第9話 ワサビ君の警告と毒蛇
リスティアの西門を出て一時間ほど。カケルはミラに教えられた「西の森」の入り口に立っていた。
街道沿いとは違い、一歩踏み込めばそこには手付かずの自然が広がっている。巨木が空を覆い、足元には湿り気を帯びた腐葉土の匂いが漂っていた。
「よし、ここなら人目もないな。茶渋、おいで」
カケルが念じると、足元に光の粒子が集まり、サビ猫の茶渋が姿を現した。彼女は現界するなり、ふかふかの土の感触を楽しむように前足で地面を叩き、嬉しそうに尻尾を立てた。
「大きな声は出すなよ。……ワサビ君、周りの警戒を頼む。俺は月見草を探すから」
肩の上のワサビ君は、相変わらずマイペースだ。
目的の『月見草』は、日光を嫌い、湿った大岩の影や倒木のそばに群生する薬草だという。だが、不慣れな森での探索は思うようにいかず、カケルは三十分ほど這いずり回るようにして、青白い葉を持つ植物を探して歩いた。
ようやく見つけたのは、倒れ伏した巨木の根元だった。
「……あ、あった。これか」
淡い光を宿したような葉が見えた。カケルはそれを傷つけないよう、慎重に根元から摘み取っていく。地味で根気のいる作業だが、人混みの喧騒から離れたこの静寂は、今のカケルには心地よかった。
だが、本格的に採取を始めてしばらく経った時。それまで静かに周囲を索敵していたワサビ君の体に、異変が起きた。
「……? ワサビ君、どうした?」
肩から伝わる緊張感に、カケルが手を止める。
見ると、ワサビ君がスキル【警戒色】を発動させていた。体色がそれまでの柔らかな緑色から一変し、黒い模様が浮き出るようにくっきりとし、地色の緑と黄色のコントラストがいつになく鮮明に際立つ。さらに彼は、前足を前に構えるようにして大きく口を開け、喉元をぷっくりと膨らせていた。
「……あっちか?」
ワサビ君の視線は、次にカケルが手を伸ばそうとしていた茂みの、さらに先に向けられていた。
カケルは目を凝らした。そこには、大きな倒木に擬態した、一匹の蛇がいた。
いつか動物園で見たビルマニシキヘビのように巨大で、六メートル以上はありそうだ。太い胴体は獲物を締め上げるための筋肉の塊で、本来、蛇は臆病で人影を感じれば逃げ出すものだが、目の前のそれは違った。
首だけをばねのように曲げ、捕食者としての冷徹な殺気を放ちながら、カケルが間合いに入るのをじっと見定めている。
カケルの背筋を、冷たい汗が伝った。その蛇の頭は、異様なほどに平たく、はっきりとした「三角形」をしていた。
(三角形の頭……。日本にいた頃、爬虫類好きの仲間から教わった。毒蛇は、毒腺があるから頭の付け根が横に張り出して、頭が三角形になるんだ……)
この世界でもその法則が通用するのかは分からない。だが、ワサビ君がスキルを使ってこれほど強く警告している。あれがただの蛇ではないことだけは確かだ。
「……茶渋、下がれ。あれはヤバい」
カケルが小声で命じると、察しのいい茶渋はすぐにカケルの背後に回り、低く唸りながら身構えた。
次の瞬間、蛇が動いた。バネを弾いたような速度で、カケルの喉元を狙って飛びかかってくる。
「茶渋、反射!」
カケルの叫びと同時に、茶渋の体が弾丸のように飛び出した。
ライオンサイズに巨大化する間もなく、猫のままの俊敏さを活かした鋭い前足の一撃。空中で牙を剥いた蛇の横面に、茶渋の爪が深々と食い込んだ。
蛇は弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。そこを逃さず、茶渋がさらに踏み込んだ。
「茶渋、爪撃!」
カケルの指示が飛ぶ。
茶渋の右前足が、閃光のような速度で振り抜かれた。鋭く突き出された四本の爪が、蛇の強固な鱗を紙のように引き裂き、その頭部を地面ごと深く断ち切った。
巨体は数度、激しくのたうち回った後、ようやく力なく動かなくなった。
「……ふう、終わったか。ありがとうな、茶渋ー! 怖くなかったかぁ? 怪我はないか? えらいなあ、さすが俺の自慢の家族だ!!」
カケルは膝をついて茶渋の首元をわしゃわしゃと撫で回し、精一杯の賛辞を送った。しかし、ふと顔を上げて横たわる六メートル以上の大蛇の死骸が視界に入ると、カケルの表情は急速に現実へと引き戻された。
(……これ、どうすればいいんだ? こんなデカいの、持って帰れるわけないし……)
捨てていくには惜しい獲物だが、解体の知識などカケルには微塵もない。途方に暮れていると、脳内にナビゲーターの声が響いた。
『対象の体内、頭部より後方、脊椎に沿った位置に魔石があります』
「あそこか……。茶渋、悪いけど、今の場所を爪で割いてくれるか?」
茶渋は「ニャ」と短く鳴き、鋭い爪で指定された部位を器用に切り開いた。
断面からは、むせ返るような生臭い血の匂いと、内臓の熱気が溢れ出す。カケルは吐き気を堪えながら、その奥に埋まっているはずの石を探した。
「……これか」
ようやく取り出したのは、血と体液がまとわりつき、鈍く濁った紫色の石。およそ宝石とは呼べない、無骨な不純物の塊だった。
「うぇっ……。魔石って、取り出した直後はこんなに不格好なのか……」
カケルが辟易として、その石を地面に置こうとした時だった。肩からカケルの腕を伝い、ゆっくりと降りてきたワサビ君が、その魔石へと静かに歩み寄った。
「あ、おい! ワサビ君、そんなのを――」
止める間もなく、ワサビ君は自分の頭ほどもある濁った石を、舌で絡め取りパクりと丸呑みにした。
「……食べた?」
カケルが呆気に取られていると、ワサビ君の口が再び開き、そこから何かがポロリと転がり落ちた。
「え……?」
カケルは目を疑った。
地面に落ちていたのは、先ほどまで血と泥にまみれていたはずのあの塊ではない。不純物が一切取り除かれ、夕暮れの森の中で透き通るような輝きを放つ、明らかに上質な魔石だった。
(なるほど……。ワサビ君は死体ごと食べるんじゃなくて、この『魔石の不純物だけ』を自分の体内で精製してるのか!)
廃屋でのハエ退治の際も、ハエを食べるついでにこの精製を行っていたのだ。今回のように「魔石だけ」を与えても、その能力は遺憾なく発揮されるらしい。
その時、頭の中に再びあの声が響いた。
『対象:フォレスト・バイパー(Dランク)の討伐を確認。格上の個体を撃破しました』
『召喚獣:茶渋のレベルが8に上昇しました』
『オーナー:カケル・モリシタの召喚士レベルが3に上昇しました』
「茶渋、一気にレベル8か! お前、本当にすごいな……」
茶渋の目覚ましい成長に感心しながらも、カケルはふと自分のレベルアップに思い至った。
(待てよ、俺のレベルも上がったってことは……もしかして召喚枠もまた増えたのか?)
期待を込めて心の中で問いかけたが、ナビゲーターの返答は冷静だった。
『召喚士レベル3における召喚枠の追加解放はありません。次の枠の解放には、召喚士レベル4への到達が必要です』
「……そっか。レベルが上がるたびに増えるわけじゃないんだな。次はレベル4か。戦うのはこの子たちなんだ。いくら死なないからといっても痛い思いはさせたくない。今は地道に、一歩ずつレベルを上げていこう」
カケルは精製された魔石を拾い上げ、その輝きを確かめた。今まで戦ったギガ・フライは、どこか現実味のない「ゲームの魔物」のように感じていた。だが、今の蛇の待ち伏せと、それを知識で察知した瞬間、彼は改めて痛感した。
「……今日のところはギルドに戻ろう。今日はこれで十分だ」
カケルは精製された魔石を袋に入れると、ノルマ以上の月見草を収めた鞄を抱え直した。これ以上深追いをして、今のワサビ君や茶渋に無理をさせるわけにはいかない。
二匹の家族を従えて森を後にする背中は、昨日よりも少しだけ、この世界の「冒険者」らしくなっていた。
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【毒蛇の形】
毒蛇は必ずしも頭が三角というわけではありませんが、そのような形をしている種類が多いです。日本の蛇では、頭が三角=毒蛇と判断できます。
頭が三角の蛇に出くわしたら、刺激しないように気を付けましょう!




