第13話 買い出しと掃除
冒険者ギルドの受付カウンターで、ミラは台帳にペンを走らせていた手を止め、弾んだ声で顔を上げた。
「あ、あのお家ですね! カケルさんがこの前ギガ・フライを全滅させてくれた。あそこを拠点にされるんですか?」
「ええ。ガレンさんに偶然再会しましてね。恩返しにと格安で貸してもらえることになったんです。補修も済んでいますし、俺たちにはちょうどいいかなと思って」
ミラは納得したように何度も頷くと、嬉しそうに住所を台帳に記録した。
「なるほど、素敵なご縁ですね! カケルさんが守った場所が、今度はカケルさんの家になるなんて。……でも、長年使われていなかった場所ですから、あまり無理はしないでくださいね?」
カケルは苦笑しながら頷き、預けていた資金の払い戻しを申請した。周囲に悟られぬようミラが管理してくれている資産から、今は必要な分だけを受け取る手はずだ。
ミラは周囲に視線を走らせ、他の冒険者に悟られないよう手早く、かつ慎重に小さな革袋を差し出した。
「今日必要な分として、金貨三枚と銀貨を五枚、まとめておきました。残りの分は、引き続きこちらで大切にお預かりしておきますね」
「助かります。これでようやく、人間らしい生活ができそうです」
必要な分だけが収まった、適度な重みの革袋をカバンに収める。ミラに見送られ、カケルは意気揚々と商業区の市場へと足を向けた。
「まずは身なりを整えないとな。さすがにこの恰好じゃ目立ちすぎる」
最初に入った衣料品店で、店主の老人がカケルの姿を見るなり、その動きを止めた。
「……おい、兄ちゃん。その奇妙な服は何だい? 見たこともない織り方だし、その……胸のあたりの金属の引き手は何だ? 魔法道具か?」
店主が指差したのは、パーカーのジッパーだった。カケルは「遠い故郷の服なんです」と苦笑いで濁しながら、周囲の視線から逃れるように慌てて代わりの服を探した。やはり、精巧な縫製のパーカーや厚手のデニム地は、この世界では相当に浮いて見えるらしい。
カケルは、この地の冒険者がよく着ているような丈夫な麻生地のチュニックと、動きやすいズボンを選んだ。異世界の服はどれもシンプルだが機能性は悪くない。さらに、汚れの目立つスニーカーを脱ぎ、厚手の革で作られた頑丈な靴を新調した。
次に、これからの冒険と生活に欠かせない丈夫な肩掛けのカバンを購入する。手に入れたばかりの革袋や私物をそこに収めると、ようやくこの世界の一員になれたような不思議な高揚感を覚えた。
生活用品を求めて賑やかな市場を歩いていると、ふと、柔らかな毛織物を扱う露店が目に留まった。カケルは吸い寄せられるように足を止め、そこに並べられた一枚の敷物を手に取った。
(……これ、いいな。毛足が長くて温かいし、茶渋が喜んでくれそうだ。)
それは、今のカケルが自分のために揃えている日用品よりも、明らかに高価な品だった。カケルは手元の銀貨と敷物を交互に見つめ、眉間にしわを寄せて真剣に悩み始めた。その背後を、巡回中の騎士たちが通りかかったことにも気づかずに。
「おや……。あそこにいるのは、カケルさんかな?」
騎士たちを率いていた隊長、エアリスは足を止めた。自身の『鑑定』スキルで以前確認した際、彼の職業は召喚士と出ていたが、あの日も今日も召喚獣の姿は見当たらない。少し不思議な青年だという印象が、彼の心に残っていた。
声をかけようとしたエアリスだったが、カケルの様子を見てそれを止めた。カケルは、自分の夕飯にするつもりだったであろう安価な干し肉の束を一度手に取ったが、苦渋の決断を下すような顔でそれを棚へ戻した。そして代わりに、手触りのいい厚手の敷物を大事そうに抱え、店主のいる勘定台へと運んでいったのだ。
エアリスは、その光景に微かな微笑みを浮かべた。
(自分の食事を削ってまで、あんなに質の良さそうな敷物を……。なんだか優先順位が変わっている人だね)
真剣な様子で買い物をしているカケルの邪魔をしては悪いと思い、エアリスはそのまま静かにその場を立ち去った。カケルは自分が騎士隊長に見守られていたことなど露ほども知らず、手に入れたばかりの敷物を大切に抱えると、夕飯の材料を求めて次の露店へと足を向けた。
野菜の露店では、小松菜によく似た青々とした葉野菜と、真っ赤に熟したトマトを見つけた。ワサビ君の好物だ。それらを買い求め、潰さないよう丁寧にカバンへと収めると、最後に、香ばしい匂いに誘われてパン屋に立ち寄り、夕食代わりの焼きたてパンをいくつか買い足した。
「これでよし。……戻ろう、ワサビ君」
両手に道具と、あの時思い切って買った、とっておきの敷物を抱え、カケルは新居へと引き返した。
帰宅するなり、カケルは再び腕を捲り上げた。ガレンの部下たちが最低限の補修をしてくれたとはいえ、長年の放置による微細な埃や、工事の際に出た木屑がそこかしこに残っている。
「よし、やるぞ」
まずは箒で一階の床を掃き清める。ギィ、と鳴る床板をななだめるように、隅々まで丁寧に箒を滑らせた。ワサビ君は邪魔にならないよう、棚の端に陣取って、左右の目をキョロキョロと動かしてその様子を眺めている。
次に桶に水を汲み、雑巾を固く絞って床や窓枠を拭いていく。拭き上げるごとに、くすんでいた木肌が本来の落ち着いた色を取り戻していくのが分かった。
掃除が一段落したところで、カケルは所在なさげに棚の上に佇んでいるワサビ君を見た。
「……そうか。ワサビ君、君の居場所も作らないとな」
カケルは一度外へ出ると、すぐ裏手の森から丈夫そうな太い蔦を数本切り取って持ち帰った。汚れを丁寧に拭き取ると、居間の天井付近にある梁や柱を利用して、それらを縦横に張り巡らせる。
「どうだ? 登りやすそうか?」
カケルがワサビ君を蔦の端に乗せると、彼は独特のスローモーションな足取りで蔦を掴み、高い場所へと登っていった。天井近くの見晴らしの良い位置に落ち着くと、ワサビ君は満足げに目を動かし、やさしい緑色へとゆっくりと変化させていった。
「ワサビ君、お疲れ様。これ、おいしいと思うよ」
カケルはトマトを取り出し、小さくちぎって差し出した。ワサビ君は片方の目でじっとトマトを見つめると、ゆっくりと口を開けてかじりついた。もぐもぐと顎を動かす様子は、どうやら新居を気に入ったようにも見える。続けて小松菜に似た葉野菜を差し出すと、それも美味しそうに平らげていった。
(不便だけど、やっぱりこの感じ、落ち着くな……)
一通り作業を終える頃には、夕闇が室内を包み始めていた。カケルは新しく買った服に着替え、掃除の終わった居間の片隅に、茶渋のためにと市場で選んだ敷物を丁寧に広げた。
買ってきたパンを一口かじると、麦の素朴な甘みが疲れた体に染み渡る。窓からは心地よい夜風が入り、古い木材の匂いと混ざり合って、カケルの鼻をくすぐった。
まだ家具もなく、寝るのも床の上だが、ここには確かに自分の居場所がある。
「……さて。約束したし、茶渋を呼ぶか」
カケルは独り言を漏らすと、温かくなった我が家に、もう一匹の家族を迎えるための意志を込めた。
淡い光の中から現れた茶渋は、姿を見せるなり真っ先にカケルの膝の上へと陣取った。昼間に一度送還されたことが寂しかったのか、いつも以上に激しく喉をゴロロロと鳴らし、カケルの腕に頭を押しつけてくる。
「悪かったよ、茶渋。もう大丈夫だ。ここが今日からの俺たちの家だよ」
カケルが語りかけると、茶渋は顎を一舐めし、甘えるように首筋に頭を擦りつけてから膝の上で丸くなった。天井の蔦の上にいるワサビ君を見つけると、一瞬耳をピクつかせたが、すぐにまた目を細めて甘え始めた。
夜が深まるにつれ、窓の外からは虫の音と、森がざわめく静かな音が聞こえてくる。カケルは市場で買ってきたカバンから、脱いだばかりの日本のパーカーを取り出し、それを枕の代わりにして、茶渋がまどろむ敷物の端に身体を横たえた。
「今日はさすがに疲れたな……。みんな、お休み」
カケルが目を閉じると、茶渋がすすまず彼の脇腹のあたりに潜り込んできた。茶渋の温かな体温と、ふわふわの敷物の感触、これで穏やかな呼吸音が、何よりも贅沢な安らぎを与えてくれた。
天井の蔦ではワサビ君が静かに眠りにつき、カケルの腕の中では茶渋が時折幸せそうに前足を動かしている。
不完全な温もりに満ちた、新しい我が家での初めての夜。カケルは深い満足感に包まれながら、いつの間にか穏やかな眠りへと落ちていった。
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