第31話「獣と知略」
お嬢は小さく微笑むと、手にしていたM1ガーランドを軽く持ち上げた。
『それでは、後はよろしくお願いいたしますわ』
その言葉と同時に銃身は深紅の光へと還り、粒子となって空中へ溶けるように消えていく。
代わりに身体の奥底から熱が込み上げてきた。
血が沸騰するような高揚感。
戦闘狂へ主導権が移る度、この感覚だけは未だに慣れない。
胸の奥から溢れ出す闘争心が、俺の理性さえ飲み込もうとしていた。
『ハッ……待たせたなァ!』
人格が切り替わると同時に、お嬢だった身体は戦闘狂のものへと変わる。
迫り来る粛清派の兵士達を前にしても、その笑みが消えることはない。
むしろ獲物を前にした獣のように、嬉しそうに口角を吊り上げていた。
内側から見ているだけのはずなのに、俺まで身体を動かしたくなる。
戦闘狂の高揚は、それほどまでに強烈だった。
『来やがれッ!』
怒声と共に床を蹴る。
真正面から飛び込んできたメイス使いが武器を大きく振りかぶるが、戦闘狂は一歩も引かなかった。
振り下ろされた鉄塊を紙一重で躱すと、その懐へ一気に潜り込み、全身の力を乗せた拳を兵士の腹部へ叩き込む。
鈍い衝撃音が大聖堂へ響き渡り、兵士の身体が大きく浮き上がった。
苦悶の声を漏らしながら数メートル先まで吹き飛ばされ、そのまま石床を転がって動きを止める。
『おらどうした!どんどん来いよ!』
戦闘狂が獰猛な笑みを浮かべる。
新たな兵士達は勢いを殺さず一斉に距離を詰めてきた。
正面からは巨大なウォーハンマーを担いだ男が振り下ろし、右側からはハルバードの穂先が一直線に迫る。さらに死角を狙うようにモーニングスターの鉄球が唸りを上げながら横薙ぎに振るわれた。
だが、その程度で戦闘狂の足が止まることはない。
『遅ぇんだよッ!』
身体を僅かに捻るだけでハルバードを躱すと、その柄を片手で掴み、力任せに引き寄せる。
体勢を崩した兵士の顔面へ拳を叩き込み、そのまま後方へ吹き飛ばした。
続けざまに振り下ろされたウォーハンマーは寸前で横へ身を滑らせて回避し、懐へ潜り込む。
その勢いのまま鳩尾へ膝蹴りを突き刺すと、男の身体はくの字に折れ曲がりながら宙を舞った。
横から迫るモーニングスターも、振り抜かれる前に腕を掴んで引き倒し、勢いそのまま石床へ叩き付ける。
鈍い衝撃音が礼拝堂へ響き渡り、周囲の兵士達が一瞬たじろいだ。
『ハハッ!そうだ、それでいい!楽しもうぜぇ!』
笑いながら自ら兵士達の群れへ飛び込む。
飛来したメイスを腕で弾き飛ばし、そのまま拳で一人を沈め、回し蹴りで二人目を吹き飛ばす。
さらに肩を掴んだ兵士を力任せに持ち上げると、そのまま盾代わりに振り回し、周囲の兵士達をまとめて薙ぎ倒した。
圧倒的な膂力と身体能力を前に、粛清派の兵士達は為す術もなく次々と石床へ沈んでいく。
だが――。
『……あァ?』
何人目かも分からない兵士を殴り飛ばした直後だった。
吹き飛ばされて石床へ転がった男が、ゆっくりと身体を起こす。
それだけではない。
先程倒した兵士達が何事もなかったかのように立ち上がってくる。
その異様な光景を目の当たりにしても、戦闘狂は眉一つ動かさなかった。
むしろ、口元はさらに大きく吊り上がる。
『よく立ち上がれんなァ!いいぜ、そうでなくっちゃなァ!』
喉の奥から愉快そうな笑い声を響かせながら、戦闘狂は拳を握り締める。
吹き飛ばしたはずの兵士達が武器を握り直し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
『ハハッ!何度でも来いよ!その方がぶっ飛ばし甲斐があるってもんだァ!』
床を強く蹴ろうとした、その時だった。
『……戦闘狂。闇雲に戦ってはいけません』
不意に頭の奥へ、賢者の落ち着いた声が響く。
その声音はいつも通り冷静だったが、僅かに警戒の色を帯びていた。
『あァ?今いいトコなんだ。邪魔すんじゃねぇよ』
戦闘狂は露骨に眉をひそめるが、賢者は意に介さない。
『彼らの様子がおかしいですね。通常なら、あれほどの損傷を受けて戦闘を継続できるはずがありません』
戦闘狂は立ち上がってくる兵士達を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべた。
『ただタフなだけじゃねぇのか?』
確かに妙だ。
あれだけ吹き飛ばされて平然と立ち上がるなんて、普通じゃない。
『いいえ、何らかの外的要因が存在すると考えるべきでしょう』
『だったらどうすんだよ』
戦闘狂は迫り来る兵士の斧を躱しながら、不満げに舌打ちした。
『なるべく回避に徹しながら、周囲へ視線を巡らせてください。原因は必ずどこかにあるはずです』
「戦闘狂、一旦賢者の言う通りにしろ!」
俺も賢者の意見を後押しする。
『ケッ、まどろっこしいのは好きじゃねぇんだがな!』
そう吐き捨てると、戦闘狂は再び床を蹴った。
今度は真正面からぶつかるのではなく、兵士達の攻撃を紙一重で躱しながら大聖堂の中を駆け抜け、その鋭い視線だけは周囲へ向けられていた。
柱の陰、長椅子の列、二階回廊と視線を巡らせながらも、拳は止まらない。
飛び掛かってきた兵士の顔面へ裏拳を叩き込み、さらに回し蹴りで別の兵士を吹き飛ばす。
包囲網を切り裂くように駆け抜け、その鋭い視線はなおも大聖堂の内部を探っていた。
その瞬間だった。
『――いました。祭壇です』
賢者の声と共に、戦闘狂が捉えた景色がそのまま頭の中へ流れ込んでくる。
兵士達の喧騒から離れた祭壇の前。
そこには静かに祈り続ける司祭の姿があった。
『あの司祭です。あの者が兵士達へ何らかの影響を与えているのでしょう』
賢者の分析を聞きながら、俺も確信する。
あの司祭を止めなければ、この状況は終わらない。
戦闘狂は迫ってきた兵士の腹へ膝蹴りを叩き込み、その身体を蹴り飛ばしながら小さく鼻を鳴らした。
賢者はなおも冷静に分析を続ける。
『恐らく、痛覚の遮断……あるいは肉体能力を強化する類の支援術式です』
『ケッ……つまり、あいつをぶっ飛ばしゃ全部終わるってことだな!』
俺も同じ結論に辿り着いていた。
あいつを止めなければ、この戦いは終わらない。
「戦闘狂、祭壇まで一直線だ!」
『言われなくても分かってるぜェ!』
俺の指示を聞いた戦闘狂は、その場にあった長椅子へ手を伸ばし、片手で軽々と持ち上げる。
巨体の兵士ですら苦労して運ぶような長椅子が、その手の中では玩具のようだった。
この一投で決める。
そんな確信にも似た思いが、戦闘狂と共に胸の奥で膨れ上がっていた。
戦闘狂は腰を落とし、そのまま全身の筋力を一気に解放する。
『どけェッ!!』
雄叫びと共に振り回された長椅子は凄まじい勢いで宙を舞い、一直線に祭壇へ向かって飛んでいく。
突然の凶器の飛来に、祭壇の前で祈りを捧げていた司祭がようやく顔を上げた。
だが、反応が遅すぎた。
「――え?」
間の抜けた声を漏らした直後、長椅子は真正面から司祭へ激突する。
轟音と共に祭壇付近の装飾を巻き込みながら男の身体を吹き飛ばし、そのまま石壁へ叩き付けた。
衝撃に耐え切れず司祭は白目を剥き、その場へ崩れ落ちる。
すると兵士達の動きがぴたりと止まる。
握り締めていた武器が小さく震え、一人、また一人とその場へ膝をついた。
『……やはり、あの司祭が原因でしたか』
賢者が確信を込めて告げる。
先程まで立ち上がり続けていた兵士達は苦悶の声を漏らし、次々と石床へ崩れ落ちていく。
賢者の推測は正しかった。
戦闘狂の豪快さだけじゃない。
二人が噛み合ったからこそ、この状況を打開できたんだ。
『おらァ!どうしたどうしたァ!もっと来いよ!』
戦闘狂は拳を鳴らしながら獰猛に笑う。
まだ戦える兵士達は武器を手放さず、その場へ踏み止まっていた。
だが、その表情から先程までの勢いは消え失せている。
吹き飛ばされた司祭と、圧倒的な力で兵士達を蹂躙する戦闘狂を交互に見比べ、その足は僅かに後ずさっていた。
『残った連中も一人残らず相手してやるぜェ!』
雄叫びと共に床を蹴る。
その姿を見た兵士達も意を決したように武器を構え、応戦するため駆け出した。
そして――
数分後。
大聖堂の床には、動けなくなった粛清派の兵士達だけが無数に転がっていた。
戦闘狂『ハッ! 久々に歯ごたえのある相手じゃねぇか!』
お嬢『ええ。ですが、あの武器……ただの槍や斧ではありませんわ』
賢者『……神器。それぞれに固有の"理"が宿っているようですね』
戦闘狂『理だろうが何だろうが関係ねぇ!叩き潰すだけだァ!』
翔「次回、『神器の理』――その力の正体とは。」




