ただいまと、おかえり
十一月の朝、駅前に着くと蒼が立っていた。片手で腕時計を確認しながら、もう片方の手でスマホの画面をスクロールしている。
「誕生日おめでとう」
言うと、蒼が顔を上げた。
「ありがとうございます。今日、行きたいところがあるんです」
「誕生日なんだから、蒼の行きたいところに行こう」
「はい。なつきさんと行きたいところを選んできました」
蒼が差し出した手を取ると、十一月の風で冷えていた。
「冷たい」
両手で包むと、蒼が笑った。握り直すと、指がぎゅっと返ってきた。
電車に乗って並んで座ると、蒼の肩が触れた。走り出してしばらくすると、朝からずっとメモを見ていた蒼の頭がゆっくり傾いてきて、そのまま私の肩にもたれて寝てしまった。
蒼のスマホの画面がまだ点いていた。メモアプリに、カフェの名前、川沿いの小さな公園、帰りの電車の時間まで几帳面に並んでいる。
画面を伏せて、蒼の頭が揺れないように肩を寄せた。
降りる駅に着いてから、肩を軽く叩いた。
「すみません、寝てました」
蒼が顔を上げて、慌ててスマホをしまった。
「いいよ。着いたよ」
カフェに入ると、奥に二人掛けの小さなソファ席があった。並んで座ると肩が自然に触れて、「近いね」と言ったら、蒼が「嫌ですか」と聞いた。「もっと近くてもいいよ」と返すと、蒼は体を寄せた。私はそのままメニューを覗き込んで、先にケーキを選んだ。
ケーキを食べている途中で、蒼が私の顔を見て笑った。
「何?」
蒼は自分の右頬を指さした。私の頬にクリームがついているらしい。
「取ってくれてもよかったのに」
そう言うと、蒼は紙ナプキンを取って、私の頬を拭った。
プリンを追加で頼むと、蒼がスプーンを二つ取った。誕生日の人が多めに食べていいよ、と言ったら、蒼は「半分でいいです」と言った。「遠慮?」と聞くと、「半分ずつがいいです」と返ってきて、もう何も言えなかった。
次は、川沿いにある小さな公園へ行く予定だった。並木道を腕を組んで歩く。蒼のコートはまだ布地が硬くて、腕を組むたびに袖がこすれた。「今日のために買った?」と聞くと、蒼は地図を見たまま「変ですか」と答えた。「似合ってる」と言ったら、蒼は「なつきさんも」と言った。
地図を見ながら歩いていた蒼が、少し先の入口を指した。
「あそこです」
川沿いの小さな公園だった。銀杏の木のそばにあるベンチが空いていた。
ベンチに座って、蒼のコートのポケットに手を入れた。中で蒼の手に触れると、自然に指が絡んだ。
今日、蒼の誕生日なのに、選ばれている場所は私が好きそうなところばかりだった。そう言うと、蒼は「なつきさんと一緒に行きたかったところです」と答えた。
あまりにもまっすぐ言うから、返事に困った。甘やかされている気がすると言うと、蒼は「僕がしたいことなので」とだけ返して、ポケットの中で私の手を握り直した。
夕方になって、駅に向かって歩いた。人通りが少ない道で、蒼がつないだ手を少し引いた。振り向くと、蒼が私の顔を見ていた。
「楽しかったですか」と聞かれて、「楽しかったよ」と答えた。蒼がまだ何か言いたそうにしているから、もう一度「本当に」と続けた。
蒼の前に回って、コートの襟元を両手で掴んで引き寄せた。唇が触れる。短く離れると、蒼が小さく息を吐いた。
「誕生日おめでとう」
もう一度言った。朝にも言ったけれど、キスのあとに言うのは初めてだった。
蒼が今度は自分からキスをした。さっきより長く、離れたあとも手はつながったままだった。
帰り道はあっという間だった。蒼の部屋のドアを開けて、靴を脱いで上がった。
「ただいま」
蒼の部屋なのに、考えるより先に口から出ていた。蒼が後ろで笑った。
「おかえりなさい」
蒼がそう言って、玄関先で軽くキスをした。
コートを脱いでソファに並んで座ると、蒼がまだ嬉しそうに私を見ていた。
「毎日聞きたいです」
何を、とは聞かなかった。玄関で口から出た言葉のことだとわかった。蒼は私の手を握ったまま続けた。
「一緒に住みませんか」
息を吸ったまま、すぐには返事ができなかった。
「今、そんな大事なこと言うの」
「じゃあ、誕生日プレゼントにしてください。なつきさんと一緒に住む約束がほしいです」
冗談ではない顔だった。
「私、生活かなり雑だよ」
「知ってます」
「部屋、すぐ散らかるよ」
「知ってます」
「ごはん、毎日ちゃんとは作れないよ」
「一緒に作ればいいです」
ひとつずつ返されて、笑ってしまった。笑ったら、急に胸がいっぱいになった。
「住む」
言った瞬間、蒼の顔がほどけた。私は立ち上がって、勢いのままベッドに飛び込んだ。
「なつきさん?」
「どうしよう。すごく、うれしい」
追いかけてきた蒼の腕を引いて、そのまま抱きついた。ベッドが弾んで、蒼が笑う。私も笑った。
「誕生日なのに、私ばっかりもらってる」
「僕も、これから毎日もらいます」
「何を?」
「なつきさんと一緒にいられることです」
言い終わる前に、私からキスをした。軽く触れて終わるつもりだったのに、蒼の腕が背中に回った。
蒼に引き寄せられるまま、私もその背中に腕を回した。年下なのに、抱きしめられると私よりずっと大きくて、耳元で名前を呼ぶ声は低い。ベッドの上でそのまま抱き合って、苦しくなるまでキスをした。
明日の朝も、その先の朝も、目を覚ませば蒼が隣にいる。そのことがうれしくて、私は蒼に回した腕を少しもゆるめなかった。




