3.暁
ユールに暇つぶしにでもしろと押し付けられた“弟子”は、当初考えていたよりも、なかなかに興味深いものだった。わたしの指示するがままだったエルの時とは違い、彼女はすでに魔法使いとして独り立ちをしている。わたしの“弟子”とはいえ、ひとりの魔法使いとして疑問があれば納得できるまで説明を求め、己の意見を忌憚なく叩きつける。相当な負けず嫌いでもあるのか、わたしの出した少々無茶と思える課題もなんとかこなし、泣き言を漏らすことなども決してなかった。
彼女はその可愛らしい外見とは真逆な、実のある魔法使いということなのだろう。
しかし、時折、彼女からは焦りのようなものが感じられて、そこにらしからぬ違和感を覚えてはいた。人間という種族であることを差し引いても、いったい何をそこまで焦る必要があるのかと、少し気になったのは確かだ。
そもそも、何故、既に魔術師団の魔法使いとして実績のあるものが、魔族のところへわざわざ弟子入りしたいと言い出したのかにも、若干の興味を抱いていたことは否定しない。
ここまでの短い期間の間に垣間見えた彼女の性格を考えれば、正面から問うたところではっきりとした答えが返ってくるとも思えなかったのだが。
相手が何を考えているのかわからず、お互いにお互いを伺いつつ、けれどゆっくりと信頼を積み上げる。
なし崩しに習慣となった夜の“ティータイム”で、魔法以外について……当たり障りのないことが主とはいえ、今では、その日の出来事などを含めたなんという事のない会話を楽しむこともできるようになっていた。
そして、何がきっかけだったのか。どちらがどちらを先に欲したのか。今となってはもうどうでもいいことで……一度境界を超えたわたしとエルネスティの関係は、そのままずるずると続いていった。
彼女が何を考えているのかはわからない。それどころか、自分が何を考えているのかすらわからないままに、ただいたずらに事実だけが積み重なっていく。
……とうとう、いつまで待てばよいのかと弱音を漏らした時、彼女の「自分が待ちたいだけ待てばいいのだ」という言葉が、ほんの少しの救いとなったのは事実だ。
だが、所詮、彼女もわたしも自分から欠け落ちたものを埋めてくれる何かの代わりに、お互いを利用しているだけなのだ。いつか終わりは来る。
そのまま何もかも、肝心なことすべてを先送りにしたまま日々を過ごした先の、次の夏が訪れるころ。
そろそろ夕刻を迎える時間、例によって招かれた茶会からの帰りに馬車を降りた、その時の出来事だった。
エルネスティの手を取り、門をくぐろうとした……ところで、どこからともなく黒い影が、相当な速度で迫ったことに気づいた瞬間、わたしは吹き飛んでいた。
「え、ちょ、カルシャ……!?」
慌てるエルネスティの声が遠くに聞こえる。だが、わたしは顎の痛みよりも何よりも、その影の残した言葉と魔力痕に強く衝撃を受けていた。
「やっと見つけたのに」
耳に残るその言葉と魔力痕。これは……と、そのまま呆然とするだけのわたしに治癒魔法を唱え、「ねえ、大丈夫?」とエルネスティが声を掛ける。ああ、と答えながらも、座り込んだまま呆然と影の去って行った方向をただ見つめるだけで、上の空のわたしのようすに、エルネスティは何かを察したようだった。「知ってる相手、なのね?」と小さく呟くと、彼女はそちらに目をやった。
その夜はいったいどうやって過ごしたのか。
残された痕跡は見事に消されていて、辿ることは難しかった。いったいあれは誰だったのか。本当に待ちびとなのか。今、いったいどこにいるのか。
……どうすれば探し出せるのか。
いくら考えても何も浮かばないまま、まんじりともせずに朝を迎え、開門の鐘が鳴るころ……突然、魔法で言葉が届けられた。
“西門を出た少し先で待っている”と。
慌てて館を飛び出し西門へと向かうと、指定された場所にはやや長身の、長い黒髪の、そしてあの気配を纏う女がいた。
「……斎」
そう呼びかける声は掠れたが、確かに彼女の耳には届いたはずだ。けれど、彼女は訝しむように首を傾げるのみだった。
「私は、エヴィよ」
少し腹立たしそうに息を吐き、エヴィと名乗る彼女は、目を逸らして続ける。その間も、わたしは必死に彼女の中に彼女の面影を探すが……。
「やっと見つけたと思ったのも、探してたっていうのも、一方的なこっちの事情だし、私の勝手だし、まさか見つけたひとにお相手がいるなんて想像もしてなかったから、昨日はつい逆上して殴っちゃったの。ごめんなさい。全部私の都合で、私の思い込みの勝手な押し付けで、あなたに悪いことしてしまった、そこは謝るわ。
──私の乙女心だと思って許してくれるとありがたいんだけど」
「斎?」
もう一度呼びかけると、彼女はまた訝しげに少し顔を顰めた。
「ええと、だから、私はエヴィ。そのイツキっていうひとに、そんなに似てるのかしら?」
顔立ちはもちろん、自分を見る目の温度も、態度も、表情も、何もかもが違う。纏う魔力を……気配を懐かしいと感じるだけで他はまったく覚えのない相手に、これが“転生”というものなのかとやっと気付いて愕然とした。
「……いや、まったく似ていない」
あれからずっと待ち続けて、ようやく、今、あの時の彼女はもういないのだと理解した。ここにいるのは、彼女の魂を持つまったくの別人だ。彼女本人ではない。そのことに、臓腑を抉られるような痛みを覚える。
「それじゃ、本当にごめんなさい。もし次に会うことがあったら、普通に接してもらえると助かるわ」
「……構わない」
軽く会釈をしてさっさと立ち去る背中を眺めてから、わたしは目を閉じ、深く溜息を吐いた。
これからどうすればいいのだろう。
途方に暮れて、それからふと、もうあそこに、魔の森に居続ける必要はないのかと考える 。もう、“魔王”などと呼ばれ続ける必要はないのだ。
騎士団への預けものも、もう返してもらおう。
「……何をしている?」
屋敷に戻ると、エルネスティが荷物を床に並べ、積み上げて何やら考え込んでいた。そのようすに呆然とする。
これでは、まるで……。
「だって、待ちびと来たる……でしょう?」
そう言ってかすかに微笑む彼女に、やはり出て行くつもりだったのかと、慌てて抱き縋った。
いつだって、何もかもが自分を置いて去ってしまう。これまでもそうだった。彼女だって、今去るか後に去るかだけの違いでしかないのだ。そんなことは最初からわかっていることだった。それに、そういう仲でもない彼女を引き止める権利などわたしにはない。
……なのに、なんて無様なことをしているのか。
「どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる彼女の肩に、顔を埋める。
「──違った」
「え?」
そう、あれは違うものだった。わたしの考えていたものとは……たしかに帰るという約束を果たしたけれど、あれは同じではあるが、しかし、だからまったく違うものだった。
「あれは、わたしの知る者では、なかった」
ぽつりとそれだけ、やっと言葉にする。
「纏うものはよく似ているのに、違う者なのだ。あれは……あれは、わたしの知らない誰かでしかなかった」
あれが、“転生”なのか。
彼女も探していたと言った。だが私を覚えているというわけではなかった。わたしを見つめる目は、かつてのものとはまったく違うものだった。探す相手に相手がいると思わなかったとも言った。これから新しく何かを築けというならば、この結果を招いたのは自らの自業自得ということか。ひとりで待つことに耐えられず、誰かを受け入れてしまった自分の……。
「どういう……」
そこまで言いかけた彼女が、腕の中で息を呑む気配がした。「あなたもなの?」と問われ、かつて似た者同士だと言われたことを思い出す。
「置いて、行かないでくれ」
腕が背に回され、「大丈夫よ。置いていかないわ」という囁きとともにしっかりと抱きとめられ、身体が震えた。
「私はここにいるわ。
──あなたが望むなら、私はここにいる」
「……エルネスティ」
顔を上げたすぐ目の前には、微笑む彼女の顔があった。
「きれいね、あなたの色」
「そうか」
その言葉に、思わず笑む。
そうして、家族になろうという言葉に、目を瞠る。彼女には……エルネスティには、その内に住まわせている誰かがいるのではなかったのか。そう問うと、また彼女は笑う。
「私、あなたが抱えているものも引っ括めて、私が知っているあなたも、私が知らないあなたも、全部──愛しいわ」
──何故、これほど強くあれるのだろうか。もう一度家族になりたいと繰り返すエルネスティに、やっと、「お前は」という一言だけが出てきた。
“家族”なんて、考えたこともなかった。誰かとそんなものになれるのかなどと、考えたこともなかった。
「家族になれると、思うか?」
「思うわ。だから家族になりましょう」
彼女は笑って答える。その笑顔をわたしは眩しく感じ、目を細め……「家族に、なりたい」と小さく告げた。
その夜、息を切らし泡を食ったようすの王国の英雄がわたしを訪ねてきた。
「魔王! いったいどういうつもりだ、騎士団本部の角を奪うなど……」
馬を降り荒々しく扉を叩き、扉が開くなり相当な剣幕でがなり立てる。
「ずいぶんな挨拶だな、こんな夜中にどうしたのだ、王国の英雄」
「……何をするつもりだ、魔王」
姿を変えずに現れたわたしの、頭に収まった角を見て目を眇める。
「別に何も。魔王は廃業する。そもそもそんな役職など最初からなかったのだがな。だいたい、お前をからかうのにももう飽きた」
「廃業? からかう?!」
驚いたように目を見開く王国の英雄に、わたしの後ろからエルネスティが声をかける。
「騎士カーライル殿、まずはお茶でもいかが? カルシャも、いろいろきちんとお話ししたほうがいいんじゃないかしら」
さあ、と促され、王国の英雄は毒気を抜かれたように部屋へと招き入れられた。