星の船
空一面に広がる天の河。見知った天体では無いが、思わず見惚れてしまう程の夜空であった。
「ねえ、隊長〜。私泳げないんだけど。」
「…大丈夫よ、私もカナヅチだからな。恥じることでは無いよ。」
「…終わったわ。」
階層のゲートを抜けた先は、大きな帆船の上であった。
どうやら陸一つ見えない海の上に浮かぶその船には、船員どころかネズミ一匹乗船していないようだ。
「いざとなったら飛べるでしょう?問題ないさ。」
「それって、私が夜は飛べないの知ってて言ってますよね?」
「フフッ。どうせ船の操作など知らないのだから、諦めて船室でも見てみましょう。」
「隊長のその神経の図太さにはいつも感心しますけど、見習いたくは無いです…それに、誰も乗っていない船なんて、絶対に幽霊船じゃないですか!」
「幽霊なんて…あら、居たわね。」
見ると甲板に鬼火が一つ、ゆらゆら揺れている。そのまま壁をすり抜け船内へと消えて行った。
「行ってみましょう。」
「はぁ…どうか物わかりの良い幽霊であります様に。」
アイはさっさと船内に消えて行ったマユミを追いかけて真っ暗な船内へと入って行く。
二人とも夜目は効く方だが、闇とは違う黒い空間が広がっているようで、薄っすらとさえも周辺を確認する事が出来なかった。
「ルー、クー。居るかしら?」
マユミがそう呼びかけると、目の前に蛍の光の様な二つの明かりが現れる。
『ルーはここよ!マユミ。』
『クーは来たわよ!アイ』
「こんばんはルー。ありがとう、クー。この闇を進みたいの。助けてくれるかしら?」
『あらあら、これは闇ではないのよ、マユミ。』
『まあまあ、マユミは黒い光を知らないのね。』
「ルーとクーは本当に何でも知っているのね。」
『ルーは教えてあげたいわ。』
『クーが教えてあげるわ。』
ルーとクーと呼ばれた二つの光は、くるくると螺旋を描く様に高速で回り始める。
『黒い光を放つ者が居るわ』
『とても眩しい黒い光だわ』
『こっちよマユミ』
『あっちよアイ』
ルーとクーが空中を埋めている黒い光の雲を押しのけるように、半径2メートル程の視界が晴れていく。
通路は思いのほか広く、両側にはしっかりと閉ざされた幾つもの扉が配置されていて、その壁には火の消えたランプも配置さていた。
木製であるが高級感のある船内から、客船であろうと想像出来る。
「恵みの火よ、闇を照らす明かりとなって下さい。」
アイがお祈りすると消えていたランプに火が灯り、その周辺をぼんやりと照らしていく。
天体図に見慣れぬ文字が彫られたプレートが壁に掛けられている。
「どうやら船内は外とは空間が違うようだ。明らかにここは船より広いからな。」
「それでも、波の揺れはそのままなのね。面白いわ。」
マユミとアイはルーとクーに案内されながら、真っ直ぐな通路を進んで行く。
『とても眩しい光だわ』
『黒く光っているのよ』
『ルーは行けないわ』
『クーは行かないわ』
「ええ、有難う。助かったわ。」
ルーとクーは、くるくるとマユミとアイの周りを回ると、闇に溶けて消えて行った。
長い通路の行き止まりは大きな扉があった。特別に重厚で青銅の様な金属製で、細かな彫刻が施されている。
「さてさて、ラスボス戦といきますかね」
アイが扉に手を伸ばすと、シューッと両開きに開いた。
途端に中から黒の光が溢れ出す。
『いらっしゃいませ。お客様。お待ちしておりました。』
「ごきげんよう。歓迎されているのかしら?」
『勿論で御座います。」
声の主は甲板で目にした鬼火であったが、揺らめいたかと思うと初老の男性が現れ、それと共に黒の光は男に吸い込まれる様に消えて行った。
「元よりこの船には資格をお持ちの方しか乗船出来ませんから。申し遅れましたが、私は船長のロンフットと申します。さあ、どうぞこちらにお掛け下さい。』
明るくなった室内を見ると、豪華なインテリアに囲まれ、三面がガラス張りになった壁からは外の景色が一望出来る素晴らしい部屋であった。
勧められるままに応接のソファに座ると、ピンク色の髪が印象的なメイドさんが現れ紅茶を入れてくれる。
「失礼ですが、貴方達からは生命を感じられないわ。」
対面に座ったロンフットに、ピンク色の髪のメイド。彼等は顔を見合せると、可笑しそうな表情を見せた。
「これは失礼しました。私共はこの船の管理AIが作り出す実態を持つホログラフとでも言いますか、人工生命です。」
「それはまた凄いオーバーテクノロジーね!」
アイは思わぬ展開に興奮気味だ。
「結びの回廊にはそぐわない気がするわね。説明してくれるのでしょう?」
「結びの回廊…成る程、その辺りも説明致しましょう。こちらをどうぞ。」
三面のガラス窓からの景色が変わり、宇宙空間から地球を映し出す。
「私達は今から500万年程前に地球にやって来ました。申し訳御座いませんが、目的は明かせません。ですが、お客様がよく知るトカゲという生命とは違います。」
「生命を持った他の異星人達を運んできたという事ね?」
「私達に母星は在りません。それに皆私と同じ様な存在ですから、純粋な生命体では無いのです。」
ロンフットの語口は柔らかく、その声音は心地良い低音で奏でられている楽曲のようであった。
「私達は理のレイヤ様によって作られ、その使命の為にのみ存在します。ですから、結びの回廊にも繋がったのでしょう。」
「理の龍レイヤ様!隊長の唄に出てくる神様ね!」
「……結びの回廊に繋がった?とは?」
「そうです。この空間は様々な時空と交わっています。どの階層も結びの回廊の中に存在する世界では在りません。我々も然り。」
「成る程、これは重要な情報だわ。」
「私達の存在は情報です。それは記憶と呼んでも良いでしょう。勿論、情報に時間軸は在りません。この結びの回廊は、その記憶の海の中。そして、貴女方が私達にアクセスしたのがこの階層です。」
マユミは唐突に理解した。鏡面界から結びの回廊を通り、恵みの大地へと至る意味。
「私達の情報の書き換え」
ロンフットは微笑んで頷く。
「流石で御座います。そして、既にここでの目的は果たされました。」
「一つ質問しても良いかしら?」
「答えられる範囲でお答え致します。」
「生命とは何?」
「………生命とは、最高にして最大の贈り物ではないでしょうか。私見が入っておりますが、その様にお伝え致します。」
「そう…有難う御座います。」
マユミは人工生命体が出したその答えを、じっくりと心に落とし込んでいく。
「どうかマユミ様もアイ様も、最大の贈り物である人生の旅路を楽しんで下さい。良い旅を。」
立ち上がり深く腰を折ってお辞儀をするロンフットと、その後ろに控えるピンクの髪のメイド。
次第に闇に溶け、霞んで消えて行く。
「隊長…あの人達、泣いていたわ」
「…ええ。」
その涙の意味は何であったのか、今のマユミとアイには理解出来なかった。
しかし、まるで祝福されて送り出される花嫁にでもなったかの様な、そんな暖かな見送りであった。
「また会えるかしら」
「そうね、きっと」
移動した先の階層は、満開の桜の花に迎えられ、暖かな春の日差しに包まれていた。
「フフフッ。あのメイドさんのお庭かしら?」
桜の木の下でマユミが奏でる三味線は、花見で笑い合う人々の光景が浮かぶような、そんな楽しげな調べであった。