姉の教え其の一、男は女を守るべし!(3)
宮元 司郎は、御坂商店街アーケードの中を、蒼白な顔でよたよたとふらついた足取りで歩いていた。
高台にある宮元家を出て、公園沿いを下っていけば、やがてここ御坂商店街アーケードに出る。 普段ならなんともない道程なのだが、今日はいつもと様子が違っていた。
「うぅ……お婆ちゃん作りすぎだよぉ。 お爺ちゃんも姉さんの分まで残さず食えなんて無茶言うし」
祖母、宮元 静の愛情篭った朝ごはんもとい、モーニングフルコースを残さず平らげてのこの道程は、流石の司郎も苦戦を強いられていた。
「あれ、何だろ……」
司郎は苦悶の表情を浮かべつつ、ふと、何か違和感を感じ取っていた。
いつもならこの時間帯は、朝の通勤ラッシュのせいでごった返している。 またそこらに立ち並ぶ店も、開店前の準備で大忙しのはずである。
「今日はやけに人が少ないな……ん? 何だろ?」
ふと、司郎が視線を向けた先、駅ロータリー付近に、何やら人だかりができている。
しかもどこか様子がおかしい。
悲鳴や怒声のようなざわついた声が、微かだが司郎の側まで聞こえてきたのだ。
「何かあったのかな……?」
胸騒ぎをを感じたのか、司郎の目付きが微かに精鋭さを増してゆく。
「よし!」
司郎は自分の頬を軽く二三度叩くと、足早に人だかりへと向かった。
駅前に近づくにつれ、人だかりの異様な様子が更に伝わってくる。
つられるように司郎の足が更に駆け足となった。
悲鳴を上げる女性、携帯電話に向かって何事か喚き散らしている男性、よろけながら逃げ出す子供。 皆一様にその顔は恐怖に引きつっている。
その中に買い物帰りだったのだろうか、ミカンの入った紙袋を両手で抱えた女性が、狼狽した様子でこちらに向かって走ってくる。 慌てているせいかバランスを崩し、今にも転んでしまいそうな勢いだ。
「あ、危ない!」
司郎が声を掛けた瞬間、女性は足を取られ、紙袋の中のミカンを大量にばらまき落としてしまった。
落ちたミカンが、司郎の足下に転がり落ちる。
司郎はそれを一つ拾い上げると、オロオロと慌てふためく女性に渡しながら尋ねた。
「あ、あの、何かあったんですか?」
間近で見ると、その女性の顔は恐怖で青ざめているのが分かる。 よほど恐い事があったのだろうか。
「だ、大丈夫ですか? あ、拾うの手伝います、」
司郎はそう言って足元に散らばったミカンを拾い集めようとする。 だが女性は取り乱した様子で、両手を司郎に向け、そんな事しなくていいと言わんばかりに振って見せた。
「あ、危ない男が女の子にナイフ向けて暴れてるのよ! ミカンどころじゃないわ! あなたも早く逃げなさい!!」
女性は動転した様子で言うと、持っていた紙袋を放り投げ、その場から走り去って行く。
「ナ、ナイフ……? って、ええっ!?」
司郎は投げ捨てられたら紙袋をキャッチしながら、再度人だかりに鋭い視線を向けた。
逃げまとう人々。 閑散としていく駅前広場に一組の男女が取り残されている。
一方はジャージ姿の、小太りの男性。 もう一方はスーツ姿の、ポニーテールの女性。
司郎は逃げまとう群集を掻き分け、更に広場へと足を向ける。
そしてようやく、このただならぬ雰囲気の元凶であるものを目にする事ができた。
女性ににじり寄り距離を詰める、ジャージ姿の男。 そしてその手には、朝日に反射して、時折鈍く光る抜き身の刃。 間違いない、ナイフだ。
──ゴクリ、
と、大きく喉を鳴らす司郎。 そんな司郎の顔を驚愕が走り抜ける。
「あれ……確かクラスメートの?」
司郎は知っていたのだ。 スーツ姿の、ポニーテールの女性を。
御坂高校に入学して早三ヶ月。 同級生の顔も一通り覚えた司郎だったが、ただ一人、その中で気になる相手がいた。
忘れもしない入学式。 桜満開の校庭で見た一人の少女。
青空に散る桜の花びらが、ふわりと舞う中。 美しく伸びた髪をサラサラと風になびかせながら、その少女は一人歩いていた。
冷然とした切れ長の双眸は美しく、その柔らかそうな唇に、司郎は初めて姉の澪以外の異性に対し、心臓が高鳴ったのを覚えている。
だが、そんな司郎の思いもむなしく。 その後少女は学校にほとんど顔を見せることは無かった。
後にその少女が同じクラスの同級生、朝霧 美桜という名前だと知ったのも、つい最近の事なのである。
そんな少女が今、司郎の目の前にいるのだ。 白刃の切っ先を突きつけられ、恐怖に顔を引きつらせながら。