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REPAIR  作者: 明星
巫女
34/50

第6話

旧高架下。

錆びたトタン屋根の影。

片桐が足音を殺して近づくと、廃材の陰から二つの声が漏れ聞こえてきた。

「……なぁ、今日もあのおっさんの後つけるの? そろそろ限界じゃね?」

呆れたような、少し甲高い少年の声だ。

「あんたの尾行ヘッタクソだしさ、絶対気付かれてるよ。それに俺、あの団体に顔割れてっから、これ以上は無理だって言ってんじゃん」

「でも……ここで引き返すわけにはいかないんだ。片桐さんは絶対に動いてる。昨日だって、頬から血を流して……絶対に何か危険なことを隠してる」

有坂の切羽詰まった声が応じる。

「だからって、素人がぞろぞろ後ろ歩いて何になんのさ」

「他にどうすればいいか分からないだろ! 現場にいなきゃ、また片桐さんに全部内緒にされる」

「内緒って……それに」

片桐はトタンの裏から、ゆっくりと歩み出た。

「なるほど。随分と熱心なことだな」

「……ッ!」

少年が野生動物のように肩を跳ね上がらせ、弾かれたように背後を振り返った。

その数秒遅れで、有坂が「えっ」と間の抜けた声を出し、顔から一瞬で血の気を引かせる。

片桐はコートのポケットに両手を突っ込んだまま、二人を冷たく見下ろした。

「道に迷ったからといって、異能力で近道をしたな。六條には使うなと止められていたはずだが」

「か、片桐さん……それは、その……」

「それに、ここ数日の嫌な視線はお前たちだったのか。……どうしてだ」

片桐の声に怒気はない。

軽くため息を吐き、答えを待っている。

有坂は口をパクパクと動かした後、ギュッと拳を握り込み、やがて視線を落とした。

「……何か、しなきゃって思ったんです」

有坂の視線が、少年の着ている、少しサイズの合わない上質なウールのコートへと向けられる。

「僕は、スリをしようとしたこの子に同情して、ただ自分のコートを渡した。でも片桐さんに言われました。この街であんな上等な服を着せれば、的になると」

有坂の声が微かに震える。

「僕のしたことは、ただの自己満足の、薄っぺらな善意でした。結果的にこの子が無事だったから良かったものの……僕は、自分の浅はかさが心底腹立たしかった」

片桐は何も言わず、有坂の言葉を待つ。

「だから……埋め合わせがしたかったんです。誰かを、今度こそ本当に助けたかった。あの手紙にある『巫女』を。でも、僕にはこの街の知識も、誰かを相手に立ち回るような力もない。だから」

「だから、この街を知る彼を巻き込み、俺を監視していたと」

片桐の冷徹な言葉に、有坂は深く頭を下げた。

だが。

「違うよ!」

それまで身を強張らせていた少年の口から、鋭い否定の声が飛んだ。

少年は有坂の前に一歩踏み出し、片桐を真っ直ぐに睨み上げた。

有坂ありさかの兄ちゃんは、相談してくれただけだ。それで、面白そうだから、俺が提案したんだよ! 何か起きそうだって、ワクワクしたからさ!」

少年の瞳には、単なる子供の無邪気さではない、野心と好奇心、そしてゲートタウンの底を這い回るネズミのような貪欲な光が宿っていた。

予期せぬ少年の割り込みに、有坂が呆然とした表情で少年の横顔を見る。

片桐はポケットから煙草の箱を取り出し、ゆっくりと一本咥えた。

「……なるほど。後悔と、好奇心か」

オイルライターの火をつけながら、片桐は紫煙とともに呆れたように呟いた。

「それなら、ついてこい」

片桐は静かに促すと先導して歩き出した。


ガレージのシャッターを開け、事務所に戻った片桐を待っていたのは、冷え切った空気と古時計の秒針の音。

そして――先ほどシャッターの隙間から抜き取った、三通目の手紙だった。

片桐はコートを脱ぐこともせず、作業机の明かりをつけてその紙片を開いた。

『いつまでブラブラ遊んでるつもり? 巫女を助けろって言ってるでしょ!いい?これは、あんたのせいでもあるんだからね! 』

片桐は目を細めた。

一通目、二通目の懇願するような文面とは明らかに違う。

筆圧は強く、文字の端々からは明らかな苛立ちと焦燥が滲み出ている。

しかも、だ。

(俺のせい、だって?)

意味がわからない。

ふと、片桐の脳裏を、昨日少しだけ言葉を交わした、あの灰色の修道服の女の顔が掠めた。

あの意味ありげな視線から、彼女が監視役、あるいは手紙の主であるという仮説は十分に成り立つ。

だが、片桐に向けられた態度は白々しいほどに丁寧で、その声は鈴を転がすように澄んでいた。

片桐は手元の荒々しい文面と、脳内の女の姿を天秤にかける。

(……いや、結びつかないな)

あの底知れない女が、ここまで感情を露わにした文章を書き殴るとは思えない。

片桐は自らの論理に従い、女を容疑者のリストから静かに除外した。

だが、この文面から読み取れる確かな事実が一つある。

手紙の主は、片桐が教団周辺をただ歩き回っているだけで、具体的な行動を起こしていないことを知っている。

片桐は手紙を灰皿に捨て、背後を振り返った。

そこには、片桐の静かな迫力に気圧されて大人しくついてきた有坂と少年が、借りてきた猫のように所在なさげに立っていた。

「君たち」

片桐の低い声に、二人の肩がビクッと跳ねる。

「大人しくしていろと言ったところで、どうせまた勝手に動き回る気だろう」

有坂が気まずそうに視線を落とし、少年がそっぽを向く。

片桐は短く息を吐いた。

有坂の空回りするような善意と焦燥感。

頭ごなしに命じたところで、その衝動は押さえつけられそうにない。

勝手に動き回られて問題を起こされるくらいなら、いっそ明確な役割を与え、視界の端に置いておく方がはるかに合理的だ。

「……有坂くん。君がそこまでして何かしたいと言うなら、一つ頼みがある」

有坂が弾かれたように顔を上げた。

「このガレージ周辺、それから教団施設の周りで、怪しい動きがないか見張っていてくれ」

片桐は二人の目を見据える。

「君の最大の利点は教団に顔が割れていないことだ。だから、周辺を歩いていても怪しまれない。だが、君にはこの街の知識がない」

有坂が、こくりと生唾を飲み込んで頷く。

「そして君。名前は?」

片桐が視線を向けると、少年は得意げに鼻を鳴らした。

「シンだよ」

「そうか、シン。君はこの街の地理と死角を知っている。だが、顔が割れていると言っていたな」

「あ、ああ。まあ、少しだけな」

「なら、有坂くんの目になれ。彼が致命的な路地に迷い込まないよう、君がルートを引け。いいか、絶対に教団と接触はするな。遠巻きに見るだけでいい」

実際のところ、それはこれまで二人が勝手にやっていたことと大差はない。

だが、片桐が明確な『仕事』として枠をはめたことで、この即席コンビには確かな手綱がかけられた。

「……分かりました」

有坂が真剣な顔つきで頷き、シンが「任せとけって!」と笑う。

「シン、今日はもう帰るんだ。有坂くんも、明日からのために休んだほうがいい」

片桐の短く、有無を言わさぬ指示に、シンは肩をすくめてガレージを出ていき、有坂も自室へと戻っていった。

一人残された片桐は短く息を吐き、作業机の上で直されるのを待っている時計のパーツへと、静かに向き直った。

儀式まで残り三日。

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