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REPAIR  作者: 明星
巫女
36/50

第8話

ガレージに戻った片桐は、手早く探索の準備を整えた。

深追いするつもりのない、等活での日帰り調査。

腰にポーチを括り付け、必要最低限の止血帯や携帯食、そして念の為に予備の光源として数本のケミカルライトを押し込む。

武器は、左右の腰に吊るした二本の短剣のみ。

銃器の類も、求めれば手に入れることはできる。

だが使おうとは思わない。

持ち運べる弾薬の数には限度がある上、発砲音は新たな脅威を呼び寄せる。

それに、肝心なときに弾づまりを起こす可能性のある武器など信用できない。

過剰な武装は重量と引き換えに体力を奪い、アビスではかえって死期を早める。

片桐は経験則としてそれを知っている。

ゲートタウンの境界を抜け、片桐はアビスの表層――『等活』へと足を踏入れた。

空はこの季節らしい分厚い雲と澱んだ空気に覆われ、昼間であっても薄暗い。

そのわずかな明かりは、ここのところ濃度を増してきている超微細粒子ノイズによって、更に頼りないものとなっていた。

荒涼とした岩肌と、崩壊した建物の鉄骨やコンクリートの残骸が、墓標のようにあちこちに突き刺さっている。

道中、片桐は崩れかけたコンクリートの壁に背を預け、完全に足を止めた。

視線の先、濁った水溜りのそばを、ノミのように背中を丸めた二体の『跳躍者ジャンパー』が徘徊している。

片桐は呼吸を極限まで薄くし、岩と同化するように気配を殺す。

その洗練された身体の運びは、かつて彼が潜り抜けてきた修羅場を無言で物語っていた。

奴らに一度見つかれば、どこに隠れようと上空から発見されてしまう上に、倒したところで軽量なその身体から得られるものも少ない。

今この状況では無理に戦う必要のない相手だ。

数分後、魔物が完全に遠ざかるのを確認してから、片桐は思考を巡らせた。

十分に経験を積んでいる、五人の中堅パーティ。

それならば等活の歩き方を熟知し、決して無茶な行動は取らないはずだ。

ならば彼らの通るルートは、安全に日銭を稼ぐルートになるだろう。

片桐の脳内にある等活のマップに、いくつかの候補が浮かび上がる。

狙いは手堅く『徘徊者ワンダラー』の群れだろう。

比較的楽に倒せる徘徊者ワンダラーからでも、身体に内包された電子部品やスクラップを手に入れることはできる。

それらをまとめて回収すれば、ライゼン・リースへの返済をした上で、生活をおくれる十分な額になる。

「……スクラップ場に、行ってみるか」

片桐は小さく呟き、方角を定めた。

等活の西側に広がるその湿地帯は、足場は悪いものの、見晴らしが良く奇襲を受けにくい。

複数人のパーティが仕事をするにはちょうどいい場所だ。

幾度か出くわした魔物をやり過ごし、一時間ほど歩を進めると、周囲の景色が徐々に湿り気を帯びてきた。

乾いた土は黒く粘り気のある泥へと変わり、ひしゃげた車や錆びた鉄塔の残骸が、泥水の中に半ば沈み込んでいる。

『泥の廃車場』。

等活で徘徊者ワンダラーたちが群がるスクラップの墓場だ。

片桐は巨大な土管の陰に身を隠し、油断なく周囲の気配を探った。

だが。

「……おかしいな」

片桐の眼光が、わずかに鋭さを増す。

静かすぎる。

いつもなら、ガラクタの間を徘徊する徘徊者ワンダラーたちから漏れ出る空気音や、泥の中を歩く音が聞こえてくるはずだ。

しかし、見渡す限りの泥濘には、魔物の姿が一つもない。

まるで、この一帯の生態系そのものが、何者かによって一掃されてしまったかのような不自然な空白。

そして、淀んだ空気の中に、微かな異臭が混じっていた。

鉄の錆びた匂いでも、泥の腐臭でもない。

鼻腔の奥にへばりつくような、ひどく生臭い――得体の知れない粘ついた匂いだ。

片桐は身を低く保ったまま、ぬかるむ足場を慎重に進んだ。

やがて、半分泥に沈んだ廃車体の陰――物資を漁るために踏み入ったであろう泥溜まりの奥に、不自然な膨らみを見つける。

ノイズと泥の暗がりに沈み、目視だけでは判然としない。

片桐はポーチからケミカルライトを一本引き抜き、折り曲げて発光させると、泥の奥へ放り投げた。

冷たい緑色の光が、底に沈んでいた衣服を鮮明に浮かび上がらせる。

片桐は腰を落とし、泥に刻まれた微かな痕跡を読み解き始めた。

一つ目の衣服。

泥濘の入り口。

足跡はここで途絶えている。

驚愕やパニックの兆候はない。

「不意打ち、か」

背後か、あるいは足元の泥の中から、音もなく「何か」が現れた。

最初の男は叫ぶ間もなく、襲われた。

その肉体は食われたのか、あるいは持っていかれたのか、何も残っていない。

そして衣服のすぐ脇から、まるで巨大なナメクジが這い出たように、泥を深く抉り取った不気味な一本の『わだち』が始まっている。

片桐は視線を巡らせ、さらに二本のライトを放り込む。

二つ目、三つ目の衣服。

そこから放射状に、泥を乱暴に撥ね上げた足跡が伸びていた。

残された四人は、目の前で仲間の一人が「中身のない抜け殻」に変えられた光景に、冷静さを失った。

『慣れ』などというものは、未知の恐怖の前には無力だった。

逃走の歩幅は大きく、かつ不安定だ。

彼らは背中を見せて逃げ出した。

泥濘の中で散り散りになることが、どれほど致命的な選択であるかも忘れて。

そして、逃げ惑う彼らの足跡を後ろから無慈悲に上書きするように、あの巨大な轍が続いている。

圧倒的な質量がブルドーザーのように泥を均し、その後には生臭い粘液がべったりと帯状に残されていた。

四つ目、五つ目の衣服は、スクラップ場のどん詰まり、ひしゃげたコンクリート壁のそばで見つかった。

地面の泥には、何かを掴もうとしたのか、あるいは逃げようともがいたのか、深く抉れた指の跡が残っている。

だが、それだけだ。

抵抗の跡としての血飛沫も、格闘の末の泥の乱れもない。

ただ、そこにあったはずの肉体が、粘液に塗れた衣服と装備だけを遺して、完全に消滅している。

泥を削り取ってきた巨大な轍は、最後の残骸を通り過ぎた後、そそり立つコンクリート壁にべったりと粘液の跡を残し、重力に逆らって這い上るように途絶えていた。

音もなく迫る「捕食者」。

逃げ惑う背中を一つずつ確実に飲み込み、痕跡すらも塗り潰していく惨状。

片桐は周囲を警戒しながら、泥濘に散乱する五つの衣服の残骸を、素早く、かつ慎重に巡った。

布地全体が、泥とは違う、強力な粘着性を持った分泌液でべったりと覆われている。

片桐は鞘から抜いた短剣の切っ先で布地と粘液を退け、それぞれのポケットからプラスチックカード――免許証(ID)を泥濘に弾き出し、計五枚を回収した。

その間も、べたつく得体の知れない粘液から立ち上る生臭い匂いが、彼の脳を否応なく刺激していた。

脳内のデータベースが、この異常な捕食の痕跡と合致する単語を検索する。

「……まさか、蛭子なのか」

低い呟きは、湿った空気に重く吸い込まれていった。

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