第二話 『森の小屋』
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。
見慣れない天井が目に入った。
木でできた天井。どうやら、どこかの建物の中らしい。
「ここは……?」
体を起こそうとしたところで、ふと違和感を覚えた。
左腕。
あのサイレントウルフに食いちぎられたはずの左腕が、何事もなかったかのように元に戻っている。
「……え?」
夢だったのか?
いや、そんなはずはない。
あの時の痛みも、目の前に迫ってきたウルフの姿も、はっきりと覚えている。
それなのに、どうして腕が……。
左腕を何度も動かしてみる。
問題なく動く。
傷跡すら見当たらなかった。
「いったい、どうなってるんだ……」
考えても答えは出ない。
とにかく、助けてくれた人がいるはずだ。
俺は周囲を見回した。
小さな部屋だった。
木製の家具がいくつか置かれているだけで、装飾らしいものはほとんどない。
ベッドから降り、部屋の中を見渡してみる。
人の姿はない。
「外かな……」
俺は小屋の扉を開けた。
外に出ると、頭上には明るい太陽が昇っていた。
どうやら、昼頃らしい。
森の木々の間から差し込む日差しが、辺りを明るく照らしている。
すると、外から香ばしい匂いが漂ってきた。
匂いのする方へ目を向けると、少し離れた場所で一人の少女が鍋を火にかけていた。
銀色の髪は肩ほどまで伸びており、後ろの髪はゆるくまとめられている。
前髪には黒いヘアピンが交差するように留められていた。
大きな黒い帽子をかぶり、黒を基調とした服に身を包んでいる。
帽子には紫色の宝石が飾られていた。
顔立ちは整っていて、どこか儚げな印象を受ける。
紫色の瞳は半分ほど閉じられており、目の下にはうっすらと隈が見えた。
見た目だけなら、中学生くらいだろうか。
……いや、ずいぶんと眠そうな顔をしているな。
顔立ちも整っているし、現実世界にいたらモテモテなんだろうな。
まあ、俺は年下がタイプじゃないから、そういう意味では関係ないけど。
そんなことを考えていると、少女がこちらに気づいた。
一瞬だけこちらに視線を向けたが、特に何かを言うわけでもなく、再び鍋へと視線を戻した。
あれ?
助けてくれた人……だよな?
向こうから話しかけてくる様子はない。
仕方なく、俺から声をかけることにした。
「あのー……」
少女がこちらを向く。
「ここは……?」
「私の家」
「そうじゃなくて、俺はどうしてここに?」
「薬草を取りに行ったら、倒れているあなたを見つけたから拾った」
拾ったって……。
いや、まあ、間違ってはいないんだろうけど。
「そ、そうですか……。助けてくれてありがとうございます」
「ん」
少女は短く返事をすると、再び鍋をかき混ぜ始めた。
……会話が続かない。
それにしても、あの時のことを考えると、俺は相当危なかったはずだ。
左腕も失っていたし、普通なら助からなかったんじゃないだろうか。
「それにしても、俺の腕……」
「治した」
「え?」
「あなたの腕。治した」
あまりにもあっさりと言われて、思わず自分の左腕を見た。
「いや、でも……腕を失ったら、普通は治せないんじゃないですか?」
「普通は無理」
「じゃあ、どうやって……?」
「教えるつもりはない」
……そこは教えてくれないのか。
何か事情があるのだろうか。
まあ、助けてもらった身でこれ以上聞くのも悪いか。
「そうですか……」
少女はそれ以上何も言わず、鍋の中身をかき混ぜていた。
しばらくして、彼女がこちらに声をかけてきた。
「食べる?」
「これは……?」
「サイレントウルフのスープ」
「……サイレントウルフ?」
「あなたが倒れていた近くにいた魔物」
「もしかして、あの狼ですか?」
「ん」
やっぱり、あの狼か。
俺を襲ってきた魔物の肉を食べることになるとは思わなかった。
少し抵抗はあるが、せっかく作ってもらったものだ。
「いただきます……」
スプーンですくい、一口飲んでみる。
「……」
獣特有の臭みがあるな……。
食えなくはないけど、少し飲み込みづらい。
それでも、味自体は悪くない。
「どう?」
「……悪くないです」
「そう」
ノクはそれだけ言って、自分の分を口に運んだ。
結局、俺はスープを最後まで飲み干した。
「……ごちそうさまでした」
「ん」
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね」
「ノクシリア」
「ノクシリアさん、ですね」
「ノクでいい」
「分かりました。僕はキサラギ・ソウスケと申します。以後お見知りおきを」
「んっ」
……え、それだけ?
いや、あなたが聞いたんでしょ。なんかこう、『よろしく』とか、そういうのはないんですかー。
まあ、いいか。
「ところで、ここはどの辺りなんですか?」
「森の中」
「いや、それは見れば分かりますけど……」
「そう」
会話が続かない。
「近くに街はありますか?」
「ある」
「そこまで案内してもらうことってできますか?」
「街の名前は?」
「え?」
「どこの街に行きたいの?」
そう聞かれて、俺は言葉に詰まった。
……やべえ。
街の名前なんて分かるわけがない。
そもそも、俺が最初に登録した冒険者ギルドの街の名前すら、ちゃんと覚えていなかった。
「えっと……」
「知らないの?」
「……はい」
「じゃあ、無理」
「そんなあっさり……」
クソ……この先どうしたらいいんだ。
この世界のことはほとんど知らない。
とりあえず、最初にいた街へ戻りたいのだが、その場所を説明できないのではどうしようもない。
「……ちなみに、ノクさんはどうやってここまで戻ってきたんですか?」
「これ」
ノクは腰に下げていた小さな道具を見せた。
装飾の施された金属製の道具で、中央には青い石が埋め込まれている。
「これは?」
「魔道具」
「魔道具……?」
「転移できる」
「転移……って、テレポートですか?」
「ん。登録した場所に移動できる」
「そんな便利なものがあるんですか……」
少し考えてから、俺は尋ねた。
「じゃあ、その魔道具を使えば街にもテレポートできるんじゃないですか?」
「登録してあれば」
「登録……?」
「行きたい場所を登録する」
なるほど。どこにでも自由に移動できるわけではないらしい。
「じゃあ、俺が倒れていた場所からここまで連れてきてくれたのも、その魔道具のおかげですか?」
「そう」
「なるほど……」
この世界には、そんな便利な魔道具まであるのか。
しかし、俺が最初にいた街の場所が分からないという問題は解決していない。
「クソ……どうしたらいいんだ」
思わず頭を抱える。
そんな俺を見て、ノクが口を開いた。
「ここにいれば?」
「え?」
「行く場所、ないんでしょ」
「まあ、そうですけど……」
「なら、ここにいればいい」
「いやいや、そんな簡単に決めていいんですか?」
「別にいい」
あまりにもあっさりしている。
「僕だって男の子なんだから、襲っちゃうかもしれませんよ?」
冗談半分にそう言ってみる。
すると、ノクは少しも表情を変えずに答えた。
「あなたが襲ってきても返り討ちにできるもの」
「……頼もしいですね」
「それに、あなたはまだ怪我人でしょ」
確かに、まだ身体には痛みが残っている。
左腕は元通りになったとはいえ、完全に回復したわけではないのだろう。
「まあ、そうですね……」
「だから、休んでいけばいい」
「……ありがとうございます」
こうして俺は、しばらくノクの小屋にお世話になることになった。
食事を終えた後も、俺たちはしばらく話をした。
この世界のことや、森のこと。
ただ、ノクはあまり多くを語らない。
聞けば答えてくれるものの、必要最低限の言葉しか返ってこなかった。
それでも、何も知らない俺にとっては貴重な情報だ。
そうして話しているうちに、外はすっかり暗くなっていた。
「もう暗いですね」
「そう」
「今日はここに泊まっていってもいいんですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
こうして、俺はノクの小屋で一晩過ごすことになった。
夜。
ベッドに横になりながら、俺は今日の出来事を振り返っていた。
まさか、失ったはずの左腕が元通りになるとは思わなかった。
一体、ノクはどんな魔法を使ったんだろう。
そもそも、あの小さな身体でどうやって俺を運んだのか。
転移できる魔道具を持っていると言っていたが、あれもかなり珍しいものなのだろうか。
考え始めると、疑問は尽きない。
「……そういえば」
俺はふと思い出し、ステータスを開いた。
狼を倒した後、気を失う直前に何かが表示されていた気がする。
あの時は意識が朦朧としていて、まともに確認できなかった。
「ステータス・オープン」
目の前に、見慣れた画面が表示される。
そこに書かれていたのは、以前とは違う数字だった。
レベル:3
「……え?」
思わず目を疑う。
もう一度確認する。
レベル:3
「やった! レベルアップしてる!」
思わず声が出た。
まさか、あの狼を倒したことでレベルが上がったのか?
しかも、二つも。
俺は興奮しながら、ステータスの詳細を確認していく。
体力:110
筋力:16
防御力:14
知力:21
敏捷:18
魔力:20
固有能力:血脈簒奪
以前よりも、どの数値も上がっている。
そして、さらに下へ目を向けると、見覚えのない項目があった。
取得能力:獣牙
「……獣牙?」
これが、あの狼から手に入れた能力なのか?
あの時、俺は狼の首元に噛みついた。
その際に、狼の血を取り込んだのかもしれない。
だとしたら、これが血脈簒奪の力なのかもしれない。
「……なるほどな」
まだ分からないことだらけだが、少なくとも一つは分かった。
あの能力は、本当に他者の力を奪うことができるらしい。
明日、ノクにもこの世界のことをいろいろ聞いてみよう。
そう考えながら、俺はステータス画面を閉じた。
そして、ゆっくりと目を閉じる。
今日は本当にいろいろなことがあった。
考えたいことは山ほどあるが、今は休むのが先だ。
俺はそのまま、深い眠りについた。




