優先だけを決めて剣を抜き放ち、全身に火の魔力を行き渡らせて身体能力を強化すると、一気にブラッドルプスとの間合いを詰める。
「援護します!」
グレッグが叫び、戦闘領域の空に強い光を放つ光球をいくつも浮かばせる。
真昼のように照らされた大地に伸びる黒い影が倒れている騎士に掛かるが、その影は一瞬にして違う場所へと移る。
本能でアラムの攻撃の危険性を感じ取った魔狼は餌を一時的に諦めて回避に専念する。
「ここら一帯にもっと光をばら撒け!戦闘可能領域を広げろ!」
素早い動きとその移動距離を見て更に指示を叫ぶ。
逃げられても厄介だ。近くに村落や街は無いにしろ、ここで倒さなければ、いつか人間に被害が出てしまう。
「カイン、挟撃する。グレッグは援護。ここで倒すぞ」
アラムとカインは剣を構え、グレッグは再び魔力を練り始める。
カインが接近して振った剣を魔狼は右の前脚の爪で弾き返すが、そのタイミングを狙ったアラムが左から斬りかかる。しかし、皮膚に刃が当たる瞬間に、その感触で反応して身を捩って逃れようとする魔狼に致命傷を与えることはできなかった。
体勢を崩したカインを追撃しようとする魔狼を牽制するようにグレッグが無数の攻撃性を持った光弾を放ち、魔狼はそれを避けるように大地を蹴り飛ばして宙を舞う。
意図して森の方へと押しやろうと立ち回り、攻撃の応酬が続いていく。
「…………おにいちゃん…………」
戦闘音に目を覚ましてテントの外へ出たツヅルが、戦闘領域の騎士達を見守るユウゴの騎士団服の裾を引っ張り、不安げにその名前を呼ぶ。
三人の騎士の動きは無駄が無く、互いが互いを守り合いながら魔狼を追いつめているようにも見えた。
たき火のすぐ近くでは怪我を負って意識を失っている騎士がクリスティナの回復魔法を受け、治療されている。
そして、ユウゴとクリスティナを守る様にリゼは弓を構えながら、探知魔法を使って周囲を警戒していた。
「心配するな。隊長達は強い」
そう言いながらもユウゴの声には若干の不安が入り混じり、ハルバードを握る手には必要以上の力が籠って震えていた。一見すれば優勢のように思える攻防は、しかし決め手に欠けて持久戦になりつつある。
「……ボクも……何かできれば…………」
少しでもユウゴの不安を払拭できればと思いながら、神々の言葉を思い出す。
神々から与えられたのは『対話』『癒し』『暴風』の三つの力を持つ聖樹の槍。
それらの力を、兄や、自分を守ってくれている人達に使いたい。
ツヅルはユウゴから手を放し、テントの中から聖樹の槍を持ち出す。
「ボクに……できること…………」
「ツヅル?」
何かに突き動かされたかのように、ツヅルは柄を握り締めて槍を構える。ユウゴはその姿を見て止めようとするが、ツヅルを包む風が障壁のようにその声を遮り、伸ばした手を弾く。
『よくもフィリップをっ!くそっクソックソッッ!!』
『ここで倒さないと、村や町に被害が出てしまう前に……!』
『なんでまだ目を開けないの?治って、治ってよ!』
『隊長……、負けないで下さい!……ツヅル君!?待って、そっちは……!』
『クソッ、もっと、もっと速く動け!部下達を、俺はアイツらを守らねぇといけねぇんだよ!』
『ツヅル……行くなっ!クソッ、聞こえてないのか!?』
この場にいる騎士達の声が、距離や雑音を通り越してツヅルの耳に響く。祈りにも悲鳴にも叫びにも似た声が。
その中でも異質で、人間が話す言葉ではない声が一際大きく聞こえる。
その声の主と話すように自分の意識を集中させ、何故戦い、何故傷つけるかを問う。
生きる為。
腹を満たす為。
こちらが敵ではないということを伝えても、人間が敵ではないということを伝えても、原初的な欲求を満たす為であり、生物として当たり前の理由を言われ、ツヅルは少し悲しそうな顔をして、少しずつ三人と一匹が戦う場所へと歩みを進める。
『それだと、戦うしかなくなっちゃうよ……』
『当然だ。小僧といえど、自然の摂理には逆らえまい。この人間達も同じだ。死して喰われるか、俺を殺すか―――』
『…………ボクは、何もしないで食べられたくないよ。お兄ちゃんたちも食べてほしくない……。……だから、怖いけど…………戦うよ……ボクも』
『ならば、小僧もこの爪で斬り裂いて喰ってやろう。子どもの肉は柔らかくてデザートには十分だ』
「―――ボクに力を―――」
少年は願いを槍に込めて構える。
魔物との戦闘経験など勿論持ち合わせていない。戦いの経験といえば、村で友人たちと一緒にやった騎士ごっこの中だけだ。
自分の力だけでは勝てないことを知っている。単純な力だけなら確実に、この場の中で一番弱い。
だからこそ、ツヅルは頼った。
―――神々が与えた物に―――。
風を纏った小さな体が空高く舞い、槍を振り下ろすように魔狼に斬りかかる。その直撃を避けるように魔狼は後方に跳ぶが、接地と同時に刃の軌跡をなぞる様に放たれた風の刃が朱殷の毛を刈り取り、皮膚に浅くは無い傷を作り出す。
そのまま流れるように斬りかかり、薙ぎ払い、振り下ろし、避けた刃から放たれる不可視の風の刃が魔狼の体を傷つけていく。
防戦を強いられる魔狼は森への退却を考えるが、考えた瞬間にツヅルが退路を塞ぎ、更なる攻撃を加えてくる。
繰り出される風は敵を刻み、大地を抉り、大気を揺らし、全てを吹き飛ばそうとする暴風そのものだった。突然の乱入者に虚を突かれた騎士達はその姿を見守り、自分達が遭遇している現象を現実のものだと認識する為に脳を動かす。
隊長クラスを含める騎士三人がかりで対応してなんとか優勢を保ちながら戦えていた魔物が、たった一人の子どもによって圧倒されているのだ。
これも神々が与えた力の影響だということは想像できる。それでも、戦闘経験が無い子どもが出す結果では無い。
『俺は負けるのか……?』
魔狼は意識の中でツヅルに問いかける。
『…………』
ツヅルは心の中で首を横に振り、言葉を返さない。
槍が魔狼を傷つける度に、攻撃を交わす度に互いの心が繋がっていく。そして、聖樹の槍の力を理解したツヅルの気持ちが槍を通して伝わる。
『おもしろい。…………ならば、小僧の思うようにするがいい。俺の力を小僧に譲ってやろう……』
絶対に敵わない者と対峙して達観した魔狼はその身を捧げるように動きを止め、それに合わせて聖樹の槍が魔狼の肉体深くに突き刺さる。
魔狼の朱殷の体が光を放つ白に染まって光の塊へと変化していく。そして、一際強い光を放つと砕け散り、粒子となって聖樹の槍へと吸収されていった。
『対話』と『癒し』と『暴風』。
それが神々が与えた聖樹の槍の力だとしても、それを与えた神々の本質は『調和と光』『希望と風』である。
調和の為の対話と癒し。希望は未来であり、望み。
殺したくないという望みが希望となり、その為に戦いという対話をし、そして、一つになるという調和を成す。ツヅルの気持ちと矛盾しないように。
結果、魔狼ブラッドルプスは『殺される』ことはなく、ツヅルの力となることを選び、聖樹の槍にその身を捧げた。
「ありがとう……、ごめんなさい……」
魔狼の脈動を聖樹の槍に感じながら、ツヅルはつぶやき、そっと目を閉じた。
槍に息衝く敵だった者に懺悔をするかのように。
そして、酷く慌てた様子で駆け寄ってきて太く逞しい腕で抱きしめながら叫ぶ兄の声を聴き、その場に崩れ落ちるように眠りについた―――。
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