第110話 治療院の空気
昼下がり、借家の扉が慌ただしく叩かれた。
カケルが出ると、そこに立っていたのは見覚えのある騎士だった。何度か借家にも顔を出している、エアリスの隊の若い騎士だ。
息を切らしたまま、その騎士が言う。
「カケル殿、リアナ殿! 騎士隊長が入院しました!」
カケルは一瞬、言葉の意味を飲み込めなかった。
「……エアリスさんが?」
「はい、治療院に――」
そこまで聞いたところで、カケルはもう動いていた。
「行こう」
いつもより硬い声だった。
リアナもすぐに頷く。
「ええ」
茶渋とワサビ君だけを伴い、二人はそのまま治療院へ向かった。
治療院は街の中央寄り、石造りの静かな建物だった。中へ入ると、薬草の匂いと煮出した湯気のような気配が鼻先をかすめる。
案内された部屋で見つけたエアリスは、上体を起こしたまま窓際にいた。片腕に包帯は巻かれているものの、顔色は悪くない。
「エアリスさん!」
駆け寄る二人を見て、エアリスが苦笑する。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
カケルはようやく足を止めた。
「本当ですか?」
「うん。任務中にちょっとドジをしてしまってね。たいしたことないんだけど、隊員たちが過保護でさ」
その言い方に、カケルは肩から力が抜けるのを感じた。
「……よかった」
リアナもそこでようやく息をつく。
「ほんとに、大したことないのね?」
「少し動かしにくいだけだよ。明日か明後日には帰されると思う」
カケルは包帯の巻かれた腕を見てから、小さく息を吐いた。
「隊員が血相を変えて来たから、ただ事じゃないのかもって思いました」
エアリスは困ったように笑う。
「きっと、入院したってことだけ聞いて勘違いしたんだろうね」
茶渋はその間に、部屋の入口近くで静かに座っていた。ワサビ君も窓際の低い棚へ登り、じっとしている。
同室の年配の女が、そこで茶渋へ目を留めた。
「その子……」
声に気づいて、カケルたちはそちらを見る。
白髪の女は、少し目を細めていた。
「昔飼っていた猫に、よく似てるんだよ。撫でさせてもらってもいいかい」
カケルは茶渋へ視線を向ける。茶渋は逃げるでもなく、ただ耳を一度だけ動かした。
「たぶん、大丈夫です」
女がそっと手を伸ばす。茶渋は嫌がらなかった。頭を撫でられても、静かにそこにいる。
「……ああ、懐かしいねえ」
女の目が、少しだけ潤む。たぶん、昔の猫を思い出しているのだろう。
向かいの寝台にいた患者が、その様子を見てぽつりと言った。
「マーサさんの笑顔、久しぶりに見たな」
別の患者も、茶渋を見ながら口元をゆるめる。
「猫か……可愛いな」
ワサビ君にも視線が集まったが、本人はまるで気にせず、片目をゆっくり動かすだけだった。その静けさまで面白いのか、部屋のあちこちで小さな笑いがこぼれる。
その時、エアリスがふと思い出したように言う。
「そういえば、あの賑やかな子は今日は来てないのかい」
「あの子?」
リアナが首を傾げ、カケルが気づく。
「ほっぺですか?」
その名前が出た瞬間だった。
カケルの肩の上に、ふわりと気配が乗る。
「あ」
振り向くより早く、ほっぺが羽をふくらませた。
「ホッペチャン!」
エアリスが目を丸くする。ほっぺはそんなことおかまいなしに、嬉しそうに首を振った。エアリスに会えて嬉しいらしい。そのまま歌いはじめる。
カケルははっとして周囲を見た。
「す、すみません。すぐ――」
止めようと手を伸ばしかけたけれど、誰も嫌そうな顔をしていなかった。
マーサと呼ばれた女性は目を細め、向かいの患者は口元を押さえて笑っている。エアリス本人まで、呆れたような顔で肩を揺らした。
「相変わらずだね」
「ホッペチャン! オハヨウ!」
「もう昼よ」
リアナがつい突っこむと、部屋のあちこちでまた笑いがこぼれた。
その時、部屋の様子を見に来ていた治療師が足を止めた。
若い治療師は、歌うほっぺと、撫でられている茶渋と、静かに動かないワサビ君を順に見て、それから困ったように笑う。
「今日はずいぶん賑やかですね」
カケルはあわてて頭を下げた。
「すみません、ご迷惑でしたか」
「いいえ」
治療師は首を振った。
「みなさん、痛みがあったり、気分が沈んでいたりで、どうしても部屋の空気が重くなりがちなんです。今日は表情がずいぶんやわらいでいるわ」
その言葉に、リアナがカケルを見る。
カケルもすぐに気づいた。
「……ハムとマカロニ」
「ええ。あの子たちなら、もっとはっきり変わるかもしれないわ」
カケルは治療師へ向き直る。
「俺の召喚獣で、その場の空気を柔らかくするスキルを持つ子がいるんです。小さくておとなしい子たちなので、召喚してみてもいいでしょうか」
「まあ、召喚士さんだったんですね」
治療師は驚いたようだったが、部屋の患者たちがもうすでに興味深そうな顔をしているのを見て、小さく頷いた。
「では……お願いします」
カケルは静かに息をつき、足元へ意識を向けた。
「ハム、マカロニ、おいで」
光が揺れて、床に二匹の小さな影が現れる。
「まあ」
「今度は何だい」
ふわふわの体に太いしっぽ。ぬいぐるみみたいな見た目の二匹が、部屋の真ん中で少しだけ鼻を動かした。
カケルは二匹へ静かに声をかける。
「ハム、マカロニ、【空間緩和】」
二匹がひげを震わせ、その場で立ち止まる。
最初に変わったのは、空気だった。
部屋の中の重さが、少しだけ薄くなる。息を吸った時の感じがやわらかくなって、肩に入っていた力が自然と抜けた。
同室の隅にいた小さな子が、母親の袖を引く。
「わあ……おかあさん、この子とっても可愛い……」
母親も思わず頬をゆるめた。
「ほんとうね」
カケルはもう一度、二匹へ声をかけた。
「ハム、マカロニ、【安息】もお願い」
二匹は寄り添うように並び、その場でちょこんと座る。
今度は変化がもっとはっきりしていた。
ぴんと張っていたものが、するりとほどけるみたいに、部屋の空気までやわらぐ。ほっぺの歌声さえ、さっきよりやさしく聞こえた。
さっきの子が、ハムとマカロニを見つめたまま小さく言う。
「わたし、びょうきつらかったけど……なんだかこの子たちを見ていると心が落ち着いて、がんばろうって思えるよ」
母親はその言葉に目を見開き、それからそっと子どもの肩を抱いた。何か言いかけて、結局言葉にならないまま微笑む。
向かいの患者が、思わず息をつく。
「……なんだか、気持ちが安らぐねえ」
マーサも茶渋を撫でたまま、静かに頷いた。
治療師はその場で息を呑み、それからはっきりと頭を下げた。
「……ありがとうございます」
カケルは少し戸惑いながらも、ハムとマカロニを見つめた。
見た目だけでも十分和むのに、ちゃんとこうして人の役に立てる。
しばらくその空気のまま過ごしたあと、カケルは治療師へ向き直った。
「動物には、人を落ち着かせたり、気持ちをやわらげたりする力があるって聞いたことがあります。もしご迷惑でなければ、また来てもいいでしょうか」
治療師はすぐに頷いた。
「もちろんです。こちらとしては、お願いしたいくらいです」
リアナもそこで口を開く。
「じゃあ、たまに顔を出すわ」
「助かります」
エアリスが苦笑しながら二人を見る。
「僕の見舞いだったはずなんだけどね」
「いいじゃない。あんたの顔もちゃんと見たんだから」
「それならいいけど」
そのやり取りにまで笑いが混じる。
治療院を出たところで、リアナが小さく息を吐いた。
「……来てよかったわね」
カケルも頷く。
「うん」
冬の空気は冷たかったが、さっきまでいた部屋のやわらかさが、まだどこかに残っている気がした。
執筆の励みになりますので、続きを読みたいと思っていただけたら、ぜひブックマークよろしくお願いします!評価もいただけると嬉しいです。
本作の他にも、完結済みの作品を公開中です。
■魔王軍、おもてなしの極致 〜聖女の笑顔のために軍予算を「観光」へ全振りしたら、魔界が爆益を上げ始めた件〜
https://ncode.syosetu.com/n1299lr/
■人間嫌いの私は闇の精霊(上級)に転生しました。~見た目が「黒い毛玉」なので無能と罵られましたが、契約主の孤独な侯爵令嬢と共にレベルアップして毒親たちを断罪します~
https://ncode.syosetu.com/n5749lp/
■異世界コンサルはじめました。~元ワーホリマーケター、商売知識で成り上がる~
https://ncode.syosetu.com/n5582kv/
ぜひこちらもお願いいたします!




