月夜の奇跡
夕暮れ時の川辺で、焚き火を囲む男女二人組。
男は少し疲れたように項垂れて、手にした小枝で火を突付いていた。
「クソ…姫は何処まで潜ったんだ。もう追い付いても良い筈だ。」
「兄ちゃん、あんだけ派手に振られたんだからさ、もうこれストーカーだよ!?」
「振られてなんかいねぇよ。ちょっと姫の機嫌が悪かっただけさ。」
「大体何で振られた女を追いかけるのに、妹同伴なのよ!キモ過ぎるんですけど!」
「だからさ、振られてないって。それに、親父の命令なんだから仕方ないだろ?」
「皆んな姫様の事過保護過ぎだと思うわ。アイさんも一緒なのよ?私達の護衛なんて要るわけ無いのに…はぁ…。」
この兄妹はギルドシリウスのメンバーである。
ギルド長から、突然恵みの大地を目指して消えてしまったマユミとアイのお供を言渡され、その後を追っているのだ。
次第に辺りが暗くなるにつれて、川辺に蛍の光が灯りだす。
「それにしても、結びの回廊のこんなに深くまで潜ったのは初めてだな。今何層目か覚えてるか?」
「三十六層よ?普段は二十層付近迄しか潜らないから、新鮮で良いけれどもね。連れが兄ちゃんってのは無いでしょ?こんな素敵な夜にも浪漫の欠片も無いわよ…。」
そんな愚痴を零しながらも、先程釣ってきた山女魚を串に刺して焼き始める。
焚き火の光に照らされた二人は、銀色の髪色にトパーズ色の瞳を持ち、一見して兄妹だと分かるほどに良く似た顔立ちをしている。
黒の修道服に似た服装もこの場には違和感があるが、更に異様なのはヘビの様に縦に割れたその瞳であった。
「うわぁ…こんなに大きな月、見たこと無いわ…」
妹のその声に兄は伏せていた顔を上げて、山の陰から半分程顔を出した満月を見上げた。
……ベン…ベンベン……
「は!これは姫の三味線!!」
二人は直ぐ側から聞こえてきた音の方へと振り返ると、大きな木の根元に薄っすらと人の影が浮かび上がっている。
「姫!!」
巨大な満月の光に照らされて、次第にハッキリと姿を現したマユミであったが、その姿は半透明に透けていた。
マユミはゆっくりと唄い出す。それは切ない恋の唄であった。
「姫!探したんだぜ!」
しかし、その声は届いては居ないようであった。
マユミの唄は続く、帰らぬ想い人を信じて待ち続けると。
「兄ちゃん…実体ではないよ」
「クソ!」
「これは、参ったわね…本当に私達には荷が重すぎるかも。」
「何だと!?」
「姫は次元を上げてしまったのよ…マユミさんは今そこに居るわ。違う次元にね。」
「…そんな…」
「兄ちゃん、選びなさい。この事をギルドに報告に戻るか、私達も次元を超えるか。」
「そんな事決まってるさ。姫を追って次元を超える!」
「はぁ。まぁそう言うわよね。」
「だが、お前は戻って報告してくれ。これ以上、巻き込みたくない。」
「馬鹿な兄ちゃんが、一人で次元の壁を越えられるわけ無いじゃん…残るわよ。」
「…そうか、ありがとう。」
「これは貸しだかんね!」
いつの間にか高く登った満月が、そんな二人の新たな旅立ちを祝福しているかの様に、静かに蒼く輝いていた。