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魔力至上主義世界編 - 22 ようこそ泥草街へ 前編

 中世の人間は、日が出ている間しか活動しない。

 太陽が沈むと、あとは翌朝の日の出まで寝るだけである。

 ロウソクは高価だし、大して明るくない。夜に働いても割に合わないのである。


 とはいえ、人間、そう延々と眠れるわけではない。

 それゆえ中世人は、夜中に目を覚ます。

 覚まして何をするかといえば、祈りを捧げたり、月明かりの下で酒を飲んだりする。

 そうして1、2時間過ごしたら、また寝る。


 イリスの、とある石工職人の男も、その日の深夜、そうして目を覚ました。

 この男は、これまで仕事現場で、さんざんに泥草を殴り、蹴飛ばし、唾を吐き、いじめてきた。

 明日は仲間たちと、その泥草どもの本拠地に乗り込み、何もかもを奪ってやるつもりでいる。


「あいつら、どういうわけか知らねえけど、すげえ美味い飯を作るからな。

 まあ、飯作りなんて下っ端の仕事だから、できたって大したことはねえんだけれどよ。

 それでも、俺が今まで食ってきたのは、残飯かよって思えるくらいの飯を作りやがる。

 泥草どもに、あんな美味い飯はもったいねえよな。むしろ罰当たりだぜ。全部奪ってやる」


 明日のことを想像しながらそうつぶやくと、だんだん泥草の分際で、とムカムカしてくる。


「よくよく考えてみれば、市民様であるこの俺は、ぼそぼそしたパンに、味気ないスープに、塩辛くてパサパサした肉を食べているってのに、泥草どもは美味い飯を食ってやがる。

 ……許せねえよな。泥草の分際で、身の程をわきまえろってんだ。

 ぶん殴ってやりてえ。

 そもそも、泥草どもの連中、このところ全くと言っていいほど仕事に来ねえじゃねえか。

 おかげで殴りつけたり、蹴り飛ばしたりして、すっきりしたりする相手がいねえだろうが。市民様を困らせてんじゃねえぞ。

 よおし、明日は、久しぶりにやつらをぶん殴ろう。そうしてやつらを俺たちの飯奴隷にして、たっぷり美味いものを食おう」


 そうやってうきうきしながら、男は板戸の窓を開けた。

 この日は半月である。それなりに明るい。

 その明かりの下で、酒でも飲もうと思ったのだ。


 が、窓を開けた瞬間、男は「わっ!」と叫んだきり、固まった。


「な、な、な、なああああーーー!」


 男は叫んだ。


 中世の夜は暗い。

 街灯もない。窓ガラス越しに漏れる照明もない。ネオンの照明も、道行く車のヘッドライトもない。

 月と星明かりと、見回りの衛兵がほそぼそとタイマツを照らすばかりで、ただただ暗い。


 そんな暗い中、街の一角が、そこだけ昼がやってきたかのようにピカピカ輝いていたのだ。

 泥草街のあたりである。

 今朝、イリスの市民達を驚愕させた50メートル級の塔があるあたりである。


 というより、まさにその塔が光っている。

 現代で例えるなら、ビルが明かりを全部つけて、ついでにライブ会場で使うような強い照明を照らしまくったような感じである。

 要するにビカビカ光っている。

 暗い照明しか知らない中世人からしてみれば、太陽が真夜中に現れたような驚きである。


「な、な、なんだありゃあ……なんだありゃあ……」


 男は全身をぶるぶる震わせながら、呆然とつぶやく。


 50メートル級の塔が泥草街にできたことは知っていた。

 が、どうせ泥草どものことである。インチキに決まっている。ハリボテか何かに違いねえ。そう思っていた。

 男は、石工としての経験上、あんなでかい塔がわずか数日でできるなんてありえないと思っていたのだ。


 だが、目の前のこの光景はどうか。

 このビカビカと輝く塔の姿は、どう説明すればいいのか。

 これも何かのインチキなのだろうか?

 現に、こんなにも明るいというのに……。


「イ、インチキだ! どうせインチキに決まっている!」

 

 男はそうわめくと、酒を一杯飲み干し、そのまま寝てしまった。



 翌朝、男は9人の職人仲間と共に泥草街に向かった。

 皆、昨夜のビカビカとした光を見ているからだろうか。

 どこか気まずい。


「行くぞ……」

「ああ……」


 初めの頃、職人たちは押し黙ったままであった。

 なんとも言えない沈黙のまま、黙々と歩き続けるだけである。


 が、彼らのうちの1人が「泥草のインチキ野郎どもめ」と言ったのを皮切りに、徐々に口を開いていく。

 口数が増えてくる。


 中でも盛り上がったのは、これまで自分たちがどんな風に泥草たちを痛めつけてきたかの自慢だった。

 彼ら職人は、泥草たちを雇う立場にある。下働きに来た泥草を、安い賃金でイジメながらこき使うのだ。

 とはいえ、泥草は教団の持ち物という扱いだから、殺したり傷つけたりしたら器物破損罪になる。

 よって、いかにケガをさせずに痛めつけるかが、腕の見せどころとなる。


「やっぱり腹をぶん殴るのがいいな。ゲホゲホ言いながらうずくまって、涙を流しながら苦しそうな顔をしやがるのが最高なんだよな」


「俺は土下座だな。あいつらが仕事現場に来たらさ、とにかく理由をつけてさ、()いつくばらせるんだよ。後頭部を足でぐりぐりやってさ。で、そのまま1日中土下座させるのな。ちょっとでも動いたら蹴飛ばして、ゴホゴホさせながら、また土下座させんの。で、1日が終わったら、何サボってやがったんだって言って、ぶん殴る。当然給料ゼロ。その時の泣きそうな顔って言ったら、すげえ笑えるんだぜ」


「わかるわかる。わざと無意味なことさせるっていいよな。俺もやるわ。穴掘らせてさ、終わった頃に『何やってんだ!』ってどなりつけて、穴に突き落とすのよ。で、今日中に埋めとけよって言うんだよ。もちろん賃金なんて払わねえ。穴に落ちた瞬間のあの絶望的な顔がたまらねえのさ」


「俺はあれだ。泥と草を食わせたわ。泥草にはこれがお似合いだろって言って、無理矢理口の中に放り込んだね」


「へえ、それ、俺、やったことなかったわ。今日やってみよっかな」


「ただ、あいつら吐くんだよな。せっかく食わせてやってるってのによ。何考えてやがるんだか」


「うわ、情けねえな。どんなまずいものでも、きちんと食べようっていう食べ物への感謝の気持ちがないのかねえ」


 職人たちはひとしきり盛り上がりながら、やがてイリスの町外れにある泥草街に着く。

 ところが、そこにあるのは予想外の光景だった。


「おい……ここでいいんだよな……?」

「あ、ああ……そのはずだが……」


 彼らの前には、壁が広がっていた。

 ただの壁ではない。ガラスの壁である。

 高さは10メートルほどだろうか。

 簡単には割れそうにない分厚い透明な壁が、高々とそびえ立ち、泥草街を取り囲んでいるのだ。


 中世という時代、ガラスは高級品であった。

 現代の感覚で言うと、黄金の壁がそびえ立っているようなものだろう。


 むろん、弾正(だんじょう)の指図である。


「古くさい連中が口をあんぐりさせるような、見事なガラスの壁を作るのじゃ」


 そうしてその通りの見事なガラスの壁ができあがったのだ。

 あまりの見事さに、職人たちは今まさに、口をあんぐりさせている。


「な、な、な……な……」


 彼らはしばらくの間、この世の物とも思えない光景に、茫然自失の様子であったが、やがて石工の男が叫ぶ、


「ええい! こんなのがどうしたってんだ! どうせ、インチキに決まってる!」

「お……おおっ! そうだそうだ! 泥草どものインチキだ!」

「だ、だな! インチキに決まってるよな!」


 職人たちは口々にインチキだと言うと、辺りを見回した。

 壁があるなら、入り口がどこかにあるはずだと思ったからだ。


 どこだ? どこにある?

 見つけた。

 壁と壁の切れ目に、石造りの大きな門があった。


「あそこだ。行くぞ」

「おお」


 門は開いていた。

 ここを通り抜ければ、泥草街である。


 ただし、人が立ちふさがっている。

 後ろに5人の男女を従え、1人の男が通路をふさいでいたのだ。


 男は背が高い。黒髪を妙な形に結っている。目が黒い。泥草だろう。

 表情は不敵だ。怪しい企みを胸に秘めていそうな、そんな悪そうな笑みを浮かべている。

 男は職人たちに対し、ニヤリと笑うとこう言った。


「ようこそ、泥草街へ。土下座の準備はできておるかな?」

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