姉の教え其の三、人の話は最後まで聞くべし!(北鳳凰学園騒乱編4)
前代未聞の放送事故 からしばらくして、校内が落ち着きを取り戻し始めた頃、ここ校舎一階にある保健室では、窓から覗く青空を、呆けた表情で見つめる司郎がいた。
(空はなんて青いんだろう……青い……今日は青菜のお浸しでも作ろうかな。 ちょっと高いけどやっぱりお浸しはほうれん草だよね)
などと脳内妄想中。
「そういえばゴマ切らしてたかな……」
ぶつぶつと呟く司郎。
「し、司郎!?」
胡桃が生きた屍と化した司郎を、両肩を掴んで必死に揺さぶっている。
「あーダメだ。 完全に向こうに行っちまった」
額に手を当て、直道が深くため息をつく。
「今日が半日授業で良かったよ。 俺、司郎の鞄取ってくるから、後よろしくな?」
直道はそう言うと、椅子から立ち上がり扉へと向かう。
「うん……」
司郎が余りにも落ち込んでいるからか、胡桃にもいつもの元気がない。
保健室から出ようとした直道が振り返り、胡桃の方をむく。
「あ、それと、襲うなよ?」
が、この挑発に胡桃はまったく反応なし。
いつもならここで椅子でも投げつけてきそうなものだが、今回は相当に落ち込んでいるらしい。
直道はもう一度小さくため息をつくと、黙って保健室を後にした。
保健室には胡桃と、真っ白な廃となった司郎がベッドに。
そんな司郎を見つめ、ふと胡桃は司郎と出会った頃の事を思い出していた。
同じクラスで隣の席。
高校に上がって少しは大人のロマンを期待した胡桃だが、入学初日から大事なポジションにいたのは、女みたいな顔をしたいかにも冴えない男子生徒。
背は低いし顔は童顔、喋り方もおどおどしている。
次の席替えをどれほど期待した事か。
そんな胡桃にも、ある日好きな相手ができた。
相手は三年の男子生徒。
好きというより憧れのようなもの。
胡桃はすぐに告白した。
周りからはやし立てられたり、高校に入ってからの焦りみたいなものもあったかもしれない。
だが、返ってきた答えは無惨にも『友達から』という当たり障りのない返事だった。
理由は、『君は可愛いけど、俺とと君じゃどう見ても兄妹としか見られないから』というもの。
涙は出なかった。
特にそこまで好きというわけでもなかったからだ。
それでも悔しいものは悔しい。 小さい頃から可愛いとは言われても、それは幼い印象の抜けない自分の容姿のせいだから、胡桃はそう思っていた。
ようは子供扱いされている、と胡桃は思いつめていたのだ。
泣けるはずもなく、ただ無様だった。
しかし、胡桃の不幸はそこで終わらない。
告白したその場に、司郎が居たのだ。
見られた。
恥ずかしさと無様さでいっぱいの胡桃にはとても耐えられない事だ。
普段司郎の事を馬鹿にしていた分、絶対に笑われる。
そう思うと胡桃の目には自然と涙が滲んでいた。
だが、そんな胡桃に司郎は、
『胡桃ちゃんこんなに綺麗なのに、あの人はなんで妹みたいなんて言うんだろう』そう言って、ハンカチをそっと胡桃に手渡したのだ。
胡桃の涙は、悔し涙から一気に嬉し涙へと早変わりした。
何よりも司郎の屈託のない温かい笑顔が、胡桃にはとても熱く感じられたのだ。 雪解けの春にも似た気持ちを初めて知ったのである。
以来、気が付くとくるみの視線は司郎へと注がれていた。
そして今も、この保健室で。 だがその時だった、
ガラッと、保健室の扉が荒々しく開かれ、数人の男達が保健室になだれ込んできた。
どれも体格のよい男子生徒達。 先程校舎裏で不埒な行動を取っていた連中だ。
だがそんな事を知る由もない胡桃は、
「……ちょっ、何あんた達? 今怪我人が休んでんだから静かにしてよね!」
と、両手を腰に当て直ぐさま男達につっかかる。
「あん? なんだこの生意気な幼女は?」
「おっ! 可愛いじゃん、俺は全然セーフだけど」
「お前ロリコンだったのか……」
などと勝手な事をほざきだした男達。 当然胡桃の額には立派な青筋が浮かび上がっている。
「あ、あんた達ねえ!!」
ガルル、と唸り声でも聞こえてきそうな程威嚇する胡桃。
だがそんな胡桃を無視して、男達はベッドの上で震えて縮こまる司郎に近づいてゆく。
「ひーっ!」
さすがの騒ぎに司郎も現実に返ってきたのだが、現実は現実で厳しいものだ。
屈強な男達に囲まれ、布団の中にそそくさと逃げ込む司郎だった。
「おい、今のが司郎って奴じゃねえの?」
目つきの悪い長髪の男が、布団を被り縮こまる司郎を指さす。
「だろうな。 姉と違って弟の方はかなりのヘタレ野郎らしいからな」
そう言って本当に高校生か? と疑いたくなる老け顔の男が、司郎の被っていた布団を取り上げる。
中から亀のように小さくうずくまる司郎の姿が露に。
「あ、あの……人違いじゃ? こ、この学校生徒多いし、ど、同名も……」
恐る恐る顔を上げ、司郎は屈強な男達に、小刻みに震える声でそう言った。
どう見てもヘタレ野郎というあだ名がピッタリの言動とその姿だ。
「間違いねえな。 おい、ちょっとばっかし顔貸せよ」
そう言うと背の高いスキンヘッドの男が、司郎の腕を掴み、ベッドから無理やり連れて行こうとする。 が、その時だ。
掴んだはずの手を放し、スキンヘッドの男が自分の手を庇いながら、くぐもった悲鳴を上げた。
「つっ! な、なんだ!?」
スキンヘッドの男が振り向くと、そこには天井に突き上げるように脚を開いた胡桃が、片足で器用に立っていた。
様にはなっているが黒のガーター付きパンツが丸見え。 が、胡桃はそれを意にも返さず男達を睨みつけている。
「こ、こいつ何しやがった!?」
長髪の男が驚きの声を上げるほど、胡桃の蹴りは素早かった。
とても素人が放てる蹴りではない。
「お、おい、このチビ女もしかして……」
老け顔の男の顔が見る間に曇りだした。
「チビ女がどうした! 邪魔するならこいつも拉致るだけだ!」
そう言ってスキンヘッドの男が素早い動きで胡桃に襲いかかる。
だが胡桃の動きはそれ以上に早い。
襲いかかってきた男の腕を両手で受け止めると、そのまま捻り上げ相手の足の甲に思いっ切り下段の踵蹴り。
痛みから体勢を崩した男に、腕を更に捻ったまま、綺麗な弧線を描きながらのハイキック一閃。
スキンヘッドの意識を刈り取るには充分な一撃。
ぐらりと崩れると、そのまま後ろに倒れた。
この間僅か六秒。
凄まじい速さの連撃だ。
「ま、間違いねえ! こ、こいつ拳法同好会の飯綱の胡桃だ!!」
男達が一斉にたじろぐ。
「拳法同好会って……空手部に活動禁止に追い込まれた、あの拳法同好会の生き残りか!?」
「あら、飯綱なんてまだ呼ぶ奴いるのね。 まあ私はその名前、気に入ってないんだけどね!」
言い放つと同時に、胡桃の体が宙を舞った。
胡桃の小さい体から考えれば、かなりの跳躍力だ。
やや背を向けるように飛び上がり、高速の回し蹴り、旋風脚。
爪先が軌跡を描きながら、長髪の男の顔面に。
だがこれは当たらない、咄嗟に長髪の男が身を引いたからだ。
しかし、長く伸ばした前髪がパラパラ、と何本か落ちた。
恐ろしい切れ味だ。 長髪の男の顔が見る間に青ざめてゆく。
ちなみに飯綱と言う呼び名、一度暴れると何かが取り憑いたように暴れる事からついたらしいのだが。
ひょっとして、過去に振られた原因はここにあるのでは? などとは、本人は露にも思っていない。
「つっ、くそっ! 弟の方にこんな奴がついてるなんて聞いてねえぞ!」
最初に倒れたスキンヘッドの男が、首を押さえながらよろよろと立ち上がってきた。
「何訳分かんない事言ってんの? 私をチビで胸ぺったんなんて言った罰よ! 後百回は死になさい!!」
左腕をやや斜め上に、同時に左足をやや前に出して床を思いっ切り踏み込む構え。
中国拳法で言う 連珠砲 の構え。 足と手による同時連撃に長けた攻撃方法だ。
「む、胸の事なんて誰も言ってねーし!」
「そ、そうだ! お、思っても口に出したりは……あ」
地雷踏んだと言いたげな表情で、老け顔と長髪の男が同時にスキンヘッドの男を見る。
一瞬だった。
ぐへっと無様な呻き声を立てながら、スキンヘッドの男がまたもや床に沈んだ。
左足の尖端と左の崩撃が見事にスキンヘッドの顔面と足の甲を捉えていた。
一連の動作を確認できたのは、司郎を除いて他に誰もいない。
「……訂正、後二百回死になさい!!」
飯綱の胡桃の本領発揮か、どうやら怒りMAXのようだ。
「お、俺達は言ってねー!!」
情けない声で喚く男達。 一体何をしに来たのやら。
司郎は激変した胡桃に怯える始末だ。
だが、
「こ、こうなったら仕方ねえ! 出ませい! 相撲部の方々!!」
老け顔の男が廊下に向かって叫んだ。
その声に反応するかのように、保健室の扉、床に激しい振動音が響き渡る。
地震かと疑いたくなるような揺れと共に扉から現れたのは
「やっと俺達の出番か!」
上半身Tシャツで下半身はふんどし姿。
体重100Kg以上は、有にあるかと思われる巨漢の男達。
保健室の扉を狭苦しそうにしながら入って来た。
「お、おう! もしもの為に呼んどいた甲斐があったってもんだ」
老け顔と長髪の男達は安堵のしたり顔。 形成逆転と言わんばかりのはしゃぎ様だ。
「助太刀したら部費の件、取り持ってくれるっていうのは本当だろうな?」
「あ、後女の子のマネージャーの件……」
暑苦しさこのうえない顔に、更に暑苦しい笑みを浮かべニヤニヤする巨漢の男達。
「も、もちろんだ! 部費もマネージャーの件も、俺達から八城さんに頼んどいてやる!」
「おー! ごっつぁん!! ま、マネージャーか……」
「まわし姿のマネージャー……」
部費というより女の子のマネージャーにかなり食いついている巨漢の二人。 只今妄想中だ。
「ちょっとちょっと! 私無視して何話し進めちゃってる訳!? ほら、司郎も何か言ってやんなさいよ!」
口を尖らせ怒り浸透中の胡桃。
ベッドの上で枕を抱いて震える司郎に、声を荒げて八つ当たりだ。
「え、ええと、胡桃ちゃん、ふぁ、ふぁいとぉ……」
おずおずと消え入りそうな声で、胡桃の前で小さくガッツポーズ。
それを見て胡桃はため息をつくと、目頭を押さえて首を振った。
(なんで私こんな奴の事好きになったんだろう……)
司郎のヘタレ根性は今に始まったわけではないが、さすがにここまでくるとどつきたくなる胡桃だった。




